【連載小説】真・黒い慟哭 第1話「ゲテモノツアー」
……ここはどこ? あの日の恐怖が記憶を遮っていた。
たしか母が父を殺してしまって、母は警察に捕まり、父の祖母も老衰で亡くなり、母の両親は事件のショックで2人とも鬱になり2人で飛び降り自殺をしてしまった。第一発見者の証言では2人は手を繋いだ状態で地面に激突するとスイカが割れるような音がしてアスファルトに脳みそが飛び散ったと近くのカフェで目撃情報が出るとすぐにニュースで報道が組まれた。みんな私の前から、いなくなってしまう。私は疫病神なの? この先もずっと1人なの?1人は嫌。暗い部屋で私は何をしているの? 知らないおじさん? それが、いけないことだとしても生きるためには仕方がないことなのよ……
蜃気楼が立ち込めるグラウンド。当然誰もいない。明日から夏休みに入る最後の授業を退屈そうに窓際の席からふと、外を見た。何百回と見てきた代わり映えしないグラウンドの400メートルトラックを眺めていた。授業に集中できないのは、右斜め前に座る彼女の存在だ。彼女ばかりに視線を向けていると好意があると悟られるとたちまち気持ち悪がられてしまう、最悪の場合セクハラなどとぬかされて訴えられたらたまったもんじゃない! 今の時代はそういう時代だ。だから時々こうして視線を外している。
グラウンドを見ていると窓に反射した彼女が映るので、僕は密かに彼女に好意を寄せている。先生によく叱られるのだが、僕は気にしていない。
「こら、沢北! 夏休み前の最後の授業くらい真剣に聞け!」案の定チョークが飛んできた。先生は渋顔でチョークを拾いにきては僕の顔を一瞥するとため息をついて教壇に戻った。右斜めの彼女と目が合った。彼女は微笑んでくれた。
中学1年の夏が始まった。沢北輝樹の恋が始まった。チャイムが鳴った。帰りのホームルームまで担任がくるまで少し休憩になった。
「なぁーに観てんだよ! 輝樹!」親友
の町川友紀が俺のスマートフォンの画面をいきなり覗いてきた。
友紀の目に映ったのは『ゲテモノツアー』と書かれた文字だった。「何それ? ゲテモノ系が今流行ってんの?」「しっ! 声がでけーよ」と興味があることを友紀に打ち明けた。その話を教室の隅で聞いていた1人の女子生徒。すると教室に担任が入ってきた。クラスがざわつく。
「いいか、明日から夏休みだが、宿題はちゃんとやるように、いいな」担任の号令でみなが一斉に教室から出ていってしまった。
帰る準備をしていると友紀が「すまん! 今日野球部に顔出してくるわ」と血相を変えて走り去っていった。そりゃそうだろうずっと部活をサボっていたのだから目をつけられても仕方がない自業自得だと思いリュックを背負った時、背中から声をかけられた。振り向くと│高松玲香《かたまつれいか》が照れくさそうに「一緒に帰らない?」と言ってきた。赤面する彼女の顔に心が踊った。
2人の距離が微妙に遠く感じた。それほど違和感を感じなかったが、この距離が縮まればいいなぁと思っていた。
それぞれ家は別方向だ。この道がその分岐点であるカーブミラーまで進んで止まった。
輝樹がそこの自販機で少し話でもしないかと誘ってみた。
「はい」と可愛らしく笑った。
玲香が駐車場の車輪止めに腰を落とした。ファンタのプルトップを開け喉を鳴らしながら半分ほど飲んだとき薄いピンク色のショーツが見えた。「あの……さっきからパンツ見てるけど」彼女は気にもせず「輝樹くんはそういうの好きなの?」と聞いてきた。
輝樹の顔が赤面して「違うよ! 隠したほうがいいと思って」右手を振りながら応えた。「以外とまじめなのね」玲香がニコリと笑った。
「今度、ゲテモノツアー、一緒に行かない?」と誘われたのでとりあえず首を立てに振ってみた。
彼女は微笑んで踵を返して細い路地へと消えていった。空を見上げると夏の空が薄闇に染まっていた。
玲香が団地に着くとおばさんが敷地内を掃き掃除していた。
