【小説】マスコット〜アイドルと1つになる物語〜
第2話「異変」
翌日、いつも通り言われないことも率先して自ら業務に当たった。最近の若い子達は気が効かないのか全然動こうとしない。メーカーいわゆるお客様が来ても知らん顔で私がお茶運びをしているが私はお前らの1つ上を行っていると胸中で咆哮すると席に着いてキーボードを強く叩いた。すると正午前になると私の部署はざわついている。それは昼食前の腹の虫をどうやって悟られないかをごまかすために各々が一斉に言葉を発するのだが、その言葉は大抵は昼食に関する情報だが、今日は違う言葉が混じっていた。内容はこうだ!
「明日発売らしいよ」
「えっ! なになに?」
「ジャッカルフォーカスのメンバーのアクリルスタンド」
「マジで! アクスタとか草〜」最後は気の抜けた声だった。
これはいい情報を手に入れたと自身の情報源の疎さに欠けて悔しかったが、それでもよかった。サンドイッチを食べながらアクリルスタンドの販売時間をチェックするために速報の掲示板へと飛んだ。
リアルタイムで物凄い速さでチャットが流れていた。今どきの若い子はこの速さに目がついて行けるのが素晴らしいと思い気になる記事が流れたところで投稿のスレッドを見たい記事までスクロールすると【販売時間は20日火曜日の朝10時頃】と書かれていた。
画面を消した瞬間、ミュージックニュースとして画面上部にタグが現れるとすぐさまタップした。案の定ジャッカルフォーカスのファンクラブ限定のニュースで【セカンドシングル、君のハートをロックオンが10月10日にリリース】その情報に喜々とした。リリースのあとの文章にはこう書かれていた。
『セカンドシングル購入特典として訪問お喋り券が封入されているので運がいいと当たるかも!』さらには【セカンドシングルリリースを記念してライブも近々開催予定】ライブの日時はカミングスーンと濁してあったため後日調べるつもりでセカンドシングルは何枚買おうか今から悩んでいた。
今日は嬉しさのあまり気づけば昼食のサンドイッチとは別に社内食のカツカレーを食べてしまっていた。内心では警告音が鳴り響く。脳裏に『ダイエット』の文字を浮かべながら次からは気を付けるように自身を鼓舞してカツカレーを完食した。
運命の翌日、つまり10時にはスマホから昴のアクリルスタンドをネットで購入するためにキーボードの隣にひっそりとスマホの画面がスタンバイしている。9時50分に課長から指名が入った。顔を顰めながら課長のデスクにむかうと2枚の書類を渡された。どうやらミスをしたらしい。私としたことが……しかし次の課長の言葉に絶望した。
「喜多川君……10時までに修正して提出したまえ!」最後の語尾は少し強かった。
すぐさま書類を抱え戻ると『いつもお疲れ様』耳元で囁やきが聞こえた……
昴の声だった。頷きながらキーボードを叩いてはコピー機のボタンを連打した。
その書類を課長に提出したのは、あと1分で10時になる時だった!
「私の確認が終わるまでそこで待っていなさい!」その言葉に意識を失いそうになる。時折タイトスカートに視線を注ぐ課長に早く書類に目を通せハゲ! っと言いたいのをグッと堪えて時計に目を向けると10時10分を回っていた。私の頭の中で遮断機が音を立てて降り始めた。危ない……このままでは私が危ない!
モジモジしているとまたもや視線がこちらに向いた。
「どうした、トイレか?」課長の無神経な言葉が飛んでくる。
「トイレか?」もはやこの用語をセクハラとして認定して欲しい程課長のハゲ頭に無言でメンチを切った。
しばらく気まずい空気になったが解放されたのがさらに10分後だった。
「よし! 行っていいぞ」その号令で小走りに自分のデスクに向かうとすぐにスマホを操作する『SOLD OUT』の表示が目に飛び込んでくると課長への殺意がワンランク積もった。ミスをしてしまったのは自分だがこんな凡ミスは久しぶりだったので、今回のアクリルスタンドは諦めていずれ再入荷するだろうと我慢した。
2階の角部屋が私の部屋だ。このぼろアパートの住人は3つ隣の吉田さんという老人が1人住んでいる。この吉田さんはかなり認知が進んでいるのか年齢はおそらく90を越えているだろうが挨拶をしても返事が返ってこないことはざらにあったが大して気にならなかったが最近は道路の脇にディサービスの車が止まっているのをよく目にするので勝手にそうと決め込んでいた。
今日もディサービスの車を一瞥すると玄関ドアを開けて中に入った。あとは1階に数人の年配の方が住んでいるらしいが、挨拶どころかあったことすらなかった。ほんとに実在するのだろうか? と思うくらい謎だった。なにせ私はこのぼろアパートに住んで20年になるのだからこう思うのは当然といえば当然だが妄想は誰の迷惑にもならないのでこのアパートの住人を勝手に想像している。
