見出し画像

いかんともしがたい男。1123〜一周忌に添えて。◆「私」と「父」についての、ほんの些細な、私的な覚え書き。




「父」については、前述の通りで、確かに、うちは三人家族で、戸籍上「父」は居たけれど、幼い「私」が生きていた現実世界のなかとしては、ほぼほぼ「母」しかいない感覚であったし、母曰く「アレは、家庭を持つ人ではない」とのことで、休みの日に、父に遊んでもらったといったような、ハートフルな記憶は全くない。



で、そういえば、休みの日に、父が一体何をしていたのか…と、ふと記憶の彼方を振り返るに、多分だが、ひとりでボートレースに行っていたような気がする…

戸田競艇場がお気に入りで、場外はもちろんのこと、暇なときは、フットワーク軽く、ほかの競艇場にも行っていたと思う、知らんけど。

ギャンブルが、なんせ、趣味やからな…

勝ったときは、お小遣いをもらっていたので、私的には行ってくれても、なんの問題もなかったwww


 

そんな「私」の容量の少ない記憶のなかで、めずらしい「父」と二人だけのエピソードを今、覚えている限りでの範囲で以下、覚え書き。




一番古い記憶は、たしか、小学校の3年生か、4年生くらい。

日曜に、母が何かしらの用事で不在だったとき、父に連れられて、意味もなく、新宿から代々木公園?までを歩かされたことがある。

新宿の駅前だったのか、場所はよくわからないけれど、代々木公園に行くまでの途中、モード学園の校舎だと思うが、非常に大きなビルが建っていて、普段一緒にいないから、共通の話題、会話がなかった私は、社交辞令的に、父に「モード学園て、何?」と聞いたら「…盲導犬の学校」と答えられた。

そんなワケないやん…

ダジャレか…

帰宅して、用事から戻った母に、父との上記、質疑応答を話すと「嘘しかつかないんだから、わからなくても、聞くのはやめなさい!!」と、何故か、私がキレられたので、そのあとは二度と、父には、何も聞くことはしていない。

…嘘しかつかない男って、なにwww

そんな男と、よぉ結婚したな…




母が心筋梗塞で、夜中、救急車で運ばれ、近場の夜間救急先の病院では大きな心臓の手術は出来ないからと、そこでは応急処置だけされて、翌日の朝イチに都内の大学病院に、緊急搬送された日。

母の手術中、不安で不安で仕方なくて、自分からは一回も連絡したことのない父の携帯に電話したが、全く繋がらず。

心臓の手術は朝イチにはじまり、8時間くらいかかったので、途中、看護師さんに「昨日から寝れてないと思うし、食事もしたほうがいいと思うから、誰か代わりの人を呼んだら?」って言われて、多分昼頃に再度かけたけど、連絡つかなくて、マジでもういいや…と思い、待合室で待機してたら、夕方くらいに折り返しが、ようやくきて「寝てた。なに?」って。

母が心筋梗塞で倒れて、今、手術中って話をしたら「お父さんは、行けない。お母さんを頼む」って言うから、ホントもういい…と思って「わかった」とだけ返して、電話を切った。

父という存在に、少しでも期待した自分がバカだったなと思い、19時半くらいに手術が終わったというので、執刀医に結果を聞いて、母がいる集中治療室に行ったら、父が普通にいて、普通にイラッとした。

さっきの会話、一体なんだったん?

で、しょうがないから、一緒に家の近くの駅まで帰ることになり、タクシーに乗ったら、開口一番、父が、術後の母のことを「アイツ、むくんでたな」と言うから、ほんま、コイツ、どうしようもないな、と。




母が心筋梗塞の術後、やはり気弱になって、あんなに恨んでいた父に対して「私の貯金を半分使って、小さな店でいいから、焼き鳥屋でもして、近くに居てほしい」と言っていたので、父に、それとなく「これから、どうすんの?」と聞いたら「お父さんは、もう鶏も捌けないし、好きに生きていきたい」と言ってきたので、ものすごく、ぽかーんとした。

これまで、ずっと、妻子をほったらかして、自由気ままに「好きに」生きとったやないかーい…




以上、コレが「私」の「父」という人についての、まぁまぁ覚えていた記憶の欠片たちである。



ちなみに、父のカラオケの十八番は♪兄弟船だった。

どんだけ、船が好きやねん…

海なし県の生まれのくせに🌊