冒険ダイヤル 第38話 追加の気持ち
「おれはどっちかっていうと犬のほうが好きなんだけどな」
「かいちゃんは犬飼わないの?」
「飼ってみたいけどおれの家はちょっと無理だなあ」
「うちで飼ってたマロン、僕が幼稚園の時に大きくなりすぎておばさんに引き取られていっちゃったの。飼うなら大きくならない犬がいいよ」
「そうか。じゃあチワワとかがいいだろうな」
「かいちゃんにチワワは似合わないよ。もっとメンタル強そうな犬じゃないと犬がかわいそう」
「おい…」
ゼリーを食べ終えた弟が奥に引っ込んでいくのを見届けてから魁人が尋ねた。
「なあ駿、マロンて引き取られたのか?豆柴だよな?」
魁人は貯金箱の側に飾られた犬の写真を見ている。
「豆柴はあれ以上大きくはならない」
駿は人差し指を口に当てて声を小さくするように注意した。
「もうすぐ大きくなって家にいられなくなるから、その前に早くおばさんに懐くように連れてった。そう言ってある」
「なるほどな」
魁人はしばらく空っぽになったゼリーの容器を見つめて何か物思いにふけっていた。マロンの話題はそれで最後になった。
「駿、貯金箱がいっぱいになったら何に使う?」
「こんなに貯まると思わなかったな」
「何に使おうか」
「もともとおれのお金なんだからおれが決めるよ」
「自力でここまで貯められたか?」
「確かにお前がいなかったら貯金してないな」
「だったらおれのものでもあるよな」
貯金はその後、鉄道のスタンプラリーをするための二人分のフリーパス代になった。
それからも魁人は自動販売機で飲み物を買う度に駿から小銭を預かって、毎回律儀にお釣りをごまかした。
駿もそれをわかっていて小銭を彼に預け、足りない分を必ず返させた。
*
魁人が相手を試すのは、見破ってほしいからだ。
まだどこかに見落としがある。
*
〈君通ふ夏〉
ピカソのメモ用紙に一行だけ書かれた言葉。
その下に空いている余白に深海が指で丸を書いた。
「ここにきっとあぶりだしで文字が書いてある」
駿もうなずいた。
二枚目があるのはそのためだ。
「でも、あぶりだしじゃあ、ここでは読めないね」
陸は手紙を光に透かした。
何も見えない。
魁人から電話があるのではないかとみんな期待していたが結局いつまでも音沙汰なく、店員が空の食器を下げてしまい、四人は居心地が悪くなってきた。
「家に帰ってから読めってこと?」
深海は溶けきってただの薄い甘い水に変わった氷あずきの残りを飲み干す。
「またいつか機会を作ってくれるかもね。魁人くんのおかげで僕は今日、わりと楽しかったよ。魁人くんは駿とふかみちゃんにも楽しんでほしかったんじゃないかな」
陸は沈んだ空気をなんとかしようと懸命だ。
「とりあえずもっと何か頼んでおいた方がいいね。エマちゃん、一番安いのってどれかな?」
メニューを見て絵馬はコーヒーを指差す。
「あたしのケーキセット、コーヒーのおかわり自由だから頼むね」
他の誰も注文しないので、互いのお財布事情が察せられた。
箱根までの往復電車賃はばかにならないのだ。
絵馬は汗ばんだ襟元の髪を持ち上げてハンカチで拭き、ほぐれてきた髪を器用にまとめてお団子を作った。
前髪と耳の前あたりだけ下ろして軽く指に巻きつける。ウエーブを整えておきたいのだろう。
化粧ポーチとハンカチをバッグに戻そうとして彼女はふと手を止めた。
バッグの中を覗き込んだまま何か考えていたが、やがて「ふーちゃん、それもう一回見せて」と手を伸ばし、手紙を観察し始めた。
店員がコップに水を注ぎ足しにきた。
店は満席で、かなり長居しているため少々気まずい。
陸は下を向いて、テーブルに常備されたシュガーポットやポーションミルクやレモン果汁を落ち着きなくケースの中から出してまた入れ直したりしている。
「ねえ、りっくんの話じゃ、あたしと駿ちゃんがコンビニにいる時に魁人くんも同じ店にいたはずだよね?…すいません、コーヒーのおかわりください」
絵馬はそう言って店員に軽く手を上げた。
「だろうな。あいつが近くを通ってもおれは気付かなかったってわけだ」
駿は苦い顔をした。
「寂しかっただろうなあ」
陸は氷の上に食卓塩を振りかけて、塩の粒が氷を溶かし、穴をあけて沈んでいくのを眺めながらそんなことを言った。
「魁人くんはふかみちゃんのことをすぐにわかってたよね」
みつかってしまったあの時の気持ちを深海は思い出した。
見破られた驚き、悔しさ、恥ずかしさ、嬉しさ。
少しだけ意表をついてやったという意地の悪い喜び。
そんなものがぐちゃぐちゃに混ざり合って胸が苦しかった。
「顔を合わせたら自分がよくわからなくなっちゃった」
「それは魁人くんも同じだったかもよ」
絵馬は二枚のメモ用紙テーブルに並べた。
「この二枚目は追加されたか差し替えられたんだよ。ほらここ。重ねてあったのに折り目がずれてるでしょ」
確かに折り目がずれていて、よく見ると同じデザインなのにうっすらと色が違う。
一枚目は鉛筆でかすった汚れなどがあって少し黄ばんでいた。
縁の部分は何度もめくられたようにくせがついて丸まっている。
しかし二枚目はきれいだ。
どちらもメモ用紙を綴る接着剤の切れ端がついている。
「ほんとだ。同じメモパッドから切ったみたいなのに状態が違うね」
陸はテーブルに顔を近づけ、紙の曲がり具合を確かめた。
「一枚目を書いてから何枚もめくった後に二枚目を切り取ったっていう感じ?」
「そう、りっくんの言う通り。あたしの想像だけど、一枚目を書いたときと二枚目を書いたときでは魁人くんの考えは違っていたんじゃないかな」