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映画「カラオケ行こ!」39回目を見た後の私的な覚え書き。
⚠ネタバレしかない。
⚠オタクの私的な覚え書き。
⚠オタクの妄言多謝。
⚠「カ!」原作は、映画を観る前と35回観終わった後に一度ずつ、読了済み。
⚠「ファ!」一度読了済み。
⚠「ファ!」雑誌掲載分は最新話含め、未読。
突然ですが「なんですか!?その掛け持ち幽霊制度?」という和田くんのセリフが、映カ!のなかで、一番に好きだったりします。
(突然がすぎるわ…)
そして、二番目に好きなセリフは、聡実くんの「どこで笑えばいいですか?」で、三番目が「とにかく、狂児さんの後悔しないほうで」なオタクです。
一番と三番目に、映カ!オリジナルのセリフを持ってきてしまうくらい、この映カ!が好きすぎて、2024年も終わりに近づいているなか、ひとり、え、公開から、もうすぐ一年なん!?と、びっくりするという、な…
10月の頭にドリパスにて、運良くチケットが取れたので秋葉原へ観に行き、11月の後半には大学時代からの友だちに、映カ!推し活鑑賞会と銘打ち、半強制的に旅行先のシアタールームにて、ブルーレイを一緒に見たにも関わらず、12月半ばには、早くも「聡実くん欠乏症」の発作が…
(*発作→頭の中が、全てエンドレス聡実くん聡実くん聡実くん聡実くん…で埋まるっていうアレです)
(普通に、怖いわ…)
あ、そういえば、前述していた体調不良についてですが、まさかの11月後半、旅行から帰ってきた週末にコロナ感染していたらしく、週明けの月曜の朝、味覚が死んでて、ん~~?めちゃめちゃ扁桃腺が両側とも熱かったの、コロナやったんか…と。
なんとなく、ここまで感染していなかったので、自分はもう一生感染しないのでは?という謎の自信があったけど、そんなワケは絶対になくて、普通に感染したので、ですよねー!ってなった(-_-)
鼻をかめば、鼻の粘膜が破れて鼻血が出るわ、気がついたら、唇カッサカサでヒビ割れして出血してるわ。
なんなら、両目の目頭の下の涙袋のとこの皮膚も薄いから、乾燥して破れて、出血してるからな。
もう、いろんなとこから、血が出るwww
そんな11月末から12月前半を乗り越え、人並みに、個人的には予想外すぎるコロナにもかかり、某・中山さんが不慮の事故で亡くなったニュースを見て、人間、やっぱり、生きていると、何が起こるかは全くわからないなーというのを、しみじみと感じ、心の底から「自分の明日が、本当にやってくるとは限らないので、後悔しないように生きよう」と、改めて2024年の師走に、覚悟を決めました。
そんなガタガタな体調&情緒で、12月21日、二回目の秋葉原、ドリパスの応援上映会に行ったら、聡実くんが歌う絶唱♪紅に、全魂を持っていかれ、両隣のお姉さん方が赤いサイリウムライトを楽しげに、リズミカルに振るなか、ひとり、泣きじゃくっていたオタクです…
(まさかの)
(情緒、不安定すぎるやろ…)
◆
秋葉原の応援上映は、キャパ170人の、こじんまり感。
冒頭、天使の歌声な聡実くん登場から、溜め息混じりの「かわいいぃぃ…」が、ちらほら聞こえ、それに対して「心の声が漏れとる…」とのツッコミが入っていて、笑った。
久しぶりに、大きなスクリーンで観る聡実くんは、本当に華奢で、小さくて、かわいい。
狂児とのファーストコンタクトでは「逃げてー!」よりも「諦めないで!」率が高くなってて、個人的に面白かった。
そして、893の人が、聡実くんへと距離を詰めるたびに、毎回あがる「Fuuuuuuuーーーー!!」の声。
多分、コレが正しい用法の「囃し立てる」だなーと、自分でも「Fuuuuuuuーーーー!!」と、口にしながら、冷静に思ったオタクでした。
以下、頭の中を整理するための、相も変わらぬ、かなり個人的な覚え書きの羅列。
◆
「大人」と「子ども」と「友だち」の境界線、または、そのギリギリライン。
大人ぶる「大人」、物分かりのいい「大人」として、振る舞う893の人。
→「心配やん。夜道、ひとり、危ないやろ」
→「こんなとこ、二度と来たあかんよ」
→「聡実くん、中学生やしな」
→「買うたろか、どれ?」
映画軸の狂児の中の人曰く、狂児は「自分はヤクザだから」という、非常に「常識的な認識」のもと、心の底では聡実くんと関わりたいと思っているけれども、関わってはいけないとも思っている、らしい。
だが、しかし「子ども」のような、青春のやり直しのような「友だち」感覚に浮ついて、無自覚?に色んなモノをタレ流す893の人。
→「なぁ、なんか歌ってぇー」
→「この金棒、どう使うん?」
→「刺さってもうた矢、抜いてー」
→「聡実くんを置いて、死なれへんしな」
映画軸では上記のように、狂児というキャラの、心の底での「葛藤」とも言える、深層心理的なモノが反映されて、ああいう「大人」と「子ども」を行ったり来たりする、ジェットコースターのような、情緒不安定な感じに仕上がったのだろうか…
不安定すぎて、いつも観るたびに「こわ…」ってなるオタクです。
全く慣れないわ…
◆
心理的距離感と肉体的距離感の混沌の中での、特殊な距離感。
「心の底では聡実くんと関わりたいと思っている一方で、関わってはいけないとも思っています。なぜなら、自分はヤクザだから。その特殊な距離感は、狂児が忘れていた、あるいは体験することができなかった青春の再現でもある。」
特殊な距離感=青春の再現…
青春、の?
