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『あわいのプロジェクト』について

はじめまして。
あわいのプロジェクトと申します。
私たちは、「演劇の技法をベースとした社会実験ユニット」として、活動を開始しました。
私たちの活動を多くの方に知っていただくために、私たちがどんな思いをこの活動にこめているのか、何をしようとしているのか、それをまずここに書き記したいと思います。


1. 『あわいのプロジェクト』、その由来

あわい【間】
1)物と物とのあいだ。
2)時間と時間のあいだ。
3)人と人とのあいだ、関係性。
4)色の取り合わせ、配色。

古来より日本は、”あわい”に対し美を見出す風習がありました。
例えば外(庭)と内(室内)との中間に位置する縁側。
例えば宵の闇が徐々に白みはじめる早暁のころ。
例えば長年連れ添った夫婦の、いろんなことをともに歩んだ関係性…。

お互い違う物同士が、溶け合い、混ざり合い、寄り添い合う。
そこに人は美しさを感じ、慈しみ、大切なものとして受け入れてきました。

「違い」があるからこそ楽しい。
「違い」があるからこそ美しい。
「違い」があるからこそ愛おしい。

「同じ」に対し安心感を感じるというのは、人間の性質としてたしかにあるでしょう。
「同じ」であれば、そこには予定調和、つまり予測可能な世界が生まれる。
「青」の世界はどこまでいっても「青」であり、それはどこにいても、いつまで経っても同じ「青」。
しかしそこにある日、たった一滴の白が落とされる。
たったそれだけで、世界は一変する。
そこにあった「青」は、もう昨日までの「青」とは違う。
例えわずかでも、それはもう違う「青」でしかない。

「どうしよう、どうしよう。昨日までと色が変わっているなんて。これから何が起こるかわからない。一体ぼくはどうしたらいいんだ…」

予測ができないということは、人を途端に不安の淵に陥れます。
だからこそ人は、「違い」に対して恐怖し、排除し、時に攻撃もしてきたのだと思います。
歴史上人類が辿ってきたあらゆる「差別」というものは、根っこの部分ではこういった人間心理というものが少なからず働いていたのではないかと思われます。

しかし「違い」があり、そこに距離があり、そして距離を感じることで寂しさを感じて。
そんな寂しさを埋めたくて、一生懸命努力して、そしてその距離がほんの少し縮まって。
きっとそれが、「人が人を愛する」といういとなみなんだろうな。
一度距離を感じるからこそ、そこから一歩近づけた時に初めて、相手の温もりを感じることができるものなのかもしれない。
そこから見える「青」は、昨日までの「青」とは確かに違うけれど、でもそこに広がっているのはきっと、どこまでも澄みきったスカイブルーなんじゃないかな。

”あわい”とは、お互い違う物同士が、溶け合い、混ざり合い、寄り添い合う場所、空間、時間、そして関係性のこと。
そこには不安や苦しみはあるけれども、でもだからこそ、美しく、温かく、愛おしい。
そんな”あわい”の価値を、私たちがもう一度見つめなおすことができたなら、「違い」を楽しみ、違うもの同士が肩を寄せ合い共に暮らすことができたなら、私たちの社会はもっと温かいものになる。

”あわい”の価値の再発見、それが『あわいのプロジェクト』のテーマです。

2.ロゴに込めた思い


『あわいのプロジェクト』は、”あわい”の価値の再発見をテーマにしています。
「違い」あるからこそ楽しい、「違い」があるからこそ愛おしい。
ロゴではその「違い」を、さまざまな色、さまざまな大きさの円で表現しています。
その「違い」を受け入れ、その個性を大事にしながらも、一つの場所に寄り添い合う、お互いに与え合う。
きっとこの円たちは、どれか一つ欠けても、あるいはまた別の円が一つ加わっただけでも、印象がまるで変わってしまうと思います。
つまりこの円たちは、ただ支えられているだけではない。
色の違いや大小関係なく、必ずお互いに影響を及ぼし合っている、何かを与え合っている。
能力や性質に関係なく、あらゆるものはただ存在しているだけで、誰かに何かを与え得る。
生産性とか、合理性とか、そんな言葉では片付けられない価値がそこにはあると思うんです。
そして、平仮名の「あ」「わ」「い」「の」も、みんなてんでバラバラ、あっちこっち別の方向を見ている。
それでもみんなちゃんと一箇所に集まっているんですよね。
そこにおかしみとか、愉快な目で見ていただけると嬉しいなと思います。

3.なぜ「演劇」なのか

演劇の舞台というものが、”あわい”そのものだと思うからです。
演者と演者、あるいは演者と観客が、舞台という一つの空間を共有し、影響を与え合い、一つの作品を作り上げています。
そこで生み出されるものは虚構の世界だけれども、虚構だからこそ納得できなければまたやり直すこともできる。
しかし一方で、その空間はその瞬間だけのものであり、パッケージ化して保存することができない。
つまり二度と同じ空間は作れない、極めてライブ感溢れる芸術です。
私たちの社会も、一緒だなあと思います。

社会の中で、人は自分の感情であったり、喜怒哀楽みたいなものを隠しがちだと思います。
それもたしかに必要だけれども、すべて隠すことが果たして「善」なのか?

相手に「素敵な時間」を与えようと思ったら、まず自分が自分自身に正直であらねばならないと思います。
自分が楽しくないのに、相手を楽しませることはできない。それはいくら隠していても必ず伝わっています。

演劇の優れているところ。
それは演劇というものを通して、まず自分の心の在処に気づき、次に他者を観察し、そして自分と比較することでその「違い」を知ることができる。
また、演技というものは自分の心であったり、感情というものを否応なしに曝け出すものでもあります。
そして演劇の場においては、舞台上で起きていることは絶対に否定せず、まず受け止めようとする態度が根底にあります。
自分が曝け出したその心は、すべて肯定され、そこから物語が紡ぎ出されていく。
演者が演劇を体験するというのはそういうことなんだと思います。

「自分を曝け出してもそれを受け入れられる」という体験。
現実世界で他者と関わる時に、自分の心をすべて曝け出してしまうと、それは摩擦が起きてしまうと思います。
だからと言って、すべて隠さなければいけない訳ではない。
大事なのは「今のあなたと私であれば、これくらいまでなら出していいかな?でもこれ以上出してしまうと、あなたを傷つけてしまうかな?」ということに思いを巡らせること。
一般論で語らない。今目の前にいる「あなたと私」を感じること。
そのためには、「自分を受け入れられる」という体験は、その想像力や感受性をより一歩前に進めてくれる。
演劇はその助けになる、その力があるのだと強く思います。

日本社会では、どちらかというと、自分を隠すということが美徳とされてきた社会かもしれません。
でもこれからの社会が「よりよくあろう」とすれば、もしかしたらそれだけでは不十分なのかもしれないですね。
そういったことを考える時に、「演劇」という世界が培ってきた考えや哲学は、私たちの大きな助けになるような気がしています。

4.活動内容

まずは”発信”が主な活動となります。
具体的にはワークショップの開催、そしてSNS等を活用した発信です。
大したことはできないかもしれないですが、それでも存在することが誰かに影響を与えることです。
少しずつでも、私たちの活動に賛同してくださる方々が増えると嬉しいですね。

”あわい”から生まれる社会、みんなで考えていきましょう。

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