【連載小説】黒い慟哭 第8話「幻覚」
【ここで、正午にお伝えしたニュースの続報です。現場から中継です】女性記者がマイクを片手に家の中が映し出された。
記者が恐る恐るキッチンに向かいながら、しゃがみこんで開口部に向かって『こちらに仰向けで男性の遺体が詰め込まれていました』立ち上がりメモを確認しながら、『男性の名前は城木勝さんでこの空き家の中で遺体として見つかりました。空き家だったことも考えられ死後二日は経っていたと思われます。
警察は死体遺棄事件として犯人の行方を追っています』
賢治が舌打ちをしてチャンネルを変えた。
『腹部を鋭利な刃物で刺されキッチンの床下の開口部内に押し込まれた状態で発見されました』
『通報した二人組の男性の証言によるとピンク色のパジャマ姿の女性で犯行時刻は朝の7時から8時の間、未だ凶器は見つかっておらず現在犯人の行方を追っています』
【なにか詳しい状況が入り次第お伝えします。現場からは以上です】
手が震え、スプーンがこぼれ落ちた。皿に当たり大きな陶器音を響かせた。
「どのチャンネもこのニュースばっかりかよ! アイツ……あれから、1人で行ったのかよ!」割り箸を器の上に置いた賢治が口を開いた。
「誰に殺されたんだ?」
「ピンクのパジャマ?」
途端にテレビの映像を観た賢治がシンクの上のハサミが無くなっていると指摘した。
悠介の頭の上にクエスチョンマークが浮かんだが、それも仕方がなかった。
見ているのは自分だけなのだ。
すると、向かいに座っていた矢神優がハサミは何色か分かるのか? と聞いてきた。
すかさず賢治は『赤い柄のハサミ』ですと答えた。
優が険しい顔でうつむいた。
「警察に連絡しましょ?」悠介がハッとして震える声で言った。
「そうしよう」優がこめかみを押さえながら言った。
「あっ、それから今日の作業は終わりにする」その旨を作業者全員に知らせると理由も知らずに「パチンコに行ける」「帰ってゲームの続きしよっと」など各々が喜んでロッカーへ向かっていった。
そんな中、俺達は呆然と閉まったドアを眺めていた。
「課長遅いなぁ、偉いやつは自由でいいよな」と両手を頭の後ろで組んだ富山が愚痴をこぼしていた。
時刻は15時半になる。もうすぐ自由になれるとしきりに時間を気にしていた。この時間が一番暇なのだ。あと30分もすれば受付窓口は終わるのだが、毎度ギリギリで振込にやってくる面倒な客は必ずやってくる。それに備えているだけなのだ。
ふと、友香の方を見た富山が顔を寄せて囁いてきた。
「黒川先輩、ずいぶんと雰囲気変わりましたね」顔を正面に向けた。
「何よ、それ!」今度は友香が顔を近づけて言った。
「だって、あんなに怒る先輩初めて見ましたから」と遠慮気味に呟いた。
「私だって人間よ!」頬を膨らませてそっぽを向いた。
その仕草に富山は見とれてしまっていた。明らかに前よりリアクションがよかった。
「なにかいい事あったんですか?」友香に耳打ちした富山にあの女と同じこと聞かないでと怒られてしまった。
そうこうしていると案の定、五分前に滑り込みで振込用紙を提出してくる輩がきた。
富山はめんどくさいそうに対応した。
背広姿の刑事が2人『金属加工株式会社ヤガミ』にやって来た。俺と賢治の間に作業長である矢神優が立っていた。
「城木勝さんが働いていた会社ですね」と軽く会釈をしながら、歩いてきた。
「そうです」と優が返した。
続けて「社長も今、こちらに向かっております」そう告げると結構ですと片手で制された。
胸ポケットから警察手帳をこちらに向け「私は警視庁捜査一課の高橋と言います」
「同じく名森と言います」警察手帳をしまいながら、さっそくですが質問にお答えいただきたいのでご協力お願いします。
お2人は被害者である城木勝さんとはどういったご関係で?