初恋、ではなく??
ほーん…
「友だち」との距離感、近すぎちゃうか…
◆
あまりにも健気で、愛おしい、初めての「愛」に、真っ直ぐに立ち向かう、映画軸の聡実くんの中学三年生の輝きと、眩しさは、あまりにも。
映画軸のオリジナルである屋上シーンは、それまで、聡実くんのアイデンティティだった綺麗なソプラノの喪失という、第二次性徴期特有の悩みと、自己の存在への揺らぎみたいな、個の悩みを打ち明けるシーンで、あそこで、宇宙人の肉体的暴力から助けてくれただけでなく、 映画軸の狂児は、聡実くんの、誰にも言えずに、ずっと悩んでいた精神面も救ってくれている。
宇宙人から助けてもらったときに、映画軸の聡実くんが狂児に抱いた感情は、個人的に、オタクが衝撃的な吐き気を覚える演技指導?誘導?により「カッコいい」という、乙女ゲームならば、一気に好感度の上がる選択肢になっている前提なので、プラス屋上シーンに至っては、好感度MAX状態では…
「愛とは与えること」という認識が、きちんと聡実くんのなかにあるなかで、両親から貰った御守り、しかも、白いほうを、あの893の男にも分け与えようと思い、あの可愛らしい「元気をあげます」というLINEを送って、ちょっと微笑む聡実くんが、なんとも言えず、かわいい。
かわいい、しかない…
(語彙力…)
翌日、貰ったLINEに対して、こちらはこちらで、聡実くんに対する「初めての感情」≒青春の再現だと、浮かれた(思わず、浮かれポンチって表現しそうになり、ギリ堪えたけど、やっぱムリやった…)893の人がアポなし凸してくるタイミングで、部活内での男女のイザコザ的なところを、多分893の人だけには、絶対に見られたくなかったところをみられ、尚且つ、中川さんとデキている等と、本気ではないにしろ、まるで、さも自分は関係ありませんというように、楽しげに、893の人に囃し立てられて、聡実くんはブチ切れる。
映画軸での流れだと、やはり、ココでの聡実くんの狂児へのブチ切れは、自分が三年間頑張ってきた合唱という部活動に対する深い思い入れと、聡実くん自身が、まだきちんと気が付いてはいない、狂児への淡い恋心、初めての「愛」、恋愛感情がないと、あの聡実くんの切ないまでの怒り、悲しみ、苛立ちは説明できない気がする。
学生服のポケットに、いつ会ってもいいように、元気御守りを忍ばせている聡実くんが、本当に健気で、本当に愛おしい。
えぇ子や…
そして、映画軸では、怒って去っていく聡実くんの小さな後ろ姿を、じっと見つめる893の人の表情は、薄い笑みを浮かべ「ガキやなー」と言っている原作とは違い、何処かに痛みを感じたような、後悔しているような、自分が傷ついたかのような、ソレが何かを一瞬、誤魔化すような、何もない空を見上げ、ちょっと居た堪れないような、喜怒哀楽の「哀」をあらわしている…
前述でも繰り返した通り、毎回毎回、この聡実くんブチ切れシーンでは、あの893の人の親しい「友だち」レベルの相手への「色恋沙汰を楽しげに囃し立てる」マインドが理解不能すぎて、ものすごく引っかかるので、何度も覚え書きとして記述してしまうのは、ご了承願いたい所存。
そこからの、聡実くんの、魂から、初めての「愛」を叫ぶような、身を切るような、声を振り絞って歌う♪紅は、あまりにも気高くて、尊くて、切ない。
『大事な人が消え去って、紅に染まる』
聡実くんの絶唱を、スナック・カツ子の壁にもたれて聴く893の人の、魅入られたかのような、魂を持っていかれたような、全てにおいて負けを認めたような、慈しみ溢れるような、♪紅という歌の歌詞をようやく、初めて理解したかのような、非常に無防備な、あの映画軸の「狂児の顔」が、これほどまでに、聡実くんに『大事』だと思われる相手になってしまった自分を、きちんと、認識した男の「素」の顔なんだろう…
その男の顔に、うっすらと。
最後、うっすらと、笑みをたたえているかのように、観ようによって、観えてしまうことがある…
満足げな、幸せそうな、笑み。
生まれて初めて、自分が生きるモノクロの世界に「色」をもたらしてくれた、天使の歌声を持った男の子。
怖がらせたくなくて、
嫌われたくなくて、
離れたくなくて、
危ない目に遭ってほしくなくて、
大事に、大事にしたくて。
初めてできた、そんな愛おしい存在が、893なんて関係ないと、恐怖心よりも、自分の生死に心を砕き、自ら壊すかのように、文字通り中学三年最後のソプラノを捧げ、こんな自分のことが「大事なんだ」と、自分のためだけに「愛」を、一生懸命叫んでくれているのであれば、ソレは。