「おばさん、こんばんは」とペコリと一礼すると「あら、玲香ちゃんお帰りなさい」「おばさん、ゲテモノツアーの参加者ですが……」おばさんおばさんと言われてるが、まだアラフォーよと言いたい口を尖らせて膨れていたおばさんがその言葉聞いた途端に笑顔があふれた。
「あら、彼氏?」
「いえ、そんな」うつむいて階段を上がっていった。
玄関前で2人のおじさんが待っていた。
「1回、5千円になります。本番はなしです」そう言うと1人のおじさんと一緒に部屋に入っていった。あの日から、1人になった私が生きるためにはパパ活をして生活費を稼がないといけないのでやむを得ずおっさんの欲望を満足させていた。
おばさんは私を見るとほっとけないのか週に数回は手作り料理をタッパに入れて部屋まで持ってきてくれる。
それだけで食費が押さえられて助かっていた。
「玲香を見ていたら昔の自分を思い出すからほっとけなくてね」が口癖だった。
そんなおばさんと出会って劇的に生活が安定した。
行き着いた先が大阪の北側にある大通りから脇道に外れ細い路地を通ると開けた場所に1棟だけ団地が残っていた。
家賃は月、1万5千と破格だった。おまけに中学校までは徒歩20分以内だ。
そんな事を思いながら2人目のおじさんが本番を要求してきたので、プラス3万ですと言うとコンドームを渡した。ぶっちゃけ本番はなしだと謳っているが、要求してくるおじさんのタイプが自分に刺さればオッケーなのだ。
週に5人くらいはお客さんが来てくれるのでお金には困ってなかった。その上貯金も少しはできる。最初は抵抗があったが、今ではすっかりと慣れてしまった。
あごが疲れたのか手で押さえながら、おっさんの上に跨った。それから、数日が過ぎた。
ゲテモノツアーの当日。参加者は私と輝樹くんとその友達の友紀くんと垂れ目がちなおばさんと一番うしろの席の丸刈り頭のおっさんの5人だけだった。その5人を乗せたマイクロバスが信号待ちで止まった。
前の席に座るおばさんに話しかけた。
「おばさんおはようございます」バスが止まったことをいいことに座席からヒョコッと身を乗り出して聞いた。
輝樹が「ちょっ! 玲香ちゃんそれは、まずいよ!」座らそうと手でジェスチャーをしたが「まずいって何がよ? この人は知り合いのおばさんよ」とすました顔でサラリと言われた。「あっ、そっち」と輝樹は思いおばさんと楽しそうに会話をしているからまぁ、いいかと思った。目の前で会話が楽しいのかぴょんぴょん飛び跳ねて再度、座席に前のめりで寄りかかった。窮屈そうなジーンズに浮き出た下着のラインを眺めていた。
うしろにいた友紀に「ケツばっか見てんじゃねーよ!」と座席の隙間から声がした。
「バカヤロ」と座席の隙間越しに口論が始まろうとしたとき、いきなり大きな声で「えーっ! そうだったんですか?」と会話もいよいよクライマックスかと思うほどの声量で話が弾み輝樹の咳払いにおばさんが舌をペロッと出して笑ってみせた。
おばさんも微笑んでくれていた。
そのおばさんがトーンを落として「おばさんは悪いことをして捕まったの、男性側が悪いんだけどね」と言葉を濁しながら視線を落とした先に指でムカデと戯れていた。
そういえば私が服役中にあとから入ってきた女にずっと睨まれ続けたけど、1年くらい経った時に急に苦しみだして逃亡を企てた計画なのか看守に連れ出されていったわ。あとから聞いた話では司法解剖の結果。胃の中から無数の蜘蛛が這い出してくるもんだから、不思議に思った医師が胃を切開してみると蜘蛛の巣だらけで真っ白だったらしいわね。胃のあっちこちに小さい穴が開いていたみたいで死因はきっとそれだろうけど悲惨よね。服役中にいくらお腹が空いているからといって蜘蛛なんか食べるからよと苦笑した。
「ねぇ? 玲香ちゃんはゲテモノツアーって初参加なの?」輝樹が話のネタに聞いてきた。
「んっ? 2回目だよ」その問いに驚いた瞬間だった。
ピンポンパンポーン〜♪
「よっしゃ〜! 待ってました」と玲香がガッツポーズをした。
