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抱きしめたい NewYork〜佐野元春 Visitors 40年後

中学生でファンになった時のアルバム No Damage の後1年を経て、私にとって最初のリアルタイムのオリジナルアルバムが Visitors で戸惑って離れていった話はこちら↓でしました。

その中でも私にとって一番の鬼門だったのが、やはり一曲目の COMPLICATION SHAKEDOWN でしたが
(ちなみにTONIGHT は当時も違和感なくて今でも歌えます)、

この約40年後の↓ライブの映像で

!!!!!!

私のわだかまりは40年ぶりに納得・消化いえ昇華できたのでした。

カッコいい!佐野さん、続けてくれていてありがとう!

このNY体験のもたらしたものは計り知れなかったことでしょう。
日本の関係者と誰とも会わず、自分で住まいも探して音楽の友達も作ってそれでアルバム作ってと、すごい行動力です。

当時のレコード会社も帰国後あの形で発売させるのですから、尖っていたというか攻めていたと言うか懐が深かったと言うか。

まあ、当時の映像も、今見るとカッコいい。

やっぱり進みすぎていたのですね。


あと、私の自分の中での消化の話ですが、
当時はこうなってしまうとNY行き自体も責めてしまいそうになるわけでしたが、

この↓NYに行く前の最後のライブでの佐野青年が

「NYに行くんだ!!色々見てくるんだ!!」と
(おそらく)キラキラした目でファンに報告している音源に最近遭遇しました↑。


今なら成果を知って納得しているので

「若い時は感受性や吸収力が違うから今行っておいで、何でも見て吸収してお披露目して!」と

余裕で、高校球児を見るような「若いって素晴らしい」という目で応援してしまいますが、

この時、ファンの悲鳴が聞こえる中、「ちょーおおどー…さよならがきまあしたー…おわーりははじまりー」と、朗々と歌われたら、

今なら笑い話でしょうが、当時のNY前・後のファンにしてみればたまったものではなかったでしょう。

その後は佐野さんも

「あのアルバムはやりすぎだった。どうかしていた。もっとその後のようなPOPな感じでやるべきだった。リスナーが楽しんでくれないと」

というような趣旨の発言をしてらしたこともあり、

このアルバムの、私にとっての衝撃とその後の別れについてはもうこのくらいにしておきます。

時代の証言者の一人になることができ光栄です。
今後これを超える衝撃があるか楽しみにしています。

しかし考えてみれば私も学生の時、周囲の心配とか卒業後のこととか深く考えず「行きたい!やりたい!」と思い留学を計画して行っていたのでした。

やりたい!行きたい!と思ったら即座にやってみるべきでしょう。


ちなみにあの時の佐野青年は、SOMEDAY もヒットして実績も作った時に行って本当によかったですね。


このような、「私とこのアルバム(出来事)」のような感想文はまた書きたいと思います。


*投稿した後、奇しくも今日は #sept11 であることに気づき、一部書き直しました。

世界に平和を。
kamikaze という言葉が今後何処でも聞かれませんように。

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