「エントシャイデン/entscheiden」第1章
file:1 やっとプロローグのようです
「おっはよーござっ、ふごっ」
すみませんすみませんすみません、朝はちょっと調子に乗ってたんです。迷惑かけないように日陰でジメジメしているので。ナメコやナメクジよりもジメジメしとしとしている自信はあります。めちゃくちゃ保湿できる湿度を保つことにおいて私の右に出る人はまあまあいるけど、そんなにいないと思います。なので、窒息させないでください。私は無害な陰キャなんです。
「もごっ、ふぁ、え?」
社員寮と同じ建物にある昨日のシャレオツオフィスに入室すると、口がまたしても塞がれた。残念なことに唇とかそんなロマン展開はない。布の感触。合成繊維の触感。
今朝の驕り高ぶった心情が筒抜けになったのかと必死に謝ったが、声にはならず。私の口は、前世で何かやらかしたのか? そんな身体の一部に関する前世の業なんて、私に押し付けられても困る以外なにも手段がないのだが。
なぜこう、毎回封印されるんだ。
口に当てられたものを辿って見ると、儚げ美青年が存在していらっしゃった。
「着けろ」
「……ぷはっ、うす」
長い物には巻かれますし、権力には媚を売る。これぞ社会人の鉄則。上司には、内容関係なくはいはい言っとけって社会を生き抜くコツ動画でやってたんだよねー。今初めて使ったわ。感動。
掴んだのは黒マスク、まさかの儚げ美青年とお揃い。テンションアゲ。
「どこまで聞いた?」
儚げ美青年と無事おそろになってからオフィスのソファへ促され、高級そうなクッションにお尻が昇天する。いや、もうここが召される先なのかもしれない。
「おい」
「このモフモフたまらんです。良き。モフモフというより、フカフカ。フカフカというより、もちもち。プラスしっとり。最高じゃないすか」
「聞いてねぇな」
儚げ美青年がため息をついたところで我に帰る。やべぇ、なんも聞いてねぇー。
「何をおっしゃる。聞いてましたよ」
しったかぶって上手くいった試しは、一度もないな。まあ、奇跡の一度目がここで起きる可能性も。
「じゃあ、答えられるな」
あ、死にましたー。
「……くっ、もう一回、お願いします!」
「……なんでそんなに悔しそうなんだよ。お前の顔、ギャンブルに少ない全財産かけるタイプのバカ好きに似てるわ」
「恐縮です」
「……話進めるぞ」
何かを強く踏みとどまった儚げ美青年は分厚い本を取り出した。
「これを読めば、まあ大体の一般常識は分かる」
「ほう」
大体とはいえ、一般常識がこの分厚さだけにとどまってるって、私の夢、設定甘過ぎません?
「本の中は日夜更新、増ページを繰り返す。内容は見た目の最低数億倍あると思え」
「なるほどっす」
無理だわ。読めとか言われたら、せっかくの内定を蹴ってしまいたくなるほどに嫌だ。加えて、さらりふんわりと魔法の書登場。
「読め……と言いたいところだが」
あ、無理っす。できるかできないかで言われたら、やっぱ普通にできないです。内定ってどう断るのか知らないんだけど、それもこの本読まなきゃいけないのか。おふ、無理。
「まあ、無理だろうから、俺が大まかに説明して、必要な時に補うって感じで……」
「大賛成っす。まじ感謝」
憎むべき魔法の書に置かれたおててを思わず奪取して強く握る。はあ、すべすべ。
「そうだっ、な」
儚げ美青年の手は、強く拘束した私の囲いから颯爽と逃げた。
「まず、お前はここの部隊に仮で所属することになった。じいさんの采配だから、文句はそっちに頼む」
「文句ないんで大丈夫っす」
「そうか、気が合わねぇな」
「え?」
なんだか聞き捨てならない言葉が美麗な殿方から聞こえた気がする。気のせいかな。私の心臓をクリーンヒット(落ち込ませる方向の)しそうな真実が隠されていたような。
「ここはビブリオテークと呼ばれる国の治安維持に関する公的機関。正式名称は、長いから聞くだけでいいが、『図書省ビブリオテーク庁機動捜査課国家保安部隊第1特殊班』。働いているのは全員ビブリオテーカーだ。お前みたいな奴な」
「ほう、つまり、皆んな変人」
「ちげえ」
「すまんでござる。でも拙者、ビブリオなんちゃらからもうついていけないでやんす」
「ビブリオテーカーのことか?」
「それっすね」
「そっからか。本当に何も知らないみたいだな」
申し訳なくて視界が下がっていく。
『こんなところで躓くなんて、本当に出来が悪い』
そんなこと、分かってるんですよお母様。出来が悪くても、私は頑張ったじゃないですか。
戦線離脱した後も、ニートとして分を弁えて、隅でこそこそ生きているというのに、何が気に入らなかったんですかね。あれかな、綺麗な部屋だと、マクロレベルのホコリも気になっちゃう現象かな。
まあ、存在そのものが許せないのでしょうけど。ホコリはゴミ箱へって相場だよね。
「ほんと、何者だよお前。どんな環境にいたらそんなことに」
儚げ美青年はクスッと笑って、バツが悪そうに手で顔を隠した。
「悪い、揶揄ったわけじゃ」
「いえいえ、むしろ笑い飛ばしていただいてもろて。無知は罪ですから」
知らないということは、土俵に立つ以前の問題だ。勝負は始まる前に決まっている。いかに知識を持つかが全てを左右するどころか、全てを決めてしまう。
だから、自分の無知を知らなかった私は、負けが確定した状態で勝負して負けて、病んだ。分不相応なものに憧れた。自分の分を知らなかった。知ろうとしなかった。自業自得だ。
「違うな。無知にさせるのが罪だ」
儚げ美青年の目が私を射抜く。それは意図的にではなくて、すぐに「続けるぞ」と目を逸らす。
少し、胸が熱くなった気がしたのは、気のせいだ。センチメンタルが晴れて、頭がクリアになったから、気分がいいだけ。
「ビブリオテーカーは、治安維持にかかわる公務員だ。名前のまんま。お前みたいに、【定義】の能力がある」
「【定義】といいますと?」
「お前が渦に巻き込まれただろ。アレを作ったのがお前で、渦はこの世界の亀裂だ。亀裂は【定義】することで生まれる」
「その【定義】ってのは、辞書的な意味でとっていい感じっすか?」
「そのままだな」
「なぜ?」
うーむ、ちいとばかしこんがらがってきましたな。定義して亀裂が生じる。何故に? 専門書読んでるみたいな。専門用語ありすぎて意味わからん。
『メモ取りなさいよ、すぐに覚えられないなら。ああ、これもすぐ忘れるのか。頭悪っ。メモすることをメモしなきゃいけないって、不憫ね』
そうでした。学習しなさすぎだ、私。
「お話し中失礼します」
挙手をする。
「なんだ?」
「メモとペンか何かください」
「そうだな、気がつかなかった。……これでいいか?」
まっさらなコピー用紙とボールペンが差し出される。
ここで一言。
儚げ美青年よ、キャラ、忘れていないかね?
