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SNSの使い道がわからなくなった

13年前だったか、元々、とある有名歌手の方がやってるとか、ハリウッドセレブがやってるとかメディアが言い始めた頃、私も気軽に始めてみたツイッター。
だけど、10ヶ月程前ツイッター絡みで、現実レベルでもとても嫌な思いをする事が起きたので、とにかく言葉を発することも嫌になりツイッターから離れた。 

だが、今回、新たに匿名アカウントをつくった。

離れてみてSNSで発信することの価値や意義がわからなくなってしまった。ただ、存在価値はあるし意義もある。なぜなら、自分が[いいね]やら[RT]なども使わず、本当に閲覧するだけのために使うには非常に有意義だったため。
例えば、#シャンシャン #リーリー など、
新鮮な画像を探して観るのは、ほぼ毎日していた。
そんなことをしているうちに、自分もタグの中に写真をあげていきたいと思うようになった。

今回は、自分が誰だか判別がつかないようにペンネームを使用したアカウント。ただ、これで物申したりすると有名人などから、「実名も出してないのに」と決まりきった文句が飛んでくる。その言い草には、「いわゆる一般人は、仕事として人生賭けてツイッターをしているわけではないからねぇ....。」と、私としては渋い顔になる。だから、なにか物申す系の思想を出すことを極端に恐れている。

苦言とは誹謗中傷なのだろうか...言い方の問題?


苦言と誹謗中傷は似て非なるものだということも読み手次第になってしまう。
傷つける意図での発言を誹謗中傷というのではないか、というのが私見。苦言は、叱咤激励なども含め、改善の余地について言及していることではないかと思う。「改善など他人から指摘される筋合いないわ!」と切り捨てられてしまえば、それも意味のないことになるが。むしろ、そういう受け取り方をする人には誹謗中傷とされてしまう恐れがあり、トラブルの元になる。それが本人に対するリプライをしていなくても、なんと“検閲“ されていて嫌がらせをされることも起こるのだ。もうこうなったらお手上げで、何を言うのもバカらしくなる。“どう思ったか“ すら言えない空気になるのだ。これは、言論の自由を脅かしている事になるのではないか、と。気の合う合わないの問題ではなく、読み手の勝手な思い込みでこちらの人格そのものを否定されることが起きた。

....詳細を述べるのはやめておく。これは、自分の紙のノートにでも記せば良い。

フォロワーがつかないと...

困った事に、再度、匿名アカウントを作ってはみたものの(ツイッターとインスタ)、交流が主たるアカウントではないので“宣伝“の仕方がわからない。したがってフォロワー0の状態が続いてしまう。
スパムとか迷惑アカウントと間違われそうで、さらにフォロワーがつかないではないか。
とりあえず、イーロン・マスク体制になってからツイッターを使うのが初めてということになるので、もうなにをどうしていいやらと思うし(公式アプリの使いにくさよ....アカンで)、インスタは確実に繋がりを意識しないとダメかなぁ...とも思うし。

この記事も、そんなわけで現状匿名なのである。

非常にモヤモヤしている。


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