その問いに悠介が「友達です」と答えた。賢治も同様に答えた。
それぞれいきさつを説明した。
後から足音が聞こえふり返ると社長の矢神哲郎が不安げな表情でこちらに向かってくる。その足取りは重そうだ。
「あの、優に聞いて来ました」
「あなたが社長さんですか?」高橋の問いに哲郎がうなずいた。
「あとでお話を伺います」と話を切り替えて先程のいきさつの話に戻した。
なるほど、高橋が白い吐息を吐き出してユーチューブ動画の撮影のために3人であの家に行った。撮影後は家を出た直後、勝さんの様子がおかしかったと……
「はい、2階に人影がいると言って怯えていました」悠介は遠くを見つめ指をさしてその時の勝の仕草を真似した。
「その時は俺達をビビらせようとした演出だと思っていました」
その時はあまり深く考えなかったと眼鏡を上げて悠介が続けた。
そちらのあなたはと賢治の番が回ってきた。
「俺も同じです。あの日は土曜日で撮影だけして早く帰りたかったんです」
翌日にゲームの大会が控えていたんです。
早く帰って練習がしたかったそのように言った。
車に着いたら警察の人に路上駐車していたのを巡回中に偶然見つかってしまい、そしたら、勝が急に発狂しだして不審に思った警察官と俺達3人で再度あの家に行きました。
家に着くと警察官の方が1人で確認しに中に入って行きました。特に何も無いと言われたので俺達は解散しました。
「動画の目的は?」と高橋が口を開いた。
「3年前の家やゴキブリの家で度々注目されていたのでそれで興味を持ってしまいました」動画でお金を稼ごうとかそんなんではなくて、ただ、動画でも映っていると思うんですが、冷蔵庫にムカデが入った牛乳瓶と床下にゴキブリの死骸が入った観察ケースが無くなっていたんです。警察官の人が云っていました。
勝はそれが気になって俺達を送ったあと1人でその家に向かって潜んでいた人物に殺された? 今思えば勝の言っていた幽霊っていう犯人が潜伏していたんじゃないかと思います。
「あなた達が家に着いた時刻は?」名森が険しい顔つきで答えを待っていた。
「日付が変わる前には家に着いていたと思います」
23時52分ですと悠介が自身のスマホのライン送信時間を刑事2人に見せた。
「失礼ですが、送信先の方は?」
俺の彼女です! と友香の事を刑事に話した。
「分かりました! くれぐれもあの家には近づかないようにしてくださいね!」
ここからは、我々には任せてもらいたい。余計な詮索はお控えて下さい! テンプレートの言葉を並べて「ご協力ありがとうございました」と2人は頭を下げた。
「社長さんはご同行よろしいでしょうか?」名森に促され社長は刑事のあとをついてった。
3人は社長の背中を見ながら後ろで組んだ手を解き頭を下げた。
顔を上げた悠介が聞き込みも大変だなぁと眼鏡を曇らせて呟いた。
賢治が優の顔を窺うと眉間に皺を寄せていた。
「なぁ、あとでちょっといいか?」賢治が顔を寄せて呟いた。
「お前らも帰っていいぞ! あとは俺が対応するからよ」優が踵を返して事務所に戻った。
「お疲れ様でした」2人のどんよりした声が重なった。
ロッカーで着替えている最中にシビレを切らせて賢治が「シンクの上に置いてあったハサミが消えていたんだ!」ぼそっと呟いた賢治の顔を見て俺は思わずハサミが消えていた! とオウム返しで答えた。それもそのはずで、俺はそのハサミの存在を見ていない。
賢治が俺の顔を見て「凶器はそのハサミだ! ニュースでも言っていただろ? 鋭利な刃物でって! それが、包丁とはかぎらないだろう?」だからって、と口にする俺に賢治が両肩を掴んで真顔で「赤い柄のハサミだ! 今すぐに勝の携帯を取りに行こう」俺はズレたままの眼鏡を直さずに「動画か? ユーチューブ動画?」
その通りだ! ユーチューブ動画内に『シンクのハサミ』が映っているはずだ!
「でも、携帯は警察が押収しているはず……」
「そうだ! だから俺達でまずあの家のシンクをこの目で確認したい。もし、ハサミが無かったら警察に行こう!」
それから、2人は無言で着替えた。
その日の夜、昨日が祭日で休みだったから、今日は火曜日だよな?
