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【連載小説】黒い慟哭  第9話「赤い柄のハサミ」

それで、思い出した。
たしか、俺が小学低学年の頃だった。家族でデパートに買い物に行った時だった……
 
 父と母が食材を求めに鮮精食品コーナーにカートを押して吸い込まれていった時、僕はたまたま【ミケーズドッグ】の看板が見えたので、お菓子よりもこちらに足を向け店内に入った時、ケージに入った犬や猫が各々自由にケージ内を走り回ったり、客につぶらな瞳をぶつける子もいた。僕はもちろん他の客同様に冷やかしで来たのだが、
 店内をぐるりと一周して、だいたいのケージを見終わった。ヨークシャテリア、コーギ、チワワ、ダックスといった小型犬に加えマンチカン、アメリカンショートヘアなど人気の猫ちゃんもいた。
 どれも可愛かったが、やっぱり母にお菓子をねだろうとため息を漏らして、うつむきながら出口に向かって歩いていた時、最後まで見ていなかったケージから顔を覗かせこちらを見つめてくる視線に気づいた!
 何事だという大袈裟な思いが自身の好奇心を湧かせた。
そのケージの前で立ち止まり中を見ると両耳を垂らせてまるまるした背中をこちらに向けていた。僕が近づいたのに気づいたのかケージから立ち上がり舌を出し興奮気味に尻尾をこれでもかと振る仕草に真っ直ぐ僕を見る瞳に心を奪われた。
 店員さんが僕に話しかけてくれた。
「その子は柴犬でも特に小さい豆柴ですよ。おとなしくていい子ですよ」と教えてくれた。
飼えるかどうかは親に聞いてみないとわからないがどうしても欲しかった。、店側もはいどうぞという訳にはいかない。それでも、諦めきれない僕はその店員にとりあえず頭を下げその場を立ち去った。
鮮製食品にいた母を見つけ出し豆柴の事を話したが、まるで取り合ってくれない母に苛立ち隣にいた父に話をした。 
 父は見るだけならと一緒にペットショップまでついてきてくれた。これといって物欲のない僕が初めて欲しがったのが、その小さな豆柴だった。
 欲しくて欲しくてたまらなかった。
父とケージに張り付いて2人でしばらく眺めていると急に父が僕にこう云ってきた。
「ちゃんと散歩は行ってやれるか?」
その言葉に僕はうなずいた。
「3日坊主じゃ駄目なんだぞ!  毎日なんだぞ」父は最後は語尾を強めた。僕は真っ直ぐに父の目を見てうなずいた。
「よし、わかった!」と父もうなずいてくれた。
「誕生日の前借りだ!」その約束ならと父が僕の目線の高さまでしゃがみこんで言った。
「でも、お母さんが……」と不安を漏らした僕に父が「任せろ!」と力強く言い放った。
 立ち上がり父が店員に駆け寄り何か話している。その間、僕はケージに貼ってある値札を見た。〈8万6千円〉と書いてあった。金額が小学生の僕にはいまいちよく分からなかった。
 しばらくして、父がクレジットカードを財布にしまいながら、僕に云ってきた。
「来週この子を迎えに行こう」僕の頭をポンと撫でてくれた。
「何で来週なの?  今すぐほしいよ」僕は父を見上げて云った。
「んっ? それは、この子にも心の準備がいるんだろうな、ハッハッハ」と笑って見せた。
今でも父のあの笑顔は覚えている。

「いいお父さんね」友香が口を挟んだ。
「うん」と気まずそうに返すと友香の頭を胸に抱き悠介は続きを語りだした。

 翌週の土曜日父と2人で【ミケーズドッグ】へと向かう時のワクワク感が異常に高まり、豆を迎えに行った。
こんな、気持ちは初めてだった。
「豆? もう名前を決めたのか?」と父はしゃがみ込み僕の目を見て言った。
父は僕と話す時は必ず僕の目を見て話してくれる。
「違うよ! 豆はとりあえずだよ」と頬を赤く染めて少し照れた。
「それより、お母さんには何て言ったの」
「んっ? それはだなぁ、悠介が初めて欲しい物が出来たんだってママに言ったら」
「……」黙る父に僕は話の続きを急かした
それを聞いた母が「お好きにどうぞ」と言ってくれたみたいでそれを聞いた僕は笑顔が溢れた。
 当時の僕は父が母に上手いこと話をしてくれた事など、思わなかったが、今となっては父の饒舌な舌から繰り出される話術に母は仕方なく了承したのかも知れない。父はあまりそういう事を得意気に話さない人だったから、子供の僕がわからないのも当然だ。
 僕はケージから豆を優しく抱き上げた。
腕に伝わる振動が分からせてくれた。豆は震えていた。
よく見ると毛並みはフサフサでシャンプーのいい匂いがした。
 狂犬病のワクチン接種とノミ取りその他諸々の手続きが済んだことを店員さんから聞いた。
僕が豆を抱き上げ父がリードやドッグフードなど僕が欲しい物を買ってくれた。
 父が会計をしている際、豆と目があった。つぶらな瞳からあふれる潤んだ目が『僕を選んでくれて、ありがとう』そう言っているように見えた。
僕は豆の頭を撫でた。
豆は叩かれると思ったのか、両目をギュッと瞑った。
 
