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満たされる、
自分の感情が幸福で満たされることは、気持ちの良いことに違いない。ただ、生きている限り、常にそんな状態ではいられない。悲しみ、切なさ、虚無感、孤独。俺は、いや人類はそれらを嫌う、嫌ってきた。自ら不幸を願う者はいないはずだ。いくら破滅の道へ進もうとも、優れたなにかを信じながら誰しもが歩んでいると信じたい。「人間失格」の葉蔵は、確かに救いようがない。そうやって嘲笑するのは簡単だ。ただ、彼がようやくたどりついた真理らしきものの境地には、悲しいと表現するだけでは足りないような、どこか寂しく、安らぎに似たものを感じとれはしないか。
ただ、一切は過ぎて行きます。
極端に言えば、救いようがないとわかることだけが救いということか。だとすれば、上にあげたような悲哀から目を背けるのは短絡的だ。それらを直視して、「こんなにどうしようもねぇんだ」と思える、それはたくましく生きている人間の証だ。そして、そのような悲哀の感情で満たされていることに気づく。これは、悲しみをも人生の「充実」と捉えた新たな姿勢だ。
藤井風の「満ちていく」も、僕の言い分とは少しニュアンスは違うけれど、離別や切断といった切なさをも一つの「充実」とした、立派で、謙虚な歌です。ホント聞いてほしい。泣ける。あれ、これ何の文章かな。
あぁ、ちょっと泣きそう。ぴえん。ふふっ。