ソレは、とても至福だし、満足、だろうよなーと、思う。
生まれてから、自分だけのモノクロの世界で、孤独を感じていた893の男にとって、そういう存在って、多分、無意識下で、ずっと欲しかったモノなのではなかろうか…
まぁ、そこら辺についての「男の表情」含むソレらの余白は、邪なオタクの願望が魅せる、マボロシなのかもしれないが。
それでも、確かに、映画軸では、このシーンが在るからこそ、狂児からの聡実くんへのなんらかの感情、友愛?親愛?…特別な感情が見受けられ、自分のことが「大事だ」と、全身全霊で歌い上げてくれた聡実くんに対して、原作とは違って、あの893の男は「聡実くんを置いて、死なれへんしな」と、なーんちゃってを語尾に付けることなく、言い放っている。
そのあとの、晴れ晴れとした、朗らかささえ感じる狂児の満面の笑顔と、その腕のなかから泣き笑いみたいな、けれども、ひどく嬉しそうな、キラキラとした微笑みで、893の男の顔を見上げる聡実くんを観て、表面上は交わらない二人の互いへの想いが、きちんと、お互いに届いているんだなと感じ、胸がギュッとなるのは、いた仕方ないことだと思う、リア充すぎるわ…
聡実くんが卒業式あと、自分で和訳した♪紅の歌詞に合わせて、ミナミ銀座を歩いてまわり、あの光あふれる屋上で、マボロシみたいに消え去った?893の人をまた思い出して、淋しくなって、それから、すごく冷静に思い出して、はて(?_?)ってなって、クシャッとなった狂児の名刺を、リュックのポケットから見つけて、ちょっと嬉しそうに「…おったやん」て言うところ。
もう、もうね、かわいいが限界突破してて、ムリ…
睫毛、長…
ピカピカしてる…
息を吸うのも忘れる。
(いや、忘れたらあかんやろ…)
いつもいつも、叫びだしたい気持ちを、エンディングのリトグリ♪紅に集中することで、グッと堪えているオタクです…
そんなこんなで、一緒に映カ!を観た友だちから「ファミレスも同じ配役であるといいねー」と、軽く言われるけれども、個人的には、真剣に、この映カ!の脚本アレンジ、およびオリジナル部分を付け足したストーリー、世界観が、余白部分を含めて、あまりにも完璧で、ハッピーエンドすぎて、 この映画軸での続編は観たいけれど、ソレを製作するとなると、多分、原作のファミレスからは、かなり乖離してしまう、というか、別のアナザーストーリーになってしまう可能性が高いような気もしないでもないので、いらん期待はせずに、自分自身が後悔しないように、出来る限りの力で、中学三年生と893の人の、もう戻らない青春の残像を、これからも愛で続けていきたいと思う、2024年の師走。
◆
「聡実くんを置いて、死なれへんしな」
「…」
「うわ、…泣いとる」
「泣いてへんわ!」
「めっちゃ泣いとるやん」
「…」
「ごめんなぁ」
何に対して、謝っているのか…
死んだ、と心配させたことか?
合唱祭をサボらせてしまったことか?
泣かせた、ことか?
893の自分が、キラキラで、ピカピカな、その子どもの「大事」になってしまったことか?
とにかく、笑いながら、謝っている時点で、893の人が、上機嫌だということだけは、わかるわ…
なんなん、お前ェ…(ギリィ…)
年齢を重ねると、人には親心みたいなものが生まれると思うんです。子どもの有無に関係なく、男性にも、独身の人にも芽生える感情。漠然とこういう気持ちを持っている人は多いように思います。 若い人に「何か伝えたい」という気持ちが空回りすると、説教になってしまうのかもしれないですが……。
人生は何度でもリトライできる ――時系列だと最初にあたる江戸時代のエピソード(第5話)では、環と周の関係は男女の悲恋のように見えました。よしながさんは、かつて「恋愛部分をフォーカスして描くことに食指があまり動かなかった」と話されていましたが、心境の変化があったのですか?
いえ、実はあんまり変わっていないんですよ(笑)。今も男女の恋愛以外の形で人の絆を描きたいという気持ちが強いです。このエピソードは、環が「周のことをすごく愛しているものの、周と結ばれることを最終目的としていない」というのがポイントでして。恋というか……愛? 私は「愛とは、たとえ自分と離れた場所にいても相手の幸せを祈る」ことなのではないかと思っています。恋とは少し違う。だから、環は自分以外の誰かと結ばれたほうが「周が幸せになる」と思えば、周に対する恋が破れても、そこまで悲しくない。
よしながふみ『環と周』インタビュー