なんか、優しくないかね?
顔が良いだけのいいお兄さんになっていないかね?
拙者、「それくらいてめぇで取りに行け!」を期待していたでござる。
(一言ではなかった。四言だった)
file:1-2 この世界feat.ブラック企業
―― つまりは、こういうことらしい。
まず、この世には魔法はないが【定義】がある。
まあまあ魔法だが、どちらかと言えば特殊能力に近いのかもしれない。
一人一つ、【定義】の能力を持つ人はその力によって独自に【定義】した言葉と共に人智を超えた創造の能力を得る。ビブリオテーカーとは、そういった人たちの集まり。
私がやらかした黒い渦は、定義が抽象的で曖昧な場合に生じるらしい。その渦は放っておけば世界を覆い尽くし、全てを飲み込む。
分かりにくいだろうから例を挙げると、「普通」を「なんとなく大きい」と私が考えて定義してしまうと、「大きい」がどの程度か定義されていないため無尽蔵に膨張する。だって、その「普通」の大きさが物理的な大きさでない可能性は否定できないし、その規模が銀河系より大きい可能性も否定できないから。
否定できない限り、可能性の全てを網羅するという素晴らしい企業理念の元、限界を超えた世界が過労死寸前で提出する辞表。
それが、渦だ。
解消(受理)されなければ崩壊(自殺)する。ブラック企業で崩壊するのは一人ずつだが、【定義】による渦は連帯責任。
渦を解消しなければ全てが滅ぶ。
ブラック企業にシンパシー感じてるのかな。どっからどうみても渦=ブラックホールだわ。
良い責任感をお持ちだ。
そんなわけで、私のやらかしは思った以上に大事だった。
そりゃナイスミドルが殺処分考えるわけですわ。だって、世界の終焉を引き起こしかけた張本人ですもん。テロリストまっしぐら。政治犯どころの騒ぎじゃない。
むしろよく生きてた自分。偉いぞ自分。何もしてないけど。――
「てな理解で宜しかったっすか?」
「後半の反省は別に聞いてねぇ」
「大丈夫です。個人の感想です」
「……説明は、理解したってことでいいな」
今絶対「何が大丈夫なんだ? コイツの頭がか? なら全然大丈夫じゃないな」って思いましたね。美しいかんばせに出ておりますよ。そうですよ、その調子で罵って! 言葉に出して全然問題ないんです! あ、でもノンバーバルコミュニケーション(非言語的会話)もあり。尚、萌える。
「いいっすね……」
優しいだけなんてつまらない。そこまで顔が良いのなら、優男よりもちょっと尖ってるほうが良いです。しかも、無理して虚勢を張っているいじらしさ、理由如何で心臓を捧げる可能性があります。推せます。
「そうか」
私の心中を知らない儚げ美青年は面倒ごとがやっと片付いたとソファに背を預けた。
顔が良い。そして、長い脚を不揃いに大きく開け悪ぶろうとしている健気さも良い。ただガラが悪いでも問題はないが、欲を言うなら顔にみあった性格でなおワルを目指しているのがとても良い。別にこの分野がすごい好きとか、ギャップ萌えしか勝たんと思っていたわけではなかったけど、この儚げ美青年のスマホを蹴り飛ばして泣かせた瞬間から新たな扉が開いたんだから仕方がない。
人は優しいほど良いと思っていた時期が懐かしい。スパダリ漫画を追いかけていた疲れ切ったあの頃が遠い昔に感じる。
やっぱりギャップ。これしかない。疲れているからこそ、本心じゃないけど頑張って強い言葉を使うヘタレ系ヤカラの言動は安心して愛の鞭だと思える。なにより、ハムスターが小さい体を頑張って広げて「自分はこんなに大きいから強いんだ!」とぷるぷる震えながら頑張っているような感じで庇護欲をそそる。
「おい」
良いですね。とても良き。可愛いとかっこいいの融合はもうそれ神じゃないですか。
「また聞いてねぇな」
なんか人間疲れると癒しを求める傾向にあるという都市伝説があったんですが、私は一日中壁を見るしか脳がなかったので確認できなかったんすよね。まじ、癒し大事。セラピーとか通ってみようかな。
「林檎が言ってたの、何だったか。あ、雇用契約書」
「こようけいやくしょ!」
無意識の領域が体を動かした。気がついた時には儚げ美青年に馬乗り寸前だった。もう、反射といっていい。
「お、おう」
「……さーせん」
きっっっまず。顔が、超至近距離。迫ったのは私だから文句は言えないが、綺麗すぎる顔を至近距離で見ると健康被害があるってご存知ですか? サングラスが必須なんですよー。
コーヒーテーブル様というものに分不相応にも乗り上げていた膝を撤退して、もとの距離感に戻る。
にしても、いきなり「こようけいやくしょ」って言われたら、反応するじゃないですか。潜在能力フルに使って普段の百倍くらいの速度で動いたよ、さっき。
「それで、この部隊の奴ら全員召集かけたから、今から来る。特に準備しろっつーわけじゃねぇけど、心づもりはしとけ」
「うぇい」
「ん、あとはない。俺からは以上だが、なんかあるなら聞くぞ。ただし、無駄口はやめろ。長文もやめろ。簡潔に、要旨だけを伝えろ」
好き勝手に喋ったのがそうとう応えたらしい。儚げ美青年は脚を組んで腕も組む。防御体勢取るくらい、私の話はウザかったんですか? まあ、止めませんけど。
こうなったら、とことん突き抜けるが吉。絶妙に嫌がられることだけは避けたい。これからも良いお付き合いができればと思っているのだ。
そうだ、良いお付き合いといえば、
「ご趣味は?」
口から言葉が滑り落ちた。
そして、今更ながらもしかして趣味の話は無駄口に入るのかもと気がついた私は、とりあえず趣味を何よりも重視する人間性であるという路線で今後やっていくことを決めたのだった。
file:1-3 爽やかなパワハラ(被害妄想)
「ゲームよ。それしかないの」
「ないよりマシだろ」
しっかり密閉してそうなドアの開いた音がした。声の先には、うん、なんか、圧がある。なんか知らんけど、圧が凄い。
「久しぶりね」
圧が、圧が服を着てこちらに向かってくる。ちょ、顔を直視できないのですが。なんか、デジャヴ、激しくデジャヴ。
義務教育の獄卒どもを彷彿とさせるのですが。夢の中でまでエンカウントとか、やっぱりついてない。認知されてるんだけど、通知表最悪なパターンじゃないですか。
「初めて相見えました、大変申し訳ありません」
「……病院も行かせなかったの?」
「病院には行かせていただきました、大変申し訳ありません。息してて耳障りでしたよね、大変申し訳ないでございますです」
「検査結果はまだ出てないのに仕事させるって、いつから道徳心どころか心そのものを失ったのよ」
圧が具現化したようなお方は、儚げ美青年の革靴の先にピンヒールを沈めた。
ミシッて、グリっと、おお、凄いめり込んどる。
儚げ美青年は、桜のような儚さを増して脚を抱え悶絶。声にならない唇から吐き出される息の音がしばらく続き、やっとのことで大事に抱えた脚を離した。
痛そー。
「俺に言ってたのか?!」
「他に誰がいるのよ」
「っいてぇな、お前、やっぱり女王キャラ目指してるだろ!」
「あ゛? もう一度言ってみなさい、今度はその無駄にお綺麗な顔に穴が開くわ」
高そうな革靴に、穴が。ああ、勿体無い。ん? 顔に、穴開ける? 儚げ美青年様の? ちょっ、そ、それは辞めていただきたい。文化財、いや世界遺産とか壊した罪に匹敵します。
「ちょっ、ぁの、ぇぇ、そ、損害賠償がエグいと思います!」
コーヒーテーブル様にまたもや乗り出して、なんなら台パンして、目を瞑りながら声を裏返すチビ女ほど醜いものはないと思うのです。
ええ、なう。
やらなきゃよかった。後悔している。後悔ついでに、恥もかき捨て世は情け!
