2025年歌い初め。しまねカンタート

1月11,12日。島根県松江市にて、しまねカンタート2025が開催されました。

当方は栗山音楽監督の一声で、出演が決定。秋以降から粛々と練習を重ね、準備をしてきました。
当日はどの演奏も面白かったし、書ききれないのだけれど、自分の演奏に関することだけ記録しようと思います。

宇都宮室内合唱団ジンガメルは萩京子作曲の「生まれたよ ぼく」から、1,4,5曲目。演奏時間を考慮しての抜粋。
この3つは5曲の中で先行して書かれたとの事で、3曲での演奏でもちょうど良いつくりになっていました。
ピアニストはなんと当日講師でもある寺嶋陸也氏。

宇都宮おとこコーラス粋狂座(すいぎょうざ)は、エストニアの”Kuu”と、月光とピエロから1.月夜と2.秋のピエロの2曲。
TokyoCantat2024公募男声での体験をリスペクトしてKuu(月)を歌いたい。というのがまずあり、その「月」から派生して「月光とピエロ」に行き着いた、という選曲。

今回はどちらも私が指揮・指導をするという大役を与えられ、正直に言えばけっこう緊張していた。
寺嶋陸也氏のピアノで演奏するのは、歌い手のときは楽しいばかりなのだけれど、指揮者となるとそうはいかない。全く違う重圧が掛かる。
粋狂座のアカペラも、上手くいかない演奏のほうが多いような合唱団(普段まともに活動していないからか。)だから、こちらも実は緊張していた。

ジンガメルは、できる限りのことをして舞台上で寺嶋ピアノとのセッション
という状況。
直前の過ごし方は納得感の高いもので、セッションも楽しめた。
団員へ選んだ言葉は、「たおやか(音楽監督の言葉)」と「詩を新鮮に」。
やはり、直前まで団員と「かみ合っている」と感じるときは、演奏も良い。
寺嶋ピアノはやはり圧巻で、指揮者のワタシは聴きすぎないように努めるのに苦労しました。
温かい拍手に、どうやらきちんと届けられたらしいと実感。
団員の皆様に拍手と感謝。
こういう演奏を当然のように仕上げられる指揮者に、いつかなれるかなあ。

一方の粋狂座は、最後までバタバタ。「直前リハを最優先」としていたのに数分遅刻する団員が数名。若干ひりつく自分。
まてまて。ここで心を乱しても良いことはひとつもないぞ。
その時必要と思ったことをとにかくやる。
…それはつまり、音を取るwという、直前にあるまじき作業。あ〜あ、まったく。。。

みんなの精神的中心の座長からも「指揮でなんとかしようとせずにみんなでアンサンブルしようとしなきゃだめだ」と厳しめの指摘。

こういうバタバタを直前でするときは、大概上手くいかない。
「かみ合ってない」と思いつつ、ステージ上へ。
やはり、伸びやかさの足りない小さな演奏と消化不良の表現。いくつかの決め所はハモらず。


つねづね、指揮を振るようになってから、演奏の責任は指揮者が取らねばならないと思っています。
その上で。今回の粋狂座は、自分の「歌い振り」に対する理解の浅さを感じてしまった。

ぼくの技術の問題であるのは百も承知ですが。

歌い手としてのアンサンブル表現を突き詰めたいという自分と、指揮者として(エゴ含む)作りたい音楽表現が、両立できないのです。
別の人間だったらたぶんできるのに。そういうイメージはあるのに、一人の人間だとできない。まるでヘタクソになる。

今回の粋狂座で一番「かみ合っていなかった」のは、このぼくの中にいる2種類の表現だったのかもしれません。

「歌い振り」にすると決めたその時から、とにかく聴き合って響かせ合う、アンサンブル練習に特化して取り組めば団員の納得感はもっと高かったのではないか。

逆に、「新しい月ピ」の表現を突き詰めるのであれば、トップテナーの音色を捨ててでも、最後まで指揮者として振る舞うべきだったのではないか。

自分のアウトプットで両立できないということに気づかず、上手く進んでいないことに目を背けていた自分。残念ながら結果は演奏に現れていたと思います。


「そんなに悪くなかったよ」という仲間も居ますけどね。
わたし個人は、今回の粋狂座の評価は厳し目なのです。練習参加率などの不満も無くはないけれど、いちばん大きいのは至らない自分への不甲斐なさです。


以上、2025年の歌い初め記録でした。
企画全体はとても盛り上がったし、しまねの旅も楽しいものでした。関係者みなさまに感謝。


ちなみに、この文脈ではないけれど、今回の粋狂座の出来栄えを引き金に、新たな問題も出てきてしまった…。
ああ、困った…。困ったけれど、じぶんの巻いた種であります。
この話は書けるときにそのうち。

いいなと思ったら応援しよう!