映画「カラオケ行こ!」21回目、および22回目を見た後の私的な覚え書き。
⚠ネタバレしかない。
⚠オタクの私的な覚え書き。
⚠オタクの妄言多謝。
⚠「カ!」原作は、映画前に一度読了済みだが、原作との違いをあーだこーだ言うつもりは一切なし。
⚠「ファ!」未読。
この映画の主たる893の人のせいで、就業中に事務所内で交わされる受理可否について「反社」「タトゥー」という単語に、非常に敏感になっているオタクです。
生まれて初めて「虎」は「和彫り」だと知って、ほほぅ…虎か…と、なった。(いらん、知識)
ついで「洋彫りのドラゴンはセーフだけど、昇り龍はアウト」という営業さんの言葉に吹きそうになって、咳で誤魔化した…
昇り龍て…完全なる反社やん…
けれども、全身に彫り物が入っていても、バチバチな優良企業の会社経営者のファッションタトゥー(自称)ならば、ギリ、グレーゾーンで通るという査定も、なんというか、大人社会の汚さ、不条理さを感じる結果ですなぁ(白目)
土曜、都内の上映館に行ったら、今まで観た中で一番スクリーンが大きくて、そのデカさに、ちょっとビビったけれども、ほぼほぼ満席で感慨無量。
観終わってから、座席数を確認したら、400人ちょい入る規模だった…
そら、スクリーン、デカいわな…
劇場内のだいだい真ん中の座席なのに、前方の席みたいな、距離感詰めてくる狂児の圧に、こわっ!となり、眉間に皺を寄せてしまうレベルの迫力☆
初見時以外、ずっと100人くらいの規模で見慣れていたので、とてつもなく新鮮、かつ、聡実くんの悲痛な怒り方と、愛を捧げる鎮魂歌に、久しぶりに泣きました…
そして、聡実くんが、自分から誘う「カラオケ、行こ。」のところの、聡実くんの白目の美しさと、睫毛の長さと、桜色の小さな唇に、心臓が痛くなりました…透明感、ハンパないな…
スクリーンの大きさって、結構重要なんやなーと、このタイミングで気付くオタク…迂闊ですなぁ(遠い目)
ちょうど、私の後ろの席に座った、お嬢さん2人組の片方の女子が、映画を観る前に「今は、何も言わん。とりあえず、見て。そんで、終わったあと、お茶しながら、聞かせて」と、ものすごい真剣味を感じさせる声音で、もう1人の女子に言っていて、あー、わかるーと、なった。
気持ちは、すごく、わかる。
私も、この映画を初見したあと、あまりの荒ぶる心を持て余し、腐った友人に「チケット代だすから。とりあえず、一緒に観てもらっていいかな」と、メールした。
布教もオタクの大事な活動ですからね。
中学3年生男子を事あるごとに、ちょいちょい、触ってくる893の人の以下、覚え書き。
・自分の名刺を聡実くんのリュックのサイドポケットに、無理やり捩じ込んだあと、その上を軽く叩いてくる。…なんなん?
・スティックシュガーで、聡実くんの腕をつつきたおす。
・化け猫のくだりで、聡実くんの肩をガシガシ掴み、からの、軽めグータッチ。
・合唱用冊子で、聡実くんの腕をさわさわ。
・「ハイエナの兄貴が服脱いだら、組長のお絵かきがいくつも入っとる」の、いくつも〜で、聡実くんの胸〜肩あたりを指でつつく。
・宇宙人に捕獲されそうな子犬ちゃん呼びの、聡実くんの白シャツの襟をピラピラ。
・恐怖にフリーズする聡実くんのリュックの肩紐、宇宙人に掴まれて、ズレた左側を直すついでに、右側もなんか、触っておく。
・893大集合カラオケ教室シーン、カラオケ天国の玄関ロビーで、じっと、聡実くんが来るのを待つ、893の人…
ここのシーンも、その後にカラオケルームで待っていた組仲間が「おっそいねん!いつまで待たせるんじゃボケ!」と、文句を言っているので、きっと、狂児が聡実くんを急かすわけでもなく、組仲間のほうを待たせていたんだなと思うのだけれども…
「タバコ吸うな、言うたやろ」にしても、お前のその、聡実くんに対する優しさ?気遣い?は、どういう心理状態なん…
893側は、聡実先生に歌を教えてもらう立場だから、か…
「聡実くーん、待っとったでー」
「…時間、過ぎてましたか?」
「過ぎてへんよ…ほな、行こか」
ここの、…の狂児の行動については、映画の映像が、主に聡実くんの肩より上の視点だから見えてないけれど、ビジュアルブックに、あそこのシーンがしっかり写されていて、答え合わせみたいになっていて、そのシステムに、震える。
つぅか、毎回思うけど、狂児、聡実くんのそこを、そのタイミングで、めっちゃ近づいて、触る必要性ある?