【この度は、ゲテモノツアーにご参加いただき誠にありがとうございます。現在道が大変混み合っていますので、申し訳ございませんが、当バスはお宿に直行させていただきます。ご理解の程よろしくお願いいたします】
「なんか変な言葉? 言い方かな? 変なアナウンスだな」輝樹はうしろの座席に話しかけた。座席から覗いたら、友紀は眠っていた。
すると、一番うしろの席に座っている丸刈りのおっさんが立ち上がり一番前の席に移動した。通り過ぎる時、おっちゃんが持っていた物がちらりと見えた。
それは『茶色いイモムシ』だった。
おばさんが2人に話かけた。
「あの人は常連さんの浩二さんっていうんだけど、なぜか名前しか教えてくれないのよ? ちょっと変わった人だけどいい人よ」おばさんは輝樹の目を見て微笑んだ。
【まもなくカーブします。ご注意下さい!】
アナウンスが流れた直後、車体がねじれるようなジィを感じて咄嗟にシートにしがみついた。
バスが曲がり終えると浩二さんが「んんーっ」と天井に頭を上げて興奮した。
やがて、ひときわ強い揺れが起きると100メートルほど進んでバスが停車した。
浩二さんが立ち上がり「さぁ、いきましょう!」と張り切った。
ゲテモノツアーは基本1泊2日である。初日の大半がバス移動であり道の混み具合では宿に直行というケースがほとんどだが、利用客は文句を言わない。むしろアナウンス中にうなずく者がほとんどなのだ。
万が一に道が空いていたらスケジュールを埋めるために少しだけグロテスクな生き物をみて泊まる宿へ向かうのだが、今日は道が混んでいる。2日目はゲテモノを見て、触って、食べての三拍子揃った極上の1日が待っているが、なんて言ったって、一番の醍醐味は宿で振る舞われる宴会である。コミュニケーションを深めて翌日に備えるのがこのツアーの常である。それを知る人物はそれが楽しみで仕方なかった。それを知らないのは輝樹と友紀の2人だけだった。
バスの扉が開き一行はぞくぞくと降りた。
『旅の宿 ミカヅキ』看板を見上げていた。
2人が温泉で旅の疲れを癒やし宴会場に着くと浴衣姿の玲香ちゃんやおばさんと浩二さんがすでに待機していた。
俺と友紀は空いている席に座った。浩二さんの隣に友紀が座りその向かい側の玲香ちゃんとおばさんの間に俺が座り全員揃ったのを確認すると浩二さんがいきなりオカリナを吹き出した。
オカリナのリズムに合わせて女将を先頭に鍋、お酒、天ぷらなどの料理を載せたお盆が次々にテーブルの上に置かれた。女将を残して2人の仲居さんは部屋から出ていった。
「この度は、ミカヅキにお越しいただき誠にありがとうございます」一礼すると鍋の蓋を開けた。
むせ返るほどの熱気と変な臭いに翻弄された2人は他の3名のような歓喜の色は見せなかった。
女将が浩二さんの隣にビール瓶を持ち寄り御酌をした。
グラスに注がれるきめ細かい液体と泡が7対3の割合で完成した一杯が乾杯を惜しんでいた。
この蒸し暑い夏の日にましてや風呂上がりのビールは格別だろう。輝樹と友紀は未成年ながらもよだれを垂らしてグラスを眺めていた。
女将が坊や達も少し飲む? と言ってきたので2人はおばさんの顔を窺った。
「少しだけよ」とおばさんの了解を得た嬉しさのあまり歓喜した。
「歓喜するのはお鍋の蓋を開けた時にしてほしかったわ」おばさんは拗ねたように口を尖らせた。
女将さんの乾杯コールでスタートした宴会。
料理の説明がされた。
こちらのお盆に載っているのが右からバッタの天ぷら、コオロギのからあげ、ゴキブリの素揚げ、ミミズのおにぎりなどが平皿に盛られていた。その脇に小さなマグカップには蟻のスープが添えられていた。
最後に夏バテに効くとされている今が旬の鎌を持った食材が入ってます。「それでは、ごゆっくりどうぞ」最後にそう言い残して部屋をあとにした。
浩二さんが我先にと菜箸で鍋の具をほじくり「あったあった、これだ!」そう言って、摘み上げたのがトロットロになったカマキリだった。
