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映画「カラオケ行こ!」35回目を無事に見納めた後の私的な覚え書き。



⚠ネタバレしかない。
⚠オタクの私的な覚え書き。 
⚠オタクの妄言多謝。 
⚠「カ!」原作は、映画前に一度読了済みだが、原作との違いをあーだこーだ言うつもりは一切なし。 
⚠「ファ!」未読。



聡実くんのスナック・カツ子へのカチコミ時、キティの兄貴が、聡実くんが狂児のことを心配して、893の皆様方に啖呵きってる間、ずっーと、辛そうな顔してて、久々に泣いてしまった…

ほんま、えぇ人やなぁ、キティの兄貴。


角川シネマ有楽町が、今月13日で映カ!上映終了とのことで、DVD発売まで、まだ2ヶ月近くもあるし、聡実くんの♪紅は、やっぱり映画館のドでかいスクリーン+大音響で、背筋伸ばして聞くもんやろ、との独断と偏見が根強くオタクの根底にあるため、見納めに行ってきた次第。

この映画、何回見ても、すごく瑞々しい感じがするのは、聡実くん役の齋藤さんの成長ドキュメントでもあるからなんだろうなーとも思います。

本当に、良い役者さん。

あの貴重な「中学3年生の成長期の狭間」という時期を、映カ!に捧げてくれた齋藤さんには、感謝しかない。



個人的に、今までハマってきたモノって、ナマモノで言うと、その人単体がほとんどで、箱的な感じで好きになったのは、ジャニーズグループ・嵐くらいなんだが、この映画に関しては、単体というよりかは『映画化』された映画軸のストーリー、登場人物、そして、コロナ禍前の、まだ日本国民がマスクを強制着用していなくて、世界でも「歌を歌う」という行為が、まだ規制されていなかった2019年の夏の終わりから秋にかけてという、本当に、刹那ほどの時間軸の『世界観』、リアルと夢うつつの境い目みたいな、そんな儚さ、マボロシさが、とてつもなく愛しくて、愛しくて、仕方がないのだ。

映画軸の岡聡実くんという『中学3年生の男の子が生きている世界』の、なんと優しく、それでいて、普通にそこそこ息苦しく、薄ら汚くて、それでも、ピカピカと光るモノが、きちんと存在しているという、リアルに程よく近くて、現実よりかは程よく遠い、がんばって、一生懸命に、手をいっぱいにのばしたら、届きそうな、架空の世界。

いや、マジな話、映画軸の撮影地が、本当に大阪だったなら、移住したいくらい、あの架空の街全体の空気感が好き。

まぁ、撮影地は、山梨らしいんで、機会があれば、聖地巡礼はしたいかなーとは、思ってはおります。



そんなワケで、私の人生史上、もう、こんな体験はしないだろうという、2024年1月終わりから、6月中旬までの約5ヶ月の間、合計33回(配信含めず)、こんなに映画館に通うことになろうとは…

予測不可能すぎて、自分でも驚いた。(遠い目)

生まれて初めて、ホントの「推し活」的なコトをしているなーと、年甲斐もなく、すごく楽しく、毎日がピカピカしていた。

自分の大好きなモノに没頭する毎日を与えてくれた、映カ!に携わる方々に、少しでも「映画を見に行く」という行為で、愛を返せていたら、いいなーと、映画館に行くたびに祈るように思っていたオタクです。



声変わりという、男として産まれたならば、避けては通れない、成長期の痛みを。

ほかの同級生たちとは違った立場で、精神的に、ひどく重たい痛みを。

あの中学3年生という多感な時期に、常に感じていて、それを「誰にも話せなかった」であろう聡実くんを思うと、心臓が、ぎゅっとなる。

一気に背が伸びて、背中が痛いとか、そういう物理的な痛みも、もちろんあるけれど、中学3年間、ずっと真面目に、ソプラノとして。

そして、最高学年では、責任ある部長として。

存在していたはずの「自分」が、どんどん「失われてしまう」という痛みは、果たして、どれくらいなんだろう…

近い未来に、絶対にくるであろう、痛みと不安を常に抱えて、それでも、ひとりで苦しみに耐えていた聡実くんは、精神的に、とても強い子だなとも思うけれど。

きっと、そういう、自分の体が、自分の意思とは違う方向へ、勝手に変わっていく、先の見えない不安や痛みを伴う成長期という、光の見えない薄暗い場所に、聡実くんも、あの合唱コンクールで歌っていたとき、ひとりっきりで、立ち竦んでいたのではなかろうかと、今さらながらに気付く。