「ああ、そうだ!」賢治が答えてくれた。
俺は曜日の感覚が分からなくなっていた。この家に来て動揺している自分がいた。人が死んだ土地だ! しかも、親友が息絶えた場所だ。動揺しないほうがおかしい。
夕方まで警官や刑事の人らがひっきりなしに出入りしていたので、夜まで時間を潰してやってきた。スマホを取り出しつ時刻を確認すると21時だった。
スマホのライトを照らして中に入る……
短い廊下を進みリビングに出た。前回見た時と変わり映えしない光景だったが、キッチンを照らしてみると、床下に血痕が付着している箇所があり、事件の生々しさを感じた。血痕は開口部から床の上にかけて染みが続いていた。悠介がライトで血痕を辿ってみる……血痕は冷蔵庫と食器棚の間まで続いていた、さらに奥を照らすと人間の脚が映った!
「うわっ!」スマホを投げ捨て俺は尻もちを着いた。賢治が何やってんだよ?とスマホを取り奥を照らすとほうきが壁にもたれ掛かっていた。誰かが掃除して片付けを忘れていたのか、賢治がしっかりしろよと一喝!
「悪い」その言葉に汗を拭いながら、立ち上がった。早く行こうぜ! シンクの上にハサミは無かった。
『カタ……』
廊下を歩いていると音が聞こえたので足を止めた。賢治は2階が気になって下から階上を覗き込んでいた。
「どうした?」三和土にいた悠介が振り返った。
「なんか音がした。悠介ちょっと2階いいか?」階段に足をかけた。そのまま賢治が階上の闇に消えていった。
スマホのライトがチラチラ明かりを照らしていた。その明かりを頼りに悠介も2階へ上がっていった。
2階の部屋は階段を上りきると悠介が左側に視線を向けた。そこには廊下が伸びており一番奥の部屋がありその隣に2つ部屋が横に並んでいた。
一番右側の部屋の向かいにはトイレがあった。その右側の部屋には賢治がすでに入っているので、俺は真ん中の部屋に入った。
「この部屋で子供が死んだんだよな」しゃがみ込んで呟いた。
「何か言ったか?」隣にいた賢治が言った。
彼は地獄耳だろうか? いや、部屋が静かすぎるのだ! 埃が積もった床面には靴跡が残っていた。
(警察官の靴跡だろうか……?)
この部屋を何回も出たり入ったり往復していたのだろうか? 靴跡の上に埃が舞って消えかかっている上を歩いた痕跡があった。
靴跡が重なるようにして床面を踏みつけていた。
悠介がスマホのライトを辺りに照らした。
クリーム色の壁紙は当時のままでコーヒーをこぼしたような茶色い跡が一筋垂れている。その筋を埃が付着して黒く変色している。
(この筋は何なんだ?)
下から順に壁伝いにライトを照らした。
所々、虫の脚だろうか?赤茶色の細く曲がった脚がへばりつき異様な臭いがした。
すると、いきなり風が吹きつけ窓が揺れ雨粒が強く窓を叩いている。
ゲリラ豪雨だ! すぐに止むと思いさほど気にしていなかった。
「うわぁぁぁぁぁー!」
すると、奥の部屋から賢治の悲鳴が聞こえた。
俺はすぐさま賢治のいる部屋に移動した。
部屋に入ると賢治が座り込み窓の方を指さした。
窓が少し開いておりそこから、雨が入り込んでいた。賢治が震える声で何で窓が開いているんだよ? と呻いた。
大量の雨粒が窓ガラスを濡らしている。その時! 何かが動いた!
