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双子パンダ ママのそばから“卒業“
人間の私には想像できない動物の親離れ。
突如、母親から突き放されるライオンの子供とか、なんとなくいつかテレビで観たような気がする。
人間の親子が「今生の別れ」など、よほど特殊なケースを除いて、現代日本ではあり得ない。もっとも、離婚で親子が生き別れることはザラにあるのかもしれないが。
「母子分離」という専門用語で語られる親離れ。
パンダの場合、子供は、1歳半〜2歳の間に母親から離れるという。そうしなければ、単独行動をする動物なので、親子でも縄張り争いをしてしまうことになる。
“シンシンに発情の兆候が見られる” という一報から
全てが始まった。パンダ沼に落ちた私が、初めて、新しい命の誕生の一部始終を見ることとなった。リーリーとシンシンを金網越しに会わせて、同居しても大丈夫そうか見極め、時が満ちて “同居“ 。交尾が確認された。パンダの妊娠期間は個体によりマチマチ。
3ヶ月〜5ヶ月間と開きがある。
暫くして何の音沙汰もなかったので、「ダメだったのかな...」などとションボリしかけたあたりで、あの歓喜の瞬間が訪れた。
いまも、この時の歓びはそのままだ。
生命の誕生がこんなに愛おしく思えるとは...。
シンシンとリーリー、大好きなパンダたちの子供。
シャンシャン誕生のときは、自分はパンダ沼にハマっておらず、一般的なよろこばしい事として喜んだ。最初の子供が亡くなったときは、園長が会見で泣いているのを見て、このときは沼にハマっていなくとも自分のことのように泣いていた。パンダの初産がうまくいくことは難しいということは、最近になって知った。
双子だったこと。死の危険と隣り合わせの、最初の7日を乗り越えたこと。やがて、性別が判明して、オスとメスだったことを知った時も、私は泣いた。
私にとっての彼らは、家族のようだ。
見知らぬパンダファン皆がそう思っていると思うが、
まるで家族なのだ。
正直、自分にとっては、人間よりも共感できる存在がパンダなのだ。
シャオシャオとレイレイが生まれる前から今日に至るまで、すこやかに成長していくさまを見せてくれたシンシン、飼育員のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
親子一緒で過ごす最後の日、1時間以上並んで1度だけ観覧できた。
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右側手前のレイレイは貫禄すら漂うが、まだまだ小さな背中。甘えん坊で「ママ大好き」なシャオシャオは木の上で、ママの近くに。左のシンシンは淡々としているが、もう当然、子供達が離れていくのを察知しているのだろう。まるで、飼育員さんと話し合っているかのように、そうするべき時を知っていると思えてならない。シャンシャンの子育てで培った経験も生きているであろうし...。
観ている自分には、不思議と悲壮感はなかった。
たぶん、シャオにはレイちゃん、レイちゃんにはシャオがいるから。親離れしても、暫く、双子で過ごす。
今度は、パパとひとつ屋根の下、同じ建物の隣の部屋に住む。まだ使われていなかった小さな庭が、彼らを待っている。
シンシン、育児お疲れさまでした。
しばらく、のんびりと過ごして、ご飯をゆっくり味わってモリモリ食べて下さい。
シャオレイと離れても、忘れないでいてほしい。
人間的な考えだけど、なんだかそう思ってしまう。
シャオシャオ、レイレイ、飼育員さんと多勢のファンが見守っているからね。
ママからの卒業、おめでとう。