雷鳴が轟くなか、狂児とのファーストコンタクト。

階段の上にいる聡実くんから、見えたであろう景色は、雷が「ピカピカ」光るなかを、真っ直ぐに、自分だけに向かって来る、ひとりの男の姿。

聡実くんのなかで、成田狂児という男もまた「強烈すぎる光」だったのかもしれない。

お互いが、お互いに「光」を感じていたのかもしれない。

お互いが「ひとり」で、お互いに「誰にも言えない悩み」を抱えていたけれど、狂児は、聡実くんを。

自分の縋る先ともいえる「天使の歌声」を、見つけてしまった。

そして、聡実くんは、逃れられない「運命的」なナニかによって、狂児という男に、見つかってしまう。

ソレは、すごく、強力な引力とでもいうか…

お互いが、お互いを、必要としていたから、引き合ったのかもしれない。

宇宙人に聡実くんが拉致されそうになるシーン、助けてくれた狂児を「カッコいい」と思う聡実くん。
(アニメージュのインタビューより、引用…)

好感度が、ぐぐっと、上がったとこでの屋上シーンで、それまで誰にも話せなかった痛みを、狂児にポロポロ言ってしまう聡実くん。

ずっと、痛くて痛くて、でも、多分、聡実くんと同じ痛みを感じることができるであろう存在の和田くんは、まだ声変わりという過程には至ってはいない。

映画軸の和田くんて、初見時から、ずっと思っていたけど、聡実くんと、ほぼ、目が合わないんですよね。

和田くんは、聡実くんをチラチラ見るし、聡実くんも和田くんのことをチラっとは見るんだけど、悲しいくらいに、そのタイミングが、ズレている。

最後の聡実くんと隣に並んで写してもらう卒業記念写真でも、和田くんは、最後、笑っている聡実くんのほうを見ているが、聡実くんは、和田くんを見ない。

それでも、聡実くんの笑みを見て、泣いていた和田くんも、はにかむように笑うところが、なんだか健気だなと思ってしまう。

和田くんは、ずっと、聡実くんに片思いしている感じで、相手に気持ちが届かないのは、傍から見ていて、本当に切ない。




屋上シーンで、狂児に、ありのままの自分を受け入れてもらえる、不安だったことが軽くなる、少なくとも聡実くんにとっては「救い」の言葉を言ってもらえて、聡実くんがひとりで、ずっと抱えていた痛みが、まぁまぁ、楽になって。

聡実くん自身が、その痛みをようやく、受け入れられるようになった瞬間。

演者さんが言うように、あそこが、聡実くんが狂児のことを想う気持ちの変化の、最大のターニングポイントだとは、個人的にも思っている。

「カッコいい」と思い、さらに、自分のずっと抱えていた悩みをサラッと受け止めてくれた男に対して、恐怖心よりも、好感度のほうが高くなるのは、心の動きとしては、ものすごく自然。

だから、親からもらった御守り(両親から与えられた愛)を、ひとつ、狂児にも、あげようと思ったのかもしれない。

好感度が一定のラインを超えた「カッコいい」と思っている人に、まるで、他人事、立っているステージが違うというように境界線を引かれ、自分が他の人とデキていることを微笑ましく思われ、なおかつ、三角関係のモツレと茶化されたなら…

そら、ブチ切れるわな。(-_-)

あの茶化しっぷりについては「聡実くんの(恋愛における)青春のすったもんだ」のなかに、狂児自身は「決して、自分は入っていない→あの時点の聡実くんは、狂児の恋愛の対象ではない」と思っているからこそ、発せられる言葉のチョイスだと、個人的には解釈している。

聡実くんが、あそこまで、狂児に対して怒ったのは、3年間、ずっと、真摯に頑張ってきた部活動を、おままごとのような恋愛に絡めて、茶化されたこともあるとは思うけれど。

聡実くんが多分、生まれて初めて「カッコいい」と思った人に、見当違いの恋愛沙汰を、さも、自分は関係ないとばかりに、高みの見物的に茶化されたから、という感じもしないでもない。

「げんきをあげます」→聡実くんは、狂児に、愛を与えようとしていたのに、まるで「聡実くんの愛は、自分以外の他の人に与えることに、何も思わない」とでもいうような…

一連の狂児の冷やかしっぷりを見ていると、そりゃ、恋愛対象として興味があるようには思えないし、もしも、あの時点で、その感情が、映画軸の「大人の狂児」にあったならば、マジで、事案やから、まぁ、そこは、しゃーないけども。

「カッコいい」と思っている人に、他の異性との恋愛を応援されるって状況は、普通に考えて、やはり、脈ナシだし、そこに悪気はなくて、あのときの狂児的には、屋上シーンでの楽しかった気分のまま、友だち同士っぽい空気感で、純粋に?ふざけて、茶化しているだけっぽい。

ガキか…
(オタク的に、映画軸での狂児のおちゃらけ具合と、和田くんのThe中学生男子的な言動は、同等程度だと解釈している)