ベランダから人影が現れた。濡れた窓ガラス越しで顔は見えないが、髪の長さと服装で女性だとわかった。
その女性が開いた窓のサッシに手を入れ窓を開けて中に入ってくる。
裸足で水滴を弾くような足取りで部屋に入ると雨は一段と強さを増していた。
女性がゆっくりと前進する。顔はまだ見えない、俺達はスマホのライトを持っているのも忘れてドアの方へ後ずさるしかなかった。
その時、雷が鳴り響き部屋の一角を照らした。
「友香?」
……反応はない。
パジャマ姿の女性が両手を伸ばして悠介に近付いてくる! 裸足で床にまとわりついた足音が不気味さを掻き立てた、その手が悠介の首を締めるように力を入れたが、咄嗟に女性の手を払い除け賢治と一緒に逃げた。
何処をどう逃げたのか覚えていない。
後から女性が追いかけてくる足音が恐ろしかったことしか覚えていなかった。
俺が目を覚ましたのは、ある部屋の一角だった。
真っ白な天井。そこの蛍光灯が俺を見下ろしいた。
まるで、大丈夫か? と言っているように。
慌てて起き上がった俺は辺りを見回すが視界がボヤケてよく見えない、眼鏡を掛けていないことに気付き手探りで探していると、背後から「大丈夫か?」と声が掛けられた。
ふり返ると声の主がわかった。賢治だった。
「やっと起きたか!」賢治が飲み物が入ったコンビニ袋を持ってドアの前に突っ立っていた。
眼鏡をかけると早く入るように手まねきすると賢治が袋を揺らしながら入ってきた。
部屋の隅で何かが動いた! 視線を移すと椅子に座ってウトウトと頭を揺らして眠っている友香が居た。
友香は黒いコートを布団代わりに使っていた。
彼女の方へ体を動かした時、左腕に痛みが走った! 動いた拍子に注射針が食い込んだのだ、どうやら病院で点滴を受けているらしい……
「お前なぁ、階段で派手にコケたんだぞ!」
賢治が苦笑しながら言った。
「彼女は……?」
「友ちゃんなら俺が呼んだぞ! すまん、お前の携帯を勝手に借りた」両手を合わせて謝る賢治に対して「いや、違う! あのパジャマ姿の女性は……?」
それがな、お前を必死で担いで玄関を出る前に確認したんだが、居なくなっていたよ。
友ちゃんが病室に来たタイミングであの家に行ったんだ……
誰もいなかったが、窓が開けっ放しで床が濡れていたから、あれは勝が言うように幽霊でもなければ人間でもない。幻覚を見たんじゃねーかな? それほど疲れていたんじゃねえか俺達。
それがなぁ、日曜日にゲームの大会があった。
大阪の会場に向かう途中の電車の車内で友ちゃんにそっくりな女性を見た。
「んな、アホな!」と呆れた顔をした。
真面目に聞いてほしいと顔を近づけてきた賢治が袋を持っていたんだよ。コンビニの袋を持ち上げた。でなぁ、たまたま袋の中が見えちまったんだよ! 黒い物が入ったケースを持っていたんだ。
「黒い物って……」悠介が眉間に皺を寄せた。
「ゴキブリだ!」指をカサカサと這う動きをした。だから、どうしても家を確かめたかったんだよ。結果ケースは無かった。
「その、お前が言う友香似の女性って」
悠介が振り向き寝ている友香の方を見た。
「それから、話の続きだけどよ、悪趣味だが彼女の後をつけていったんだ」
すると、一棟しかない団地に入っていったんだ。階段を上がる姿を見ているから間違いない! おそらくだけどよ、あの家から団地を行き来してんじゃねーか?
友香の頭が左右に揺れた。起きそうになっている友香を横目に悠介にこう伝えた。
「この話は友ちゃんには内緒にしてくれ」
あっ、そうそうラインにも入っていると思うが、しばらく会社は休みとの事だ。
「警察には社長と息子が質問攻めにあってるらしいぜ!親子揃って大変だな」飲み物を2本置いて病室から出ていった。
「わかった、ありがとう」とスマホの画面を見ると朝の6時だった。
首を打ったのか? ひねったのか? 神経を引っ張られる痛みが走り、しかめ面で首を押さえていると、友香が「悠介!」と泣きながら抱きついてきた。心配の声とともに左手のダイヤが蛍光灯の光で輝いていた。
「来てくれてありがとう」悠介の吐息が耳にかかった。
「22時過ぎに悠介のスマホから連絡があったから……」ラインだと言う旨を伝えると「賢治が気を利かせてくれたんだ」と友香の瞳を覗きながら言うと「友香なんか感じ変わったね」目を逸らさずに言った俺に「そりゃ、プロポーズされたら誰でも変わるわよ」涙を拭いながら照れ笑いした。
「昨夜は大阪に買い物に行ってきたの」
「帰ってきてすぐに賢治くんから連絡があったから心配で急いで来たの」俺はいつも友香に心配ばかりかけていると改めて思った。
「心配ばかりかけてごめん」友香の頭を撫でた。
友香の頭を撫でる時に両目をつぶる仕草が、昔飼っていた豆柴を撫でているようだった。