「は?」
「っ、すみませんすみませんすみませんすみませんすみません、生きててすみません」
「そ、え?」
「あのでも、なんか、どうにかこうにか、あれするじゃないですか。は、儚いものは保護してあげようというのが教育方針というか教育理念といいますか、どっちかっていうとポリシーって感じです。わたくしめがというわけではなく、世界的に。私が世界を語るのも大変失礼な話であるのは承知しているのですが。世界遺産とか、儚げ美青年様は保護して差し上げるべきかと、損害賠償が大変なことになると思うんです。保護されるべき立派な御尊顔をされていらっしゃいますし。人は内面だとかいう奴もいますけど、所詮人間の価値基準は圧倒的に顔面なんでございます。と、非才のみではございますが愚考した限りで、ございます」
尻すぼみがすぎる。でも、まあ、ここでこの夢は終わるから良いのかな。権力に楯突いてしまった。きっと、これがしたいがためにこんな夢を見ようとしたんだ。現実じゃ、気配で資源回収の段ボールみたいに潰されて身動きが取れないだけのゴミだからね。
グッバイ、こようけいやくしょ。
儚い夢だった。
「えっ、ふふ、ちょ、なんて?」
権力者様が、お笑いになっていらっしゃる。ツボがわからない。やはり、権力を持つとお笑いのセンスまで変化するんだなぁ。
「も、もう一回、今の、ふふ、コイツのこと、なんて呼んだ? っふふ」
「儚げ美青年様っすね」
「あはははははははははは、ハハハハハハハ、ひぃ、ふふふふふ……、あー、喉痛い」
「恥ずい呼び方すんな!」
「ふふ、はっ、的を射てる。被ってる皮膚だけならね。中身は遅れてきた反抗期から抜け出せないガキよ」
「は?! 反抗期じゃねぇよ」
「しかも、思春期じゃないのよ。ここ大事、反抗期」
「だからちげぇ」
「だから、青年ではないわね。訂正するなら、皮だけ儚げ美ガキ」
「せめて少年にしろよ。ガキじゃ語呂悪い」
「あら? あらあら、美少年って呼ばれたかったの? 無駄なあがきはやめて、もうそのギャップが可愛いと許されていたころには戻れないのよ」
「なっ、ちが……はぁ、いい、もう」
おう、バブりたいという偏向報道に屈してしまわれた。
気まずいかもしれない。もしマジでバブりたいのであれば、距離を取りたいかもしれん。私に包容力や母性なんて暖かみのあるふわふわとしたものはないし、でも、あんなにお美しいと求められたら従ってしまいそうで、うぇ、自分が誰かを甘やかす姿なんて想像しようとするだけでキショい。
想像してしまった。腹の中でどす黒い渦が外に出るのを窺っている。
「煽るの飽きたわ。刹那、さっきの流れ、一切合切忘れてちょうだい」
圧を体現した女性は、気持ち悪さに苦悶する私を見て話を切り上げた。続きそうだったのに、何でだろ。
皮だけ儚げ美少年様(仮)は慣れたように、しかし気に食わないようで頭を抱えてため息をつく。
「それではいそうですかって受け入れるやつは絲くらいだと思うぞ」
「揶揄うのが趣味なのよ。私の日々の楽しみを否定するの? 人権侵害よ」
「そうだな、俺が悪かったんだろうな。お前が勝手に始めた気がするのは、きっと俺の気のせいなんだろ」
「わかってるじゃない」
皮だけ儚げ美少年様(仮)は目を閉じて何かを必死に消化していた。たぶん、色々なものを。
でも、圧の具現化でいらっしゃるお方には少し慣れてきた。うん、大丈夫、似た雰囲気だけど、あいつらじゃない。
ちゃんと豪華絢爛なロイヤル迫力美女。
女王様ァァァってスライディング土下座したくなる。そういう爽やかさがあった。
file:1-4 自己紹介で測る常識度
「ところで可愛いお嬢さん。私は久城凪と言います。なぎ、は凪いだ湖畔の凪、って例えでうまいものがないのだけど、よろしくね」
名前にあわな、っごほん。
そういえば初めて名乗ってもらったな。皮だけ儚げ美少年様(仮)も、名前が分からずしょうがなくつけたから。
「間違っても、脱力男と顔だけ男に倣うことだけはよして。特に、呼び方」
「脱力、おとこ」
脱力系はどなたのことだ? 顔だけ男は、わかりきってるけど。
皮だけ儚げ美少年様(仮)を見ると、視線があって、それから静かに目を閉じられた。異論、ないんですね。
「おっけーっす。凪姐さん」
「うん、いい子」
ねえさんのところに「姐」を当てがったことは秘密だ。
皮だけ儚げ美少年様(仮)は重大なことに気がついたとハッとし、凪姐さんの自己紹介中に目を泳がせていた。明らかに動揺してるな。
そうです、名乗ってないんですよ、あなた。
「城戸刹那だ。女同士の方がやりやすいだろうから、凪、こいつの面倒頼む」
顔だけ発言に反応する余力もないらしく、姐さんのお話が終わると自己紹介を捲し立てた。
稀に見るよな、自己紹介を捲し立てる光景。
「あんたからの頼みなんて当然断るところだけど、まあ今回はやぶさかでもないわ」
「素直にわかりましたっていえねぇのかよ」
未だに圧、いえ凪姐さんのお顔を確認できずにいる私である。なんか、気にしてくれてるような、そんなに怖くないんじゃないかという空気は多分に感じている。
でも、醸し出される雰囲気がトラウマを刺激するもので、顔面は床と並行を保っているのである。
ああ、申し訳ない。っていうか、こういうのを失礼な態度って言うんだよな。
いくら非常識なニートである私にだって、自己紹介されている時に目を合わせないどころか床を見つめてるなんて道徳的にあり得ない範疇だと言うことは先刻承知なのだ。
本当に、ただの気のせいなんだけど。一度下げてしまった頭は、ナニカに後頭部を鷲掴みにされて床の方向に圧されていると錯覚する。
垂れた頭を上げるのって、相当な力が必要だ。
夢の中ですら、背伸びすることもできない。
こんな具合に物事を難しくして言い訳して、結局私は独りになって、それを不遇のせいにする。
「おはよーございまーす」
「……っす」
聞き覚えのある可愛らしい声と、声の印象が分からないほど小さい声が入室を告げる。
「おはよ。こっち集合ね」
「はーい」
「……はぁ、休みだったのに」
「奇遇ね絲、私もよ」
わかります、迷惑かけてますよね。我ながら厄介者だと日々残念な気持ちにさせられます。
「前話した、新人だ。自己紹介」
「……え、僕?」
「絲さん、最初にどうぞー」
「えー、あー、はい。西宮絲、です」
シンプル。とてつもなく最小限。