でも、聡実くんからしてみれば、屋上シーンで、狂児への好感度が一番高くなって、自分は狂児に対して「げんきをあげよう」としていたのに、そのすぐあとに、まるで「自分には関係ない」とばかりに、突き放されるみたいに冷やかされたら…

ぁ゙ーーーーー、ツラっ…

それでも、下駄箱で、狂児から届いたLINEをすぐに確認しちゃう聡実くんが、もう、もう…

誰か、あの子犬ちゃん、ぎゅっと、抱きしめてあげて…ほんま、頼むわ(オタクには、無理)




これだけ観て、結局、曖昧なままになってしまった、個人的に、すごく気になる、この映画での時間軸の話も、以下。

手掛かりは、合唱コンクールの看板と、ももちゃん先生の台詞での合唱祭までの部活週間スケジュールと、聡実くんのスマホ画面の日時と、狂児とのLINE履歴なんだか、あの893大集合カラオケ教室の日付が、私のなかでは、ちょっと微妙に、わからない…

狂児とのLINE履歴を、いつも目をかっぴらいて確認しようとするも、映画だと一瞬なんでね…

目の玉が乾いて、涙目になるくらいで、毎回わからず終い🥺

狂児とのLINE履歴を頑張って見るに、多分、14日か、15日あたりの日付だと思われるのだが、以下、2019年のカレンダーだと、該当日は土日なんすよね…

でも、聡実くんは、あの日の昼休み、ももちゃん先生に呼び出されて、合唱祭のソリパートの楽譜を渡されているので、学校は休みではないはず…
多分、平日?


9月8日/日曜日/合唱コンクールと拉致
9月9日/月曜日@部活/亀の傘とバイブル
9月10日/火曜日/映画→ミナミ銀座と手
9月11日/水曜日@部活 
9月12日/木曜日/映画→愛と鮭の皮
9月13日/金曜日@部活/心の瞳と声変わり
9月14日/土曜日
9月15日/日曜日
9月16日/月曜日祝日
★9月??日/ソリパートと893カラオケ教室 
9月18日/水曜日@部活/映画→どっち?
    聡実くんから「カラオケ行こ」


あの893大集合カラオケ教室の日って、聡実くんにとって、ものすごい悪夢みたいな1日だな、と。

いつ、本格的な声変わりがきてしまうのかという不安に、高い声が出し辛くなった痛みを抱え、最後の合唱祭でソリパートを任されるも、自分の代わりは既に用意されているという淋しい状況のなか、知らない大人、しかもコワモテな893しかいない密室に連れて行かれ、ものすごい大声で怒鳴られ、しまいにはトラウマものの切り落とした小指を見せられるという、精神攻撃の連打。

聡実くんじゃなくても「もう無理です」ってなるよ、そら。

で、狂児が、これまた、あっさり、身を引くから、たちが悪い。

それまで「なっ、頼むわ。な?」と、しつこめに押してきていたのに、聡実くんが本気で怖がった、ここのシーンと、聡実くんが本気でブチ切れたあとのLINEのやり取りのシーンでの狂児の返しは、本当に潔く、身を引いている。

応援上映のとき、この深追いしない狂児に対して「大人やなー」という声援?が飛んでいたけれど。

個人的には、執着しない大人の対応という側面と、あれ以上、深追いした場合に、聡実くんにとことん嫌われるのを回避している、自分自身を守る(自分が傷つくのを守る)あっさりさな感じもしなくもない。

聡実くん自身は、あのセンチュリーの車内で、いつもは、あんなに聡実くんのことを、じっと見つめてくる男が、自分のほうを見ることなく「聡実くんは、聡い果実やからな、大丈夫や」と言った横顔を、揺れる眼差しで見ていた。

あの、聡実くんの感情の揺らぎのなかに、やっと恐ろしい893から解放されたという喜びは全く感じられず、自分から「付き合いきれない」と、関係を断ち切ったはずなのに、それが、あっさりと受け入れられてしまったことに、なにがしかのショックを受けているようにも思える。

それは、狂児が本気で「歌ヘタ王になりたくないから、歌を教えてほしい」と願ってきたことに対して「中途半端な今ここで、断ってしまって、悪かったかも」と、お人好しな聡実くんは罪悪感にかられたのかもしれないし、男が本気でお願いしてきたけど、自分が「本当に無理」と言ったら、自分の気持ちを尊重してくれる、相手の思いに気づいたのかもしれない。 

そこそこ、やむを得ない事情があって断った場合や、相手のことをそこまでキライではなかった場合に、こちら側が断った後、あんなふうにあっさり引かれたら、ちょっと寂しく思ってしまう人が多いのではなかろうか。