土間にあがるとシューズボックスの上にスーパーの袋を置き脱ぎにくいタイトスカートを昴に見られないように脱衣場で脱ぐと会社の制服とはいえこんな短いスカートを履かせるなんて社長のセンスの悪さにうんざりした。今日は嫌な汗を掻いたせいか股が蒸れていたのでストッキングを脱ぎ捨てお気に入りのジーンズとトレーナー姿になると慣れない手つきでコンタクトレンズを入れる。
鼻筋に付いたメガネの跡をファンデーションで隠した。
「昴、ただいま」脱衣場からリビングに向かうと「今日は昴の好きなハンバーグだよ」スーパーの袋をシンクの上に置くとニコリと笑い腕まくりで気合を入れる。引き出しを開けステンレスのボウルを取り出すと中にひき肉と豆腐を入れると掌で捏ねた。フライパンで玉ねぎを炒める。ハンバーグの下ごしらえがあらかた済むと玉ねぎを炒めた油を使いキレイに整えられた楕円形のハンバーグをフライパンに落とした。食欲をそそる音がした。換気扇を入れフライ返しを構えた。
それから換気扇が止まったのが、30分後だった。きれいな円を描いたライスにおろしが乗せられたハンバーグとサラダが盛られたプレートがテーブルに運ばれてきた。
雅美の自炊が始まったのは2日前の事だった。最近では買い出しのスーパーが楽しくて仕方がないのだが、考えるのが楽しいっていうか「昴の好みを探して色々買ってみたんだけど……」そう言いながらキッチンに手を伸ばしてチョコレートやポテトチップスを次々と昴の写真の前に置くと仕上げにグラスにアルコールを注ぐと甲高い音を鳴らして乾杯した。
「私……少し太ってきたかな?」
「2人分を食べるのは少しきついけど頑張るね」
雅美は食事と会話を楽しんだ。会話の内容は仕事に全然集中できなくてミスばかり……昴のせいだよと頬を膨らませると急に笑顔になり冗談だよとグラスに口をつけた。昴が本物だったらもっと楽しいだろうなぁ……テーブルに両肘を付け両手で口元を隠すと小声で「スキ」そう言うとキスをする素振りを写真に向けるとその後は恥ずかしかったのか両手で顔を覆って照れた。でも、それがたまらなく楽しかった。
「昴ちょっとお風呂に入ってくるからまた明日話そうね♡」
「えっ! 何? そんなんじゃないよ!」右手を振りながら「昴にすっぴんなんか見せられないよ」顔を赤らしめて俯きながら小走りで浴室に向かった。
バタリと閉められた脱衣場のドアに背を預け自身の胸に手を当てると速くなる鼓動が恋の予感を感じさせた。
「あぁ〜、昴の事をもっと知りたい」シャワーを浴びながら自身の人差し指と中指を口の中に入れ舌を絡めると、もう片方の手で豊満な乳房を撫でた。シャワーに打たれながら自身の指で自慰した。
悲鳴がしたのはそれから10分後のことだった。浴槽から前のめりにダラリと垂れた両手と髪の毛。
髪の毛は空中をブラブラしているが、両手は手の甲がペタリとタイルに垂れていた。彼女は動かなかった。しばらくして浴室に異様な笑い声が反響した。
「どうして……いつもこうなのよ!」
「せっかく楽しく過ごしているのに……」
笑い声のあとは聞き取りにくい独り言を発したあと大声で笑った。
排水口をよく見るといつもより抜ける量が違った。抜毛の中に束になって抜けている髪の毛を発見して絶望しているのだ。
自身の後頭部を手探りで抜けている箇所を探すと頭皮の感触を感じた。
慌てて浴室の鏡にお湯をかけ手に持った鏡を合せた。異変が起きた後頭部の髪が一部欠落していた……
鏡に映った自身の顔が恐ろしいほどに歪んでいた。きっと長年働いてきたストレスだろう。自身の中でそう解釈するとこれでは自慢の三つ編みができないので仕方なくポニーテールで隠すことにした。
「ワタシハマダ……ケッコンモ……オンナデハゲ……オワタ……」まるでゼンマイが止まりかけのおもちゃのように繰り返し呟いていた。
寝室に直行した私は日記に「最悪」とだけ書いた。
その後はベッドに寝転びながらスマホで髪を生やす方法を探した。そんな矢先ジャッカルフォーカスの記事があったので反射的に親指が反応した。
そこにはメンバーの詳細が公開されていたので私は無我夢中で昴の顔写真をタップした。クルクルと通信中の輪が回っていたがすぐに画面が切り替わると昴の詳細が載ってあった。
以前は下の名前と誕生日した知らなかったのに、ついにここまで公開しちゃったんだと内心ドキドキしながら目で追いかけた。
神月昴(21) 身長 175センチ O型
誕生日 10月27日 さそり座
好きな食べ物 鶏の唐揚げ・ラーメン・チョコレート・グミ
趣味 カラオケ・読書
好きな女性のタイプ 守ってあげたくなるような人
最後にファンに向けて一言 「僕達のセカンドシングルが10月27日にリリースされるのでよろしくお願いします」
プロフィールを一読すると女性のタイプは言わされているような気がしたが最後のセカンドシングルの発売日は面を食らったが鼻血が出るほど嬉しかった。
早速カレンダーに書き込むと明日の仕事ほど憂鬱な日はないと呟きながら瞼を閉じた。