「速水林檎。不要な話はしてこないで。うちの人間に媚びを売っても、いいことなんてないから」
私、知らないうちに何か気の触ることを……した記憶しかないっすね。なんせ、無知なテロリストだったわけで、すんなり受け入れろって方がむずいっすね。
できればあなたと仲良くしたいと言いますか、裸の付き合いができるくらいイチャイチャしたいと言いますか、その豊満な胸部脂肪に包まれた、っごほんごほん。
下心が潜んでいなかったのかもしれない。
「どもども、よろしくお願いします。絲さんと林檎さん」
林檎ちゃんという呼び名は、心に秘めることにした。
「呼び捨てでいいですよ」
「えっ?!」
絲さんを見てなぜかゴスロ、林檎ちゃんさんが驚いていらっしゃる。あー、可愛いな。
あと顔埋めたい、っんん゛。どこにとは言ってない。
「いやいや、新参者っすから。隊長と凪姐さん、林檎さん、絲さんで呼ばせていただきます」
先輩とかつけたほうがいいのかもしれないけど、林檎ちゃんさんが絲さんって呼んでたし、結構フランクな雰囲気だから大丈夫だろう。
社会人と言ったら苗字呼びだと思ったけど、初手で封じられてしまった。
「じゃあ、メンターは凪に頼むってことで」
「あ、ちょっと待った」
入り口から新たな人影。静止の声に続けて壁をノックする。
ここの人らは、入室後にノックをする風習があるのだろうか。
「喜多、入る前にノックしなさいよ」
おお、隊長が「お前がいうのか?」ってすごい訝しむ目を向けている。
「すみません、林檎さん。皆さんもお揃いで」
爽やか大型犬、だな。
「初めまして、喜多理玖といいます。僕は、あまり接点がないかもしれませんけど、仲良くしましょう。久しぶりの新人で嬉しいです。ずっと後輩だったもので。経験浅い者同士、分からないことがあれば気軽に聞いてくださいね。基本的にカウンセリングルームにいますけど、必要なら応援に入りますし、ルームに来てくれたらお菓子とかお茶は出せますので。ちなみに、僕はティラミスが好きです」
か、輝いている。シャイニーな感じだ。
これが伝説の、陽キャ!
経験浅い者同士で聞いてもあんま意味なくねとか、そんな無粋なツッコミを忘れるくらい、発光しているよこの人。蓄光なのかな。発電なのかな。
そして分かる、これがスタンダードであるということに。流石の私でも、理玖さんと凪姐さんみたいに自己紹介から会話をスタートするのは定石だ。
つまり、私が仲良くなれるとしたら林檎ちゃんしかいない!
だって、私は非常識だから!
(釈明しておこう! 断じて林檎ちゃんが一番常識なさそうだなとか思ったわけじゃない。ただ、常識を気にしなさそうだなと思ったのと、理性が崩壊、いえ、本能のままに生きている感じが大変好ましいと思っただけなんです)
常識を身につける期間に人間種を拒絶していた引きこもりだから!
その後に凪姐さんの圧オーラを克服して、異性の友達を作り、ラスボス喜多さんキタコレ。
このルートなら行ける。できればメンターは初手林檎ちゃんがいいけど、同時攻略しますか。
「新人さんのお名前をお聞きしたいのですが、まず要件を先に済ませますね。メンターのことですが、城戸さんに固定らしいです」
え? それは、嬉しいやら悲しいやら。
初っ端から両手に華計画が崩れたことは、まあ全然よくないんですけど。
なによりもまず私、名乗りたくないんですが。
file:1-5 BのL、それは、新境地
「は? どういうことよ、喜多ァ」
「林檎さん、僕に詰め寄られても」
詰め寄っているというか、襟を掴んで首を絞めているというか。
絞めてるな。
いい感じに襟の空間がショートカットされて、首が線状に白くなってる。
ふむ、良い絞首っぷり。
「長官からの指示で」
「絲先輩!」
林檎ちゃんはまたまた絲さんを見る。
というか、先輩呼びはアリだったんすね。最初に臆せず呼んでおけば、ベーシックな社会生活に良いスタートが切れたかもしれないのに。ああダメダメ、無礼に図々しくなるって決めたんだから。
「知らない。関与してないから」
「でも、それだと凪先輩とリーダーが……」
よく分からないけど、攻略対象がピンチだ。めちゃくちゃ落ち込んでる。ここは慰めて好感度アップを。
「大丈夫ですか? り」
「はぁ? 大丈夫なわけないでしょ。っていうか、あんたが元凶なんだから黙ってなさいよ。本当に、許容範囲を超えるの。やめて、ああもう、私に関わらないで。あなたがいなければ、」
「林檎さん、それ以上は」
林檎ちゃんが言いかけて、喜多さんが口を手で塞ぐ。可愛らしいスケールの攻略対象を覆う大型犬系男子、スチルかな。たすかる。
盛大に嫌われてるなあ、私。
テロリストとは、やっぱりお友達になれないかな。ちょっと期待してしまった。望みなんて最初からなかったのに。これだから陰キャは。
「林檎さんは、久城さん、しばらくお願いします。城戸さんと新人さんは、ちょっと僕とお話ししませんか?」
気まずい空気の中では、頷くしかなかった。
――atカウンセリングルーム
「さて、まず林檎さんの件は、よくあるので気にしないでください。と、言っても気にはしますよね」
単刀直入だった。
カウンセリングが始まりそうな部屋に(カウンセリングルームって書いてた)通され、着席するとすぐに本題。これでカウンセラーだったら、本当に殴打療法とかやってそう。
「それは、私がテロリストだったからとかそういう理由なのでは?」
というか、100パーそれだと思う。
刑務所から出所してきまして本日からお隣に住まわせていただきます、なんて引っ越しの挨拶されても普通に怖い。絶対関わらないようにするし、何か問題があれば「やっぱり犯罪者ね」って思う。
テロリストも、要は過激派なわけで、犯罪者なんだよな。その人にとっては正義であっても。
「別件だ。なんなら、多分うちの隊で一番やらかしているのは俺だしな。林檎も知ってる」
ナニをやらかしたのか根掘り葉掘り聞きたいところだけど、いまはその時ではないだろうな。
私は空気を読める社会人。うん、我慢できる。
「ナニやらかした、っあ」
やらかしたのは私です。申し訳ない。馬鹿な塵がここにいます。好奇心に負けてしまった。抵抗できたの1秒くらいだ。
「ん? 国家転覆を扇動。転覆自体は未遂だけどな。あと少しだった」
「わりと良いとこいきましたよねー」
隊長は、そう言って出されたクッキーをつまんでいる。そんなあっさりいうてますけど、ヤバないです? それ。