 さっきの友香の仕草が豆とそっくりだったから、つい思い出してしまった。友香にそのことを言ったら私は犬じゃないといって怒り出すだろう。
「結局その子の名前は豆だったの?」
「うん、結局その名前が定着したんだよ」そういいながら、友香の頭を撫でた。
「ただ……父はもうこの世にはいない」友香の表情が曇る。
「ただ、生きている母にだけは、早く結婚式を挙げてやりたい」それが、唯一の親孝行になると思った。
「私も早く悠介と結婚して幸せになりたい!」まっすぐ見つめる、つぶらで潤んだ瞳それを見て友香と豆が重なった。
 成長するにつれて、豆をほったらかしにする時間が増えてしまったせいで死なせてしまったその後悔が未だに尾を引いている。
ダブって見えたから、友香を一生大事にしたいと強く思った。そっと唇を重ねた。             
 
 男2人の取り調べは続いていた。
「だから、俺達じゃねーって!」髭を撫でながら咆哮した。
「なんかよ! 朝っぱらからパジャマでうろついてる女がいたんだよ」
「んで、あの家に入って行くの見えたんだ、俺達はあの家が女の家だとおもったんだ」
「では、なぜ? お前らはあの家に……」刑事の鋭い眼光が2人の男を見据えていた。
それは、嘘をついてもわかるぞという圧力でもあった。
百戦錬磨の眼光に根負けしたデブ男が正直にすべてを話した。
 朝の7時から8時くらいだったかな?
俺達は居酒屋で酒をたらふく飲んでそのくらいの時間にちょうど暇してブラブラしていたんだ! すると、ピンクのパジャマ姿の女が歩いていたんだ、しかも裸足でだ! 最初見たときは、不気味でよぉ、夢遊病かなんかの病気なんじゃねーかと思ったんだけどよぉ、その女があまりにもマブかったから、イタズラしようと女に近づいて声を掛けたんだけど、無視されたから、一旦は諦めたけどやっぱりムラムラが止まらねーからよぉ、後をつけたらあの家に入っていったんだよぉ、家に入ったんだ誰にも見られねーで済むラッキーと思って俺達も入ったらキッチンの床下に転がっている死体をあの女は座って見てやがったんだよぉ、俺達は慌てて家を飛び出したよ!
「きっと、あの女が殺したんだ!」
遺体の様子を見にあの家に行ったんだ間違いねぇー、あの女が犯人だ!
 一方的に捲し立てたあと肩で息をしているデブ男の肩に手を置いた刑事が「その女性にちょっかいを出したのか?」と刑事に真顔で聞かれたデブ男が「ちょっとだけだ!」と答えた。
「その女性が殺した可能性は?」その問いかけにデブ男は首を横に振った。
「お前達が女を追いかけて入ったのは10分後くらいだろ? その間に殺せるとは思えないぞ、遺体の男性は彼女の彼氏だった可能性は?」
疑いの目はやはりこちらに来ることは分かっていた。日曜日の出来事だった事に加え2人は警察に話すか話さないかを酒の場で議論したという。
「他に何かないのか!」高橋が机を蹴った。しばらく沈黙が続いた。
すると、デブ男が静かに口を開き「微かに果物みたいな? そう、フルティーな匂いがしたんだよ!」冬なのに汗をかいているデブ男に高橋が口を嘘をつくな! 「その女の匂いなんじゃないのか?」
とデブ男の胸ぐらを掴んで威嚇したが、動じることなく本当だ信じてくれの一点張りだった。
「違う、あの女の匂いはそんなんじゃなかった!」と隣の髭男がトーンを落とした。
「俺はあの女に抱きついて卑猥な事をしたんだぜ、間違いない」自ら自首をした。
「その、シャンプーか石鹸……そんな匂いがしたんだ」
髭男の表情を見た百戦錬磨の刑事も思わず眉間に皺を寄せた。
「別に犯人がいると?」
「ああ、そうだ。俺達じゃない!」彼女を襲った事は認めたが殺人まではしていないと主張した。
 プルルプルル〜♪ 
高橋の携帯に着信が入った。
「チッ」舌打ちをして高橋は取り調べ室から出ていった。
髭男が調書を取っていた検察官に話かけた。
「なんで、信じてくれないんだろうな?」
無言で睨まれただけだった……
「チクショ!」そう吐き捨てて髭に手を当てた。
入れ替わりで入ってきた名森という刑事は机の横に立ちデブ男に向かって「そろそろ白状したらどうだ?」話を聞いていたのだろ入ってくるなり疑ってかかった!
「だから、俺達じゃねーって!」
「本当に俺達じゃなかったら、どうすんだよ! えっ、おい、どう責任とるんだよ!」と舌を巻いて唾を名森に飛ばした。
「それなら、それで、いいんだよ! 俺達の仕事は疑ってナンボなんだよ!」と怒りを露わにした。
「ちっ、きたねー言い方だな」舌打ちをした。
「なんとでもいえ! こっちは人命がかかっているんだ! これ以上増やしてたまるか」
「ナンボ! ナンボ! って公務員がナンボじゃい!」デブ男が激しく激怒した。
しばらく口論が続いていたが、それを制止するかのように高橋が入ってくるなりタバコに火を点けて肺に入れた紫煙をくゆらせた。
 2人もタバコをくれと高橋にせがんだ。
キャメルの箱と百円ライターを机に置きその横に灰皿を置いた。
「名森! 前に行ったヤガミという会社に行くぞ」天井に煙を吐き出した。
「何かあったんですか?」期待を膨らませた名森が訊いた。
「なんかよ、あそこの従業員が死んだ男性のスマホを持ってきてくれと頼まれたんだが、理由を聞いたら、犯人に辿り着けるかもしれない、そう言われてな……」
「ダメ元で行ってみましょう!」
「だな! 1ミリでもいいから犯人の有力な手掛かりがほしいからな」
代わりの検察官が入ってきて「あとは任せた!」そう言って2人は意気揚々と部屋を後にした。
 呆然とタバコを吸う2人は顔を見合わせた。なぜ、刑事がタバコをくれたのか、その意味がわかった気がした。

