
いつまでも憧れ
女子のこころをいつまでも忘れたくない。40も過ぎると、人生たいがいのことは、まぁいいかと気にしなくなる。メイクや体型についても、若い頃は毎日少しでも綺麗に可愛く見えるように努力したものだ。ファッションもヘヤースタイルも毎月雑誌を見ては真似したりしたものだ。それは、異性にモテたいという気持ちからかというと、それだけではなかった。内側から出てくる生きるエネルギーのような力からだったように思う。周りの友達を見たりして、私もああしようとか、私は私らしくとか思っていた気がする。やはり20代が一番美的向上心が強かっただろう。年々年を取り、私は、今や40代だ。20代の時のような美的向上心が弱くなった事を、日々感じている。私は、このまま衰えていくのかと恐ろしささえおぼえている。私の日常は、大病をしてから質素な物だ。キラキラしたことさえ考えなくなってしまった。病気にエネルギーを取られて、坦淡々としか暮らせなくなってしまった。もし、私にもう少しエネルギーがあれば、学校で学んだことを生かして生きていってるだろうなと思っている。それは、裁縫だ。美術大学を卒業した私は、卒業後、もう少し美的なことを学びたいし技術を身につけたいと思い、洋裁学校に入学した。働きながら夜間での洋裁学校だった。洋裁と、和裁と、ニット(編み物)を学べる学校だった。卒業後は、オートクチュール(オーダーメイド)の技術を身につけて生きていけるくらいになれる学校だった。私は、日中の仕事と、夜間の学校の両立が難しく、一年目でその洋裁学校を辞めた。しかし、止めるまでの期間に学校で学んだ洋裁の基礎や刺繍の仕方、布の扱い方は、身に付き、嬉しく思っている。最後まで通えなかったので、オートクチュールは、私には出来ない。しかし、先生が言っていた言葉が今でも忘れられない。それは、自分の体型を測って、自分の体型に合わせて作られた服はとても着やすくて動きやすくて、既製服とは全然違う、ということだった。私は、洋裁学校で、はじめてオートクチュールという言葉を知った。ヨーロッパの洋裁の言葉だという。昔は、ヨーロッパでは、オートクチュールでウエディングドレスを作って着るのが素晴らしいとされていたそうだ。
私は、独身で結婚もしていないから、勿論ウエディングドレスも着たことがない。しかしながら、洋裁や服に興味があり、昔、通っていた学校の授業で、ドレスについての授業を受けた私。オートクチュールの立体裁断のドレスに憧れた。自分で作れたらどれだけ嬉しいだろう。もう、今は、学び直すエネルギーは、残っていないが、せめて、オートクチュールのドレスを着る夢は、見ていたいものである。出来れば叶えたい夢だ。女としても、そこだけは、持っていたい美的向上心だ。