「林檎さんの態度は、ちゃんと理由があるので、まあ、他人からしたら許容できることではないかもしれませんが。時間が解決すると思います。僕も最初、拒否反応が凄かったですから」
え、今もでは……、いえ、なんでもないです。
「狭量なんだと思えば、まあ我慢できるぞ」
「それは城戸さん、あまり林檎さんとつきあいないからですよ。女性同士、きっと僕らよりもつきあいやすいはずですし」
「あんな地雷だらけのヤツと付き合いたいなんて思うわけねぇなさだろ。初対面から態度最悪だったんだぞ。な?」
隊長様がこちらを見ていらっしゃる。同意を求めていらっしゃる。長い物には巻かれろと言いますし、まあ、巻かれておいてもいい……わけがない。
頬に何かが伝う。
「っぐす」
あれ? 泣くつもりなんて、なかったのに。というか、本当にそんなに悲しいわけでは。社会人失格だ、泣くなんて。
「えっ、おい、大丈夫か」
「うぇい」
「すみません、いきなりあんな勢いで詰め寄られたら怖いですよね。しかも、許してやれなんて簡単に。無神経でした、すみません」
「うっ、ぐす、いえ。違くて、その」
「配慮が足りませんでした。僕でよければ話してくれませんか?」
お優しい。この心の痛みを説明するのはちょっと恥ずかしい。でも、人前で泣くなんて、いかにも話を聞いて下さいみたいなことしたんだから、説明するのが筋だよね。
「すみません、本当に、ダメージがきちゃって。さっきは大丈夫だったんですけど、改めて考えると」
「そうですよね」
「好感度上げる系の乙女ゲームはしっかりプレイ経験があったのに、なんでって。でも、そういえば、攻略対象レディーじゃんって。あー、しくった」
目線を合わせて深くうなづいていた喜多さんの表情が固まる。
ですよね。こんな失態、ありえない。
「最低でも百合ゲーム、欲を言えばギャルゲーもプレイ経験値を貯めておくべきだった。あー、私のバカ。肝心なところで手を抜くなんて! いくら最近秘密の園へ行く道が解禁されたからとて、抜かり過ぎ。準備で勝負の勝敗が決まるのに、属性優位や好みも知らないなんて、エンカウントするにはまだまだ時期尚早だった。おもしれーやつが嫌いなキャラもいるのに、ついいつもの感じで乙ゲーの攻略法を試してしまった。一生の不覚! 初手から落とすつもりでいかないと良くないな。どうしよう、性転換するしかない? となると……、やっぱ無理じゃん。ギャルゲーとか、あんまやらなかったからなー。えー、お友達ルート逃しちゃったかな? また挽回イベントがあると信じたい」
まじ悔やまれる。
「冷静に考えれば、慰めて好感度ゲットなんてぬるい考えしてた過去の自分がキモくて仕方がない」
「今のお前が一番キモイぞ」
「そうっすよね。乙ゲーだけでなんとかしようなんて社会舐めプしてました」
「ギャルゲーと百合ゲーの経験値を生かしてリアルヒューマンを攻略しようとしている方の話だ」
「まじすか。やっぱ、生身の女を経験していた方が」
「言い方が生々しい」
噛み合わないような、息があっているような会話は心地よい。
なんか、いいな。社会人してる。
ところで、さっきから喜多さんがニコニコ笑顔で、なんていうの、幼稚園児のおままごとに犬として参加してる先生みたいに座って傍観しているのだが。
幼稚園児? 私はまあ、でも隊長にそんな目を向けて怒られないんだろうか。
「仲がよくて安心しました。新人の方がバディーを組むって聞いて、城戸さんが一任されるとのことだったから心配だったんです」
「凪だったらいいのか」
「まあ、久城さんは面倒見がいいですし」
「だよな、俺はむかねぇのに」
「……城戸さんも面倒見いいじゃないですか」
「とってつけなくていい」
「城戸さん良い人ですし、心配入りませんよね」
「思いついたようにおだてられると、さすがにイラッとするぞ。もともと気にしてなかったのに」
「あはは」
もう怒らせるために発したのかと思えるほど乾いた笑いを繰り出す喜多さん。隊長は不満顔。
目覚めそうだな。ナニカに。
俗にいう、boysのloveに。
file:1-6
キラキラにすらなれないネーム
「そうだ、新人さんのお名前」
「名前? カップリングのすか?」
私の中に萌芽しつつある、新たなラヴに気づくとは、喜多さん恐るべし。
なんて、そんな聞き違いも勘違いもしてないのですが、諸事情により罷り通させていただく。カップリングをしようとしているのも、嘘ではないしね。
「ああ、そう言えば名乗るタイミングをとことん逃してるな」
「そうですね。カップリング名は、欲しいすけど、それがしネーミングセンス皆無なんすよね」
「なんの話してんだよ」
「お二人の二次創作を見るためのタグの話だったじゃないですか」
これは罷り通らせて……。
「新人さんのお名前の話ですね」
「お前の頭の中でのみ話されていたことを現実に持ち越すな」
……いただけないっすね。夢なのに。
「刹那っていいですね。良いお名前。趣があるし、カップリング名考えやすい」
「いいから早く名乗れ。お前、ってずっと呼ぶのにも限界がある」
「喜多さんは……語呂合わせちょっと難しいっすね。刹理玖って、一歩間違えると殺戮になりません? スプラッターはご遠慮願いたいなと。理玖刹は、少しでも踏み外すと陸撮ですし、埃っぽいというか、土埃がいきり立っていそうで趣きに欠けますよね」
「……そこまで粘るほど嫌か?」
嫌なんですよ。例え夢の中であっても、名前は地雷なんですよ。よくぞ気づいてくれました! さすが儚げな外見しているだけある。この繊細な乙女心を分かってくれますね、隊長。
「ほら、全員お揃いじゃないじゃないですか。私、身の丈に合わず目立ちたがりなので、皆様の海馬の奥底にベッタリとくっついて離れない驚きを含んだ絢爛豪華な自己紹介をして、一発で覚えていただければなと」
陰の者の最下層から、か弱い元ニートがそう申しております。ほら、人名なんて全て数字にして仕舞えばいいと人生プレイしてたら人間誰だって思うはずでしょ。この世の全ては二進法で理解できるってコンピュータ様がおっしゃってるじゃないですか。「お前」呼びをこれからも継続キボンヌ。萌えるし。
林檎ちゃんは多分あの振り乱し方だとしばらく立ち直らないだろうし、これでしばらく時間は稼げる。
あ、今「時間稼ぎにしかならないだろ」って思ったそこのあなた!