 これが城木勝の携帯だ!
スマホを握った賢治が、すいませんと一言断って受け取ると画面ロックの解除をした。
「なぜ、ロックの解除方法を知っている?」
高橋が怪訝そうに訊いた。
「いや、アイツの誕生日だと踏んでの事です」それが違うなら万事休すでしたとも云った。
「刑事さん、この動画です!」
それは5分くらいの動画だった。
 牛乳瓶の中にムカデが入っている動画だった。その時、刑事さんココです!と賢治が動画を停止させた。シンクの上のハサミを指さした。
「ここにあったハサミがなくなっていたんです!」
床に血痕があった事を合わせて伝えた。
「赤い柄のハサミです!」と再度確認を込めて高橋に伝えた。
 高橋が名森の顔を見るとすでにこちらを見ていた名森と目が合った。
「君はこの動画の家を知っているのか?」
賢治は2つ返事で返した。
すると高橋が名森に何やら耳打ちをしているが気にしなかった。
「よし! 行こう」高橋が賢治の肩に手を置いた。
名森は別の方向へ踵を返した。その背中が見えなくなるのを確認したあと高橋が歩きながら「おそらく犯人は女性だ!」そう小さくうそぶいた。

「ゆう……す……け」
「悠介起きて!」
かすかに聞こえる友香の声に薄目を開けると同じ目線に友香の顔があった。ベッドから顔だけちょっこりだしてしゃがんでいた。
 目をこすりながら状態をゆっくり起こすと猫のようにスルリと布団に入ってくるなり、うつむいたまま口を開いた。
「悠介……私のこと好き?」
2人の密度が高揚して熱を帯びた。2人の距離がグッと縮まった。少しの沈黙が心地よかった。彼女の吐息が唇に伝わり、ここで意地悪をしても仕方がない。静かに口を開いた。
「俺も好きだよ。愛してる」
真っ直ぐに友香の目を見て言った。
暗がりで友香の頬が赤くなっていたのが愛おしくてそのまま抱きしめた。
「コンコン」ノックの音がして慌てて友香はベッドから降りると間一髪で見られなくて済んだ。
看護師が食事を運んできた。看護師が友香の顔を一瞥すると鼻を鳴らして部屋から出ていった。
「何だあれ?」とぼけたように悠介が口を開いた。友香がきょとんした顔で舌を出して「バレてた」とかわいく呟いた。
いつかのラブボを思い出して2人は顔を見合わせて笑った。
 悠介は腰を押さえながら時計に目をやるともう正午を過ぎていた。
「悠介大丈夫?」眉をハの字にした友香が心配そうに声を掛けた。
「階段から落ちた衝撃で腰を打ったみたいで痛むけど大丈夫だよ」ありがとうの意味を込めて額にキスをした。
 その時、友香の豊満な膨らみを感じて咄嗟に右手が反応した。
「ダメよ! ここは病室よ!」少しぐらいと辺りを見回しながら友香を自身に引き寄せると両手を封じて首筋に舌を這わせた。友香は一瞬身を強張らせベッドのシーツを強く握った。

ブーッ ブーッ ブー

カバンの中から振動音が聞こえた。友香は慌ててカバンからスマホを取り出し耳に当てながら友香は急いで病室から出ていった。
このムラムラ感をどうしてくれると言わんばかりに小さく舌打ちをしてから昼食を食べた。
 しばらくして血相を変えて友香が部屋に戻ってきた。
「悠介ごめんちょっと用事が出来た。お姉ちゃんが大変みたい!」早口でまくしたてる友香を見てただ事ではないと感じつつも「大丈夫だよ、早く行ってあげて」と優しく言うと友香の頷いた。
足音が小走りに廊下を響かせた。

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