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深刻に考えすぎなのか

結局のところ
私は彼のことをほとんど理解していなかったんだ。
それなのに何かを知っているように
本質を掴んでいる気になって、
私の願いを伝えた。

それがどんなに辛いことか理解しようとすることもなく、当たり前であるようかのように彼の心の部に見えない剣を突き刺した。


他者からの影響をスポンジのごとく吸い込む性質。そんな彼は他者の要求(期待)に応えることで、自己認識してきた。
強いアイデンティティ(軸)がそこにあった。

もちろん全てではない。
すべての要求には応えられないから、そういう部分が強い人。


そんな彼に私は「自分を基準に考えて」と言った。自分を大切にできない人は、本当の意味において相手も大切にはできないからと。

要求に応えることで
もしくは相手をそのまま受け入れることで優しさを表現してきた彼にとって、
この真逆の視点は自分をどう扱っていいのか相当戸惑ったと思う。
実際、かなり深刻に悩んでいた。

「俺の根幹を揺るがす」と言って。

それでも私と一緒にいたいからと
彼は変化する道を選んだ。

今になってようやく分かる。
自分の土台が崩れるとき
判断することがどれだけ怖いか、
自分の枠を壊すことが
どれだけ痛みをともなうのかを。

それは相手が悪いとか
環境のせいとか
体調的に変わざるをえないとか
そういうことではなく、
自分がそれを選んでも、選ばなくてもいいとわかっている時に

変わるほうを自分の意思で選ぶことが
どれだけ勇気のいることなのかを。

言い訳はできない。
意味付けも、条件付けもない。
シンプルに
「やりたいのか?」
「やりたくないのか?」
そこだけだ。


彼に突きつけた課題を
一年半たって私が向き合う。
課題の内容は違うけど、「どうしたいのか?」を見つめ続ける。
どんだけ辛くても自分一人で決めないとね。


やりたいのか?
やりたくないのか?



深刻に考えすぎなのかもしれない。
でも、多分ここが大きな分岐点。






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