今を生きろ。
「そうか、そこまで言うなら、……入れ」
そう安心していた束の間、隊長様は儚げなかんばせをいたく優しげに和らげて微笑まれました。
嫌な予感がいたしました。
重低音を響かせて開く扉。
おめめの血色が良い愛しのマイスイート林檎ちゃん。
ファビュラスな圧が凄い凪姐さん。
どうでもよさそうな絲さん。
振り返れば、繊細な乙女心を読んでなお優しいのは顔だけだった顔だけ男こと隊長。
繊細な乙女心を読めなかった喜多さん。
そろったなー。
そろっちゃったなー。
るんるるん(棒)。
「……では、それがしの出生後に親御から賜りました名称を発表させていただきます」
いい加減腹を括るしかない。肺以外の全身から二酸化炭素をかき集めて、大量に口から息を吐く。
それこそ、清水の舞台から飛び降りるよりも前に白装束に身を包んで、衣の左側を上にして、小刀を腹に突き立てて火に飛び込むくらいの思い切りを見せる時。
いざ! オーバーキル!!
テーブルに置いてあったメモとペンを引っ掴み、渾身の力で、なんならメモ用紙をペンで貫通させるつもりで書き上げた二文字を皆様の目前に突き出した。
「二型、もしくはバイコーラと呼んでいただけますと」
頬に手を当て、てへ⭐︎、と字幕がつけられそうな顔をしておいた。
本名を晒すなんて、恥ずかしっ!
「真面目にやれ。たかが名ま」
「面白いお名前ですね」
「数字を露骨に製造番号として使う名前初めて見ましたよ。ご両親はなかなかですね」
そうっすかねー、照れますねー。今即興で思いついたんですけど。
にしてもちょろい、喜多さんと絲さん。多分本気で信じてるのは喜多さんだけっぽいけど。
絲さんは、どうでもよさそうだな。無関心がキモチイイ。
「呼びにくいからコウちゃんでいい?」
「全然オッケーっす、凪姐さん」
「コウ、さっきはその、変なところを見せたわね」
「そんなそんな、とんでもないっす。むしろ全て私に問題があったまであります。全然モーマンタイです、林檎さん」
姐さんは完全に同情票、何かを察してくれている。ナイスなあだ名。そしてちゃっかり名前を使ってくれる林檎ちゃん、かわゆす。
さて、後は孤立した隊長が折れるだけですな。ニマニマ。
「何ほくそ笑んでんだ、まったく。お前がそれでいいなら、コウって呼ぶぞ、相棒どの」
「いいっすね、それ。相棒コウとお呼びください!」
「相棒を苗字にしようとかいわねぇよな」
「よく分かりましたね。さすがバディ」
「頭沸いてんのか」
「あははは」
これが沸いてるんですよ、生まれた時からね。
「では、年齢や出身、家族構成でも趣味でも、自己アピールでもなんでもいいのでしていただきたいなと。これから一緒に働くコウさんのことをなんでもいいので僕たちに教えてくれませんか?」
「なんか、いいっすね。ちゃんとした自己紹介って感じで」
「自己紹介って名前だけじゃないの?」
「俺もそうだと思ってた」
「あはは、ビブリオテーカーの施設にいるとあまり常識って身につきませんよねー」
喜多さん、隊長と凪姐さんに遠回しに常識ないって言ってません? いや、私が勘ぐりすぎなのかもしれない。素直な気持ちで社会人を謳歌するって決めたのに。
「じゃっ、お粗末なプロフィールで恐縮ですが。コウです、20歳です。出身は東京の中心から中心じゃないところにかけて、育つにつれて落ちぶれました。趣味はないですね。あ、オタ活だわ。ゲームとかっす。あとは、自己アピール、うーん、短所は多弁なところですけど、長所はある程度気分が落ち込んでいても明るく元気なことです、よく喋ります」
「よく一人であんなに話が繋がるわよね」
「あざっす」
一人遊びが長かったもので、基本自分の中で完結することを日頃から心がけさせていただいておりやす。よかった、沈黙は金雄弁は銀勢がいなくて。現実世界はこうもいかないよな。
「じゃあ、手始めに林檎さんの好物とご趣味とアレルギー、既往歴、ご自宅の住所に連絡先、よく使うコスメと香水にお気に入りのショップ、お通いのブランドなど教えていただけますと、私とても助かります。サロンとか、美容品何使ってます? 旅行好きですか? 温泉とかよりは観光地巡り派ですか? 美容院はどこに行って、どなたを指名されてます? そこら辺は開拓派ですか? お料理はされますか? 惣菜を買うタイプですかね? お部屋ってどんな感じですか? テーマ統一するタイプなのか、ミニマリストとかですかね? 小物や雑貨は興味ありますか? 甘いものはお好きですか? チョコはビターとホワイトどっち派ですか? 学生時代のアルバムなど、あ、ご実家の住所を教えて……」
『口を閉じろ』
「きも」
「……やっぱり、多少口数を減らすことを勧めるわ、コウちゃん」
隊長がマスクを浮かせて一言、口周辺の力がいきなり抜け、上唇と下唇が糊をつけたようにくっついた。
それ、便利ですねー。
しかし、そうか、これはキモいのか。攻略にはまず、入念な下調べが必要なのに。2次元の知識は思ったより適用できないなんて、驚愕の事実だ。いや、そもそもこういう情報はSNSか攻略サイト、公式のコメントに二次創作から摂取してた気が……、しまった、これじゃあ、まるでストーカーだ。
「もういいですか。どうせ皆さんキャラ濃いんだから、嫌でもそのうち分かりますよ」
「そうね」
「だな」
「では、僕たちについては追々知っていただくということで」
あくびをして明らかに私情で解散させようと企む絲さんに、隊長と凪姐さんがお互いに視線を向けて納得している光景はなんだか面白かった。それと同時に、隊長×喜多さんというカップリングが破壊されてる音が聞こえた。まあ、boysのloveは初心者だから仕方がない。大人しく自分の得意領域、隊長×凪姐さんに妄想を迸らせよう。
「あ、林檎さん、奥の部屋です」
「わかってる」
「すみません」
凪姐さんに続いてカウンセリングルームを出ようとした林檎ちゃんを喜多さんが呼び止める。
ほう、何かあるな。
file:1-7 夕方ってちょっと大人っぽい
カウンセリングルームからこっそりと林檎ちゃんのストーキング、いや迷子になったので聞くに聞けずに顔を知っている林檎さんの後についていったら、本当に知らない場所に出てしまった。ガチ迷子である。
人通りもなく、これでは建前として用意していた言い訳がカムトゥルー(come true)することになる。
自分の所在地を把握すべく、キョロキョロうるさいくらいあたりを見渡した。
視線が正面に着地する頃には、林檎ちゃんと視線が重なっていて心臓が跳ねる。
「山田華子」