なんの確認なん?
で、聡実くんも、このへんで、狂児が不意打ちみたいに、ぐっと近づいても、体を後ろに引くことはなくなったんやなって、ちょっと感慨深い。
狂児の距離感に馴らされていく、聡実くん…
(頭を抱え)となる…
893の人の距離感、ほんまエグい…
893の死生観について。
この映画でも、随所にみられる死ネタ。
ハイエナの兄貴のたんぽぽ化についての狂児の発言「あの日が、命日やった…」しかり、事故った狂児について、組長さんが言う「あいつは、地獄へ行った」しかり。
893にとっての「死」は、とても身近な世界で、笑いのネタにもなるくらいの日常的な概念なんだろう。
映画を見る部で、最初に見ていた映画「白熱」のギャングを「こわっ。なに、これ?」と、聡実くんは問う。
聡実くんが、それまで生きてきたなかで、そういった反社会的な集団を見たことがないからこその疑問。
そして、栗山くんが「ヤクザと同じや。おるやん、ミナミ銀座にも」と答える。
日本でのヤクザ映画の描かれかたと同じく、モノクロ映画のなかのギャングたちは、ただ淡々と、何の躊躇いも無く、同じ人間に銃を撃つ。
突然、出会いがしらで、あっけなく撃たれ死んでいく「命の儚さ」の、やり取り。
893にとっては、明日になれば、自分はこの世界には、もう存在しないかもしれないという「死」というモノと、いつも隣り合わせで息をしている感覚。
儚い、短い命を運命づけられている職業。
だからこそ、狂児は、鶴を背中に飼ったのではなかろうか。
それは、心の底の、真実たる願い。
いつ、死んでもいいというくらい、なんにも執着しなそうになかった男が、溺れる者は藁をも掴むように、その暗闇から、手をのばす先は。
【溺れる者は藁をも掴む】
(「溺れそうになっている人は、麦藁のように頼りないものであっても、生き永らえようとして頼ってしまうものである」ということから)危急の時にあっては、普段なら取り合わないような、頼りないものにでさえ、助けを求めてしまうものであるということの例え、または、そのようなものにまで、助けを求めてしまうさま。
【愛は求めるものではなく、与えるもの】
アリストテレスの言葉。
アガペーと呼ばれる無償の愛は、見返りを求めることではなく、相手に与えるものである、という考えを示しているらしい。
愛は与えるものであり、恋は求めるものという解釈もあって、愛が相手のために何かをしてあげたい、与えてあげたいという気持ちが強い傾向にある一方で、恋は「~して欲しい」と、相手に求める気持ちが強い傾向とのことみたいだが、聡実くんに狂児が言う。
「歌がうまなるコツ、教えてくれへん?」
…恋なの、か?(真顔)
愛は、双方向。
恋は、一方方向。
一方的に相手に何かをしてもらいたいと望むのではなく、お互いが相手のためを思った行動をするのが、愛。
【無償の愛】
人間は完璧ではない。
そんな、完璧ではない自分→ソプラノが綺麗に出なくなった、だめな自分でも受け入れてくれる人。
状況によっては、和田くんのように、勝手に完璧だと思われていた場合には、だめな部分を見せてしまうと、拒否反応を示し、離れていってしまうこともあるけれども。
自分の欠点を見ても動じずに受け入れてくれたり、優しい言葉をかけてくれたり、変わらない愛情を注いでくれたりする人、それが、無償の愛を与えてくれる人。
この人ならと信じて、自分から弱さを曝け出して、それを受け止めてもらうことで、苦しんでいた心は安らぎを得る。
そして、自分から、自分の弱さを他者にみせて、それを受け止めてもらえたならば、そこで初めて、自分で自分のことを愛せるようになっていくのではないか。
まぁ、実際に自分のだめな部分を素直に受け入れ、だめな部分をも愛するようになることは、そう、簡単なことではないけれど。
◆白熱→893
ギャングが、狂気と暴力の末に破滅に至る過程を描いた凄絶な犯罪映画
◆カサブランカ→愛
かつて深く愛し合った末に別れた男女の思いがけない再会と愛の再燃の物語
◆34丁目の奇蹟→目に見えないことを信じるということ
ニューヨーク34丁目の百貨店に現れた、本物のサンタクロースを自称する男を巡る騒動を描く物語
◆自転車泥棒→大人の汚さ、不条理さ
失業労働者が、仕事に必要な自転車を盗まれてしまい、息子とローマの街を歩き回って自転車を探す物語
聡実と狂児。
「狂った児」という名前。
「生まれたそばから、人生の歯車が狂った」自分とは違う。
「聡実くんは聡い果実やからな、大丈夫や」
「狂った児」と名付けられた自分とは、違うのだ、と。
「聡い果実」と名付けられた聡実くんの、人生の歯車は、これから先も、狂わないとでも言いたいのか。
名前のせいで、人生の歯車が狂った?
