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バセドウ病について。(発覚して、受け入れるまで)

当時のガラケーで、バセドウ病と検索する。
「吐き気」「眼球が飛び出るような症状がある」「少しの運動ですぐ疲れ、動悸や息切れがしやすくなる」「暑さを異常に感じ汗をかきやすい」など…全て最近の自分に当てはまる。

そして検索結果には…「短命」

動悸など、鼓動が早くなることから心臓を酷使し長生きは出来ないということで健康な方と比べて寿命が短いらしい…そんなことも書いてありました。
怖い、怖い、怖い……恐怖で胸が押しつぶされそうになります。

「絶対ちがう、私は病気じゃない。大丈夫」
何度も何度も自分にそう言い聞かせて夜眠りにつきました。

そして検査当日。検査の待ち時間中、私は怖くてずっと泣きそうになっていました。そんな私の肩を優しく抱いて一緒に長い待ち時間を過ごしてくれたのは母でした。
「大丈夫、大丈夫…」母はそう繰り返します。
そして私の順番がやってきました。

先生「おまたせしました。喉の腫れがあるということで…他にも症状が出てるんだよね?」
私「はい…」
先生「ちょっと、手をこう出してくれる?」
言われるがままに手を前に出します。

先生「手のひらを上に向けてみて」
言う通りにする。震えが止まらない。
怖くて身体が震えているわけじゃない。
手だけぶるぶると異常なほどに震えている。
私「どうして…?」
先生はこの光景を見た瞬間、結果をほとんどわかっていたんだと思います。
先生「もう大丈夫だよ。血液検査の結果が出るまで少し待っててね」
そう言って先生が離れて行った瞬間、ぼろぼろ涙が出ました。

お母さんに抱きしめてもらう。怖くて不安で涙がとまらない。

検査の結果は、

バセドウ病

でした。


バセドウ病は良くなることはあっても、一生付き合っていく病気。
放射線を使った治療と、メルカゾールという薬を服用していく治療のどちらかを選んで欲しいと言われました。色々考えた結果、私は薬で治して行くことにしました。一日2錠朝に飲む…もらった薬を手にした瞬間「私は一生、この病気と付き合って行くんだ」と思い知らされました。

お母さんは「大丈夫だよ」「従姉妹のおねえさんにバセドウ病の方がいるから、色々話しを聞いてみようね」と私を励ましながらも「お母さんのせいで、ごめんね.」と泣いていました。お母さんのせいじゃない、お母さんのせいじゃないよ…

色んなことで頭がぽーっとしながら母が運転してドライブしていた時、車から流れていた曲の歌詞にこんな言葉がありました。

「周り道もたまには悪くない」

嵐の♪きっと大丈夫
という歌の言葉でした。

歌の中に何度も出てくる「きっと大丈夫」という言葉にも何度も励まされながら、車の中で泣いたのを覚えています。一通り泣いたらすっきりして…私は前向きに病院に通うことができました。

あの時、私の病院に付き添い続けてくれたお母さん。本当にありがとう。だいすきだよ。


そして病気が発覚して2年たった頃。

病院の先生「甲状腺の数値、とってもいい感じだね!」
私「本当ですか!最近身体の調子も良くて」
病院の先生「それはよかった!よし、うちよりもっと小さい家の近くの病院にしても良さそうだね」
私「やった!」
病院の先生「それと、薬も一日1錠に減らしてみようか」
私「わーい!!!!!」

そして、近くの病院に変更してからさらに一年。
私は2日に1錠の薬のみで安定するほど、症状は良くなりました。

そして10年ほどたった現在。
「ほぼ完治している」と言われるほど数値は安定しています!

薬をやめてもいいんじゃないか?というくらいまで落ち着いたのですが、油断しすぎてはいけない病気なので気を抜かずこれからもしっかりとこの「バセドウ病」と向き合って行けたらと思っております。

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