長らく触れられることのなかった逆鱗を、思いっきし引きちぎらるとは。
「……知ってんじゃないすか」
思ってましたよ、そこまで記憶力がないわけじゃないのでね。
雇用契約書に流石に偽名を使うわけにもいかず、本名を使いましたとも。そして、ナイスミドルが読み上げた時はひりつきました。だって室内に林檎ちゃんが居たもんだから。でも、超能力がある世界だから、なんかいい感じにノイキャンに引っかかって、同じ部屋だけど聞こえない仕様になってるって、信じてた! のに! やっぱり夢の中でも私がうまくいくことはないのかもしれない。
「安心して、明日になれば忘れてるから」
「そんな都合よくできてたら苦労しないです」
「意外と都合よくできてるものよ、世の中」
では、その都合よくできている世界よ、今すぐ本名にだけモヤをかけてください。ナイスミドルと林檎ちゃんを含めた、私のくだらない汚点を知る全ての人の頭から、その言葉を消し去ってくださいな。
「その名前がそんなに嫌?」
「心の底から大嫌いです」
なんて説明したら、聞いた人の心象が良くなるかわからない。くだらないプライドだって打ち捨てられるのが関の山だと自分で思ってるうちは、一生トラウマだ。
「そう。なら、よかったね」
何がでござんしょう。明日には本名をバラされて、「二型」やら「バイコーラ」やらカッコつけた名を使おうとしたことを嘲られることでしょうか? 早めに苦痛が過ぎるからよかったね的な。
まあ、辛辣。
「明日になったら、また自己紹介してくれない?」
「へ、なぜにでございましょうか?」
出血多量なのに、明日もう一度刺すんですか?
やっぱり、ご実家の住所を聞いて卒アルを拝見しようとしたのはキモすぎたか。自業自得とはいえ、会心の攻撃。胃どころか頭も痛い。
「どこまで覚えてるか、わからないから」
そりゃ、一言一句とまではいかなくても、古ぼけて面白みのないわたくしめの名称はしっかり覚えていらっしゃることでしょう。
まさか、一日寝たら忘れる世界線なのか? んな訳はない、私は昨日の朝寝坊をして朝ごはんを食べ損ね、インスタント味噌汁で済ませようとしたら寝ぼけすぎて味噌にココアを入れていた。チューブに入っている味噌のパッケージの方に、だ。昨日の自分のやらかしは脳に刻み込まれている。
「頑張ってね」
何を頑張るのでしょうか。というか、なんか、急に落ち着いてません? いや、どんなあなたでも愛しますけれども、地雷系の性格は何処へ。急にアダルトな雰囲気で、ちょっとドギマギしておりますこのニート、じゃなくて社会人。
疑問を質問に精製している間に、林檎さんは回廊の奥へ消えていった。
「なんだったんだ?」
人ひとりいないというのに、意味もなく小首を傾げてしまった。
わかることは、明日で私の夢が醒めるということだけ。あーあ、結局仕事らしい仕事はできなかったなぁ。書類に埋もれてサービス残業とか、夢のまた夢か。
「はあ」
寂しい、のかも。
file:1-8
あったーらしいあさがきた⤵︎
おはようございます、みなさま。
爽やかな朝の日でございまして。おほほ。
では、これから処刑場に向かいます。
「あっはようございまーすぅぅぅ」
深呼吸をしてシャレオツなオフィス、今日は断頭台、の扉を開ける。無駄に声を張り上げて、元気いっぱいに。最後くらいカラッカラの元気を搾り出していきましょう! と思い頑張りました。そして、「ま」から急激に冷静になる自分。こんなことして、何になるのか。どうせ今日で人生が終わる。あー、しんど。
「なんだ、早いな」
隊長様が朝の麗らかな日差しを儚げなかんばせに存分に浴びて紅茶を嗜んでいらっしゃいました。ああ、私以外はみんな幸せなんですね。良かったです。
「そーですねぇぇ」
「なんだその溶けた口調」
「溶けたアイスクリームなみに価値がないからじゃないですか」
「テンション高ぇと思ったけど、逆か。落ち込んでんのか?」
「ゲンキデース」
「構われてぇのか、ほっといてほしいのか、どっちだよ」
「スペースデブリ(本物)なので。認識されるのも烏滸がましいことは自覚していますぅ」
「今日はえらく静かだな」
「はぁ、いつも五月蝿いから丁度いいですよね。良かったです。私だけが不幸なんです。みんな幸せそうで、見てるこっちまで不幸に拍車がかかります。きらまぶしい元気なお姿を見ていると、影が際立ちますよね。はぁ、こんなポエミーなキモいセリフを吐く自分が許せない。幸せってな、はぁ、いいや」
「情緒の安定はどこいった」
「銀河系の彼方へ」
「それは壮大な話だ」
隊長にうざったい話をふっかけて迷惑をかけている。なんて私は塵以下なんだ。怠い。全てがどうでもいい。もう夢から覚めるし、コミュ障病みニートが社会人になるなんて土台無理だった。これまでしてきた全てが無意味だ。見栄を張って自己紹介とかしちゃってキモい。元気ぶって、虚勢を張ってマジキモい。コミュ障のくせにベラベラと垂れ流して気持ち悪い。私の存在に吐き気がする。
頭を抱え、典型的な落ち込んでいる人を演じつつ、処刑台(林檎ちゃん)がお越しになるのをお待ちする。そんなあからさまな態度を律儀に気にかけた隊長は、カレンダーの見て「ああ、そういう」と謎に納得されている。
違いますよ。何で納得したか知りませんけど、ガチャが不発だったからとかじゃないです。天井いったのでしっかり出ました。私の夢の中だからか、ソシャゲが充実していて、まったく素晴らしいことですね。無心で引いてましたよ。放心していて物欲センサー無かったのにしっかり天井行くまで狙ったキャラ出ませんでした。
「おま……コウ、林檎の話聞いたのか」
「うぇあ、ぁい、っすねぇ」
「まあ、頑張れ」
「何をっすか」
「どんなに気に入らなくとも、同僚になるってんだから、そんなむやみやたらに消しはしないだろ」
「そうですね。いっそのこと、社会的だけじゃなく宇宙全体から消し去って欲しいですね」
「……攻略諦めたか」
「推しに地雷を踏み抜かれるオタクの気持ちを考えて下さい。複雑だけでは言い表せない」
ていうか、いつ醒めるんだ。もうあと数秒で醒めるなら今すぐ醒めて欲しい。いいよ、夢の中まであのクソみたいな名前を呼ばれるなんて地獄味わわなくても、十分これからしゃぶり尽くさなきゃいけないんだから。
「おっはよーございまーす」
「おー」
「おはようございます」
重い頭を上げ、林檎ちゃんのおめめを正面から凝視する。ああ、曇りのない眼。
茶道の座り方でしなやかに膝を床につき、三つ指をついて頭を下げる。
「焦らさなくていいので、もう一思いに介錯してください!」
そして、流動的にそのまま額を床に追突させる!