聡実くんは、大丈夫?
自分とは、違うから?
真っ当な道を歩いて行けると?
太陽の光が、眩しい道を?
出会ってしまったのに?
影に。
あの雷鳴轟く雨の日に、出会ってしまったのは、狂児のほう。
濃い影を背負う男は、無理やり、出逢わせたのだ、自分に。
それなのに、大丈夫だと、お前が言うのか。
天使の歯車を、狂わせた、男が。
この映画軸の「成田狂児という人間像」は、綾野剛という役者さんのなかを一度通過してから、できあがった「映画版・成田狂児」なので、原作である漫画とは、絶対に同じ人間にはなり得ない。
それが、原作ありきの二次的な作品としての、正解な気もする。
だって、原作のキャラクターがどんな人間なんかなんて、原作者=創造神しか、正解がわかるワケはないのだから。
そこに、少しでも他者の手が加えられてしまえば、それはもう「同じモノ」ではなく「似て非なるモノ」となるだろう。
(インタビューより抜粋)
ーー綾野さんが演じた狂児は、どんな人ですか?
「他者に対してフラットな人です。だからこそ中学生に対しても敬意を持つことができ、心の底では聡実くんと関わりたいと思っている一方で、関わってはいけないとも思っています。なぜなら、自分はヤクザだから。その特殊な距離感は、狂児が忘れていた、あるいは体験することができなかった青春の再現でもある。大切に演じました。」
「狂児は基本的にはずっと20%くらいで生きてきたのではないかと思います。感情が極端に揺さぶられることもないし、歯を食いしばって100%で生きることもなかった。 でも、聡実くんと出会ったことで、それまでモノクロだった狂児の世界に色が生まれ、世界が変わっていく。」
その、自分の世界が色づいていく、心の動きは、恋と、どう違うというのか。
この映画版で、♪紅を歌う聡実くんの回想のなかに、宇宙人を一撃で瞬殺する狂児からの、聡実くんが落としてしまったマジックテープタイプのお財布を拾って、差し出してくれる狂児という、聡実くんの目線での狂児の映像が流れた瞬間、初見時から、ずっと「恋する乙女目線」だと思ってはいたけれど、もしかしたら、腐ィルターのせいかもしれんしな…と自重しつつ、ほかのレビューをチラチラ見てたら「どうあがいてもこれは聡実くんの初恋の物語」と言い切っている方がいて、マジ安心した(万歳)
狂児にとっては、綾野さんが言うように「体験することができなかった青春の再現」だったのかもしれないが、聡実くんは、それを「ちゃうわボケ!どこをどう見たら、くっさい青春やねん!」とブチ切れて、否定している。
聡実くんは、あの前夜、狂児に「元気をあげます」と、LINEして、お守りを見つめ、微笑んでいた。
「愛は、与えること」
中学3年生という狭い世界のなかに、突如として現れた異世界人のように、強烈な違和感と存在感の893の人。
けれども、その強烈な違和感が、いつの間にか、そばにある安心感になり、聡実くんのなかで、だめな自分を受け入れてくれた狂児の存在が、今まで大事にしていた歌よりも、もっと大事な、自分にとって、失くしたくないモノへと、変容していってしまうのは、あの限られた人間関係のなかならば、必然的な気がする。
だって、むこうは、聡実くんが合唱コンクールの明るい舞台で、その透き通る綺麗な歌声を響かせていた時点で、ロックオンした挙げ句、めちゃめちゃ、つきまとってきて、めちゃめちゃ距離感、詰めてきたからな…
あの若さで、若頭補佐になった893から、ただの中学生が、無意識化で、あの粘度と湿度を向けられて、無関心ではいられないし、逃げられるわけないと、普通に思う。
聡実くん、たちの悪い、人たらしな893に、見初められたばかりに、その尊い少年期最後の声、歌を捧げる=愛を与えることになるなんて…(遠い目)
腐ったオタクの心をガタガタにして、また来週も、その893の男の右腕に、愛しい天使の名前が刻まれているのを、しっかりと、観に行ってくる所存です。