あのときの聡実くんの揺れる瞳に、そんな複雑な気持ちを、個人的には感じた次第。

そして、聡実くんに「もう無理です。これ以上、付き合いきれません」と、その関係を断ち切られた893の人は、まぁ、ゆぅて、自業自得ではあるので、あんなに「天使の歌声に出会った」やら「お告げやと思ったわ」だのと、ぐだぐだ言ってたわりには、あっさりと諦めるんやなーと思っていたら、案の定、結構な短いスパンで連絡してくるから、うわ、どんなメンタル?!ってなった。

なもんで、あんなふうに、聡実くんから拒絶されて、あっさり受け入れたかに見えた男が、あんなふうに、軽い調子で、さも何事もなかったかのように連絡をしてくるまでの、男が悩んだであろう時間軸が、ものすごい気になって。

男は、自分のなかに芽生えた、なにかしらの感情を誤魔化して「藁にも縋る」みたいに、聡実くんが持っていた音叉→正式名称さえ覚えていない「魔法の棒」を、わざわざ買いに行って、自分には「もう、ソレしか頼るモノはない」のだと、聡実くんに、まるで、わからせるみたいなLINEと、LINE既読ついたら、光の速さで電話してきている。

あの時、聡実くんが本気で怖がっていたのに、それに言われるまで気付かなかったことに対する「反省」とか、893の自分が中学生につきまとい、関わり合いを持つことに対する「非道徳さ」とか、大人の893の人は、きちんと理解しているけれど。

そういう理性的な思考を上回るほどに、運命的に出会えた子どもとの、細い細い繋がりの糸を断ち切りたくはなくて。

買いに行った「魔法の棒」と、ソレの使い方を、ソレを買ったであろう専門店の店員に聞くのではなく、聡実くんに「教えてもらう」という、自分のほうから、また細い糸を手繰り寄せる口実を作ってまで。

縋るような、みっともないほどの必死さを、大人のズルさで隠して、飄々とLINEと電話をしてきた893の人よ…

そんなカッコつけのヘタレやから、聡実くんに、先に「カラオケ行こ。」って、男前に、誘われるというよりか、もう、断定的に言われてまうん、ちゃうかな…

映画軸の狂児が、常に「カラオケ行こ?」って、聡実くんに委ねているのに対して、上記シーンの聡実くんが、狂児に対して発する「カラオケ行こ。」は、断定的なのが、すごく2人の関係性をあらわしているようで。

聡実くんのこの、しっかりと、自分のことは、自分で責任を持つ、というような、確固たる意志、覚悟を決めた「カラオケ行こ。」という台詞、オタクは大好きです。

♪戸惑いながら、覚悟している

聡実くんは、最初から最後まで、男前。

成長期という、先の見えない暗闇にいくら迷っていたとしても、聡実くんは、きっと、キラキラのピカピカのまま、うっすら発光していると思うよ。

だって、合唱コンクールの、あの舞台上、あの部員たちの折り重なる歌声から、ただひとり「歌が上手い」「顔が良い」って、狂児に見つけられてしまったのだから。

キラキラ、ピカピカとした、聡実くんの成長の(893との青春の?)1ページを、脳みそに焼き付けて、オタクは、円盤発売までの約2ヶ月、ひっそりと、息を潜めながら、再び社畜として、生きていくしかないので、途中で干からびていたら、やはり、ここは紙ベースの同人誌(糧)を与えねば、生き永らえないっぽい予測はあるけども…

私が読みたいのは、映画軸のハピハピな2人なんだよなー!!!!(大の字)

しかも、ピンポイントで、2人が、2人を「大事な存在」だと認識した、スナック・カツ子での聡実くん♪紅大熱唱後の、狂児がムショに行くまでの、短い短い、幸せな、あの時間軸の、妄想話が見たい・読みたい・聞きたいのである。

あまりに狭く、ピンポイントな隙間すぎて、共感してくださる同士が、なかなかに少数派だと、きちんと理解しているので、引き続きpixivで、自給自足はしていくつもりではあるけれど…

あの、映画軸の2人の関係性が一番ピークになった、あのまま、願うならば、時間よ、止まれ。(呪)

あそこの謎な時間軸で、映カ!公式インスタにアップされていた2人のLINEのやり取りみたいに、秋を通り過ぎて、クリスマスも、お正月も。

映画館でのポップコーンもチョロスも、カラオケ天国のストロベリーパフェもチョコレートパフェも。

コミックビームの裏表紙、および映カ!のビジュアルブックみたいに、ファミレスでの、くだらんおしゃべりや、小さなパフェのシェアを。

2人だけの、楽しくて、幸せな、時間を。

刹那というほどの、僅かな時間を。

リアルと夢うつつの境い目みたいな、そんな儚さ、マボロシさを。

とてつもなく愛してしまったオタクは、今日も今日とて祈るだけである、聡実くんの幸せを。

ん?
893の人?

893の人の幸せは、聡実くんの幸せなんちゃうかな…

なんたって、原作コミックのジャンルって、『ラブコメ』らしいしな。(最後まで遠い目のまま)