皿に乗せ胴体を箸で切り離した。あっつあつの尻尾を口の中に運ぶ。思ったより熱かったのか口を半開きにして熱を逃がしている。
ようやく咀嚼すると隣に座っている友紀に「こいつの尻尾はしっかりと噛めよ! 中途半端に飲み込むなよ! 中の寄生虫が生きてるかも知れねーからな! 胃の中で何するか分からねーぞ!」絶句した。
箸でつままれたカマキリと目が合った。
「食ってみるか?」そう云われたが、首を横に振ると白けた顔をして食わず嫌いはよくないよといってカマキリの上半身が口の中に消えていった。
これがゲテモノツアーの醍醐味かと想像を絶する光景に2人はビールの気泡の数を数え現実逃避した。
隣から「ビールは大丈夫よ」玲香がグラスに口付けながら言った。
唯一まともなビールをたらふく呑むことにした。
コオロギのからあげを口に放り込むおばさんが「苦いけど美味しい」とワインを一口呑んだ。
玲香が蟻が5、6匹浮いたスープを啜ると「なんだか、しょっぱい」梅干しでも食べたような顔をした。前の席の浩二さんがミミズのおにぎりにかぶりついた時、糸を引くような粘りっ気が気になり俺と友紀は顔を見合わせた。
『もはや正気の沙汰ではない!』神経を疑う狂気すら感じたあとに後味の悪い恐怖に冷や汗が流れた。
「輝樹くんは食べないの? 一度食べたら病みつきになっちゃうよ」おばさんの口からバッタの脚が出ていた。
常軌を逸した光景はもはや理解不能だった。とりあえず帰りたい、友紀の考えている事と一致したような気がした。
目の前で繰り広げられるグロテスクな宴会にめまいを覚え終始グラスを持つ手が震えていた。
宴会も終盤にさしかかると浩二さんが茶色いイモムシを手に蛾が一番だ! と言い放った。負けじとおばさんがムカデが一番よ! と気迫ある声で咆哮した。このツアーでは自身の嗜好を鼓舞し合う恒例行事であるらしい。2人の言葉のやり取りを目で追っている玲香はきっと、まだお気に入りはないのだろうと思った。
5時間に及ぶ食事が終わり輝樹と友紀はお腹を空かせていたが、我慢して各自部屋に入った。
輝樹は自室に戻る最中、玲香は蟻のスープしか手を付けてなかった。それも無理に飲んでる感があった。そんなことを考えている内に部屋の前に着いた。中に入ると和室の畳に布団が2つ並んで敷かれていた。一瞬ドキッとしたが、テーブルの上に映った物と相殺された。
ポットの隣にカップ麺が2つ置かれていた。
玲香は露天風呂でリラックスしている今がチャンスだと思い一心不乱に麺を啜った。
カップ麺を食べながら、あのおっちゃんと相部屋の友紀も今頃はカップ麺を啜っているに違いないそう思った。
『ガチャ』ドアが開き袋のこすれる音がする。玲香が右手に袋をぶら下げていた。
「輝くんカップ麺食べたんだ。さっき売店でお弁当買ってきたから一緒に食べようと思って」
玲香は気が利く女の子だなぁと思いよけいに好きになってしまった。
「このカップ麺って玲香ちゃんが置いたの?」
「違うよ。このツアーは興味本位に来たり、怖いもの見たさで来る人がほとんどだから、大体の人が空腹で部屋に戻るんだけど、カップ麺は空腹を満たす用の宿側の粋なはからいよ」お弁当をレンジに入れながら言った。
「なんだかいい宿だね、玲香ちゃんは2回目って言ってたけど、前回はどうして行ったの?」
『チン』レンジを開けながら、「あの、おばさんと出会ってからなの。おばさんに誘われると断りにくくて、色々とお世話になってるから」そう言うとハンバーグ弁当を渡してくれた。
「そうだったのかぁ『でも、輝くんは嫌だったら次からは来なくても大丈夫だからね』」玲香が慌てて言葉を重ねた。
しばらく2人でハンバーグ弁当を黙々と食べた。
「あっ! 輝くん口にデミグラスソースが付いてる!」そう言いながら、顔が近づいてくる。玲香の舌で舐め取るとそのまま輝樹の口に舌が侵入すると、輝樹の体が震えた。どうしたらいいかわからないのだ。玲香が優しく押し倒すと部屋の2人は抱き合いながら、激しく接吻を繰り広げた。
部屋の明りが消えた……