「は? ってか、だれ?」
「もう思い残すことはな、え?」
思わず顔を上げて、本当に誰? 顔をしている林檎ちゃんを凝視した。え? なに? どういうこと?
隊長はくつくつとお笑いになっていらっしゃる。しかも、同情していらっしゃる。え、なぜ?
「林檎、容赦ねえな」
「忘れたってことは、重要じゃないと判断していいですか? リーダー」
「だめだな」
「なぜ忘れてるんですか」
「さあ?」
「うっざ。その顔だから許されているものを。まじうざい」
「落ち込むなコウ。林檎はこういう奴だ」
どこでおツボり遊ばせたのか、隊長は終始笑いながら慰めてくる。
「コウ、っていうの? あっ! ジャンクスピーカー」
「そう、それだ。昨日から仮でうちの隊所属だ」
「あー、え、なんで保護しなかったんですか? 喜多のやつの職務怠慢?」
「いや、仕事はしてた。報告が上がってきたからな」
「へぇー、じゃあ、本当になんで?」
ぽかーんと締まりのない顔で土下座姿勢を崩していたが、こうしてはいられない。腕を真上にピンと伸ばし、風を切って挙手をした。
「あの、つかぬことをお伺いさせていただきますが、お許しいただきますと幸いです」
「クソ丁寧になに? 笑うんだけど」
「あのー、もしかして、ナイスミドル様に私を引きずっていった記憶ってなかったりします?」
「っく、ナイスミドル。あのジジイ、評価たけぇな」
「北宮長官のことですか? え、私会ってたの? え、なんで覚えてないの」
「いつもの喜多の嫉妬だろ」
「あいつ、コロス」
え、この感じ。まさかのまさか、起こっちゃった! これが巷に言う、ご都合展開、キタァァァァァァ!!!
肺の重さがスッと抜けていく。空気が澄んで頭も軽い、胃液も元の位置に戻ってきた。これが、奇跡か。なるほど、ありがとうガチャ運。君がこなかったことをこれほど喜んだ日はないよ。
「あの!」
これは起死回生のチャンス。発言権をもらうために再び挙手する。今からがスタートだ。今度は間違えない。当たり障りなく、かついい感じに好みとか趣味趣向を把握して、いちゃいちゃできる関係性を築くファーストインプレッションを!
「ご趣味と年齢とお洋服の好きなブランドと、コスメどこで買ってますか? お綺麗ですね。大変麗しく、あのー、なめ、いえ穴が開くまで見ていたいほどに。ちょ、あの、本当に仲良くさせていただきたいなと。もう少し仲良くなったら卒アルとか……欲張りすぎですかね。ともかく、香水をお揃いにさせてくれませんか? 同じ匂いを嗅いでいたいんです! 直接嗅ぐなんてマナーのないことはしませんので! 弁えて、同じ匂いを纏いますんで!」
「あー、オッケー」
「リセット前と同じ好感度に引き戻すとか、律儀だな」
林檎ちゃんは腑に落ちたと後ずさりし、隊長は未だにツボにはまっている。お腹でもいたいのかな、もしよければさすらせていただきたいのですが、なぜ後退するんですか?
あ、このまま壁まで行って壁ドンの一つでもしてみろという林檎ちゃんからの試練ですかね?
仰せのままににじり寄る。手加減はしない。半端に引くなんてことをしたら、キモい奴から空気の一端さえ担えない原子か、酷ければ粒子になって漂うしかなくなる。
「それ以上近寄ったら……」
「大丈夫ですよ。悪いようにはしないので」
ふひ、ぐふふ。
オタクの見本のような鳴き声を上げて、美少女ににじり寄る。
逃げ道を立つために両腕を壁に向けて挙げる。
『機関銃』
可愛いお声でなにやらお話していらっしゃる。林檎ちゃんの可愛さを確認しようと正面を向くと、鉛色の筒が私を覗く。いや、私が筒を覗いている。
もしかして、私が除かれるパティーンですか。なんかこれ、重厚な銃口じゃないすか。
『林檎、ベルグリフを解け。即刻』
命の危険に頭が真っ白になっているうちに、白魚のような毛穴を知らないピクセル数がめちゃ高い手の甲が私の視界を遮った。
見上げれば、綺麗なお顔完全顕現の隊長様の表情が抜けている。
重厚な鉄の筒が消えると、マスクを戻して私を見下ろす。
「はあ、なんていえばいいのか。お前が悪いってことはわかっているな」
「はいっす、経験値の足りなさで好感度獲得に苦戦しております」
「……わかってないな。林檎、コウに非があるのは認識しているがなにぶん常識が通じないやつなんだ。ここは収めてくれるな」
「そんなもので収められたらベルグリフ使わないです」
「激しく同感だ、うん」
「メンターですよね、教育してくださいよ」
「ごもっとも」
「本気でキモいので外周りにでも行ってきてください」
「今日の内勤は喜多だが」
「それといるよりはましです」
林檎ちゃんは溜飲と睨みを引き下げて部屋を出ていった。
「ご丁寧に経験もモラルも持っていないとはな」
「オタクなもので」
「主語がでかい」
「では、何が問題ですか? 引きこもり体質ですか? 引っ込み思案だから? 顔っすか? 私の存在がそもそも論、三次元に適してないとかならもうやりようなくないすか? この歳まで社交スキルを取得できないのは環境の問題とか思うかもですけど、こと私に関してはバチバチ自己に原因あるんですけど。誰のせいかと言われれば、大概私に問題がある中で、再起を図ろうにも歳とりすぎで、この歳でパーソナルスペース測れない人間に人権はない……」
「わかったわかった」
白魚のような五指がダダ漏れる奔流を制する。大人しく口を閉じると、垂直に立った手のひらは解けて頭頂に温度が伝わる。
指先は冷たい、でも人肌のあたたかさ。
「丸っと解決してやるから来い」
ヘアオイルでセットしたつむじ周辺をくしゃくしゃとかき混ぜて、前髪を梳く。最後にぽんぽんと二度軽く置いた手は優しくさっていった。
次回 エントシャイデン第2章
遂にファンタジーバトルの要素が顔を出す! おっと、なんか雲行きが...
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