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ハマった沼地(好きなモノ)の覚え書き。⑤洋服編。NUMBER(N)INE/UNDERCOVER/ZUCCaほか。
非常に、個人的で、主観的な、私という人間が今まで生きてきたなかで、好きなモノ、好きになった物の羅列、いわゆる、私的な覚え書き。
その物を好きになり、同じ時代に寄り添うように、生きられた自分がいる。
好きになった物が在ること、それという存在に自分の感性が触れられたこと、そのことを覚えておこう。
覚えておきたい。
ある女性ラジオパーソナリティさんが、90年代に流行して今再びリバイバルブームになり始めているルーズソックスについて『私もちょうど学生時代ルーズソックスが流行った世代だったけど、学校の規則がすごく厳しくて履けなかった・・・・・・履いておけばよかったな〜』って話していたけど、今からでも履けますよねぇ。
履けば良いのに!
そんな風に、私のオンラインサロン「服装心理lab.」を一緒に運営しているスタイリストが会員専用チャットに投稿したことがありました。
その投稿に関して、「大人でも、アウトドアファッションに合わせると意外といけますよね〜」と乗っかってきてくれた会員さんもいましたが、いくら私たちプロのスタイリストがそう言ってお薦めしたところで 「いやーやっぱりさすがに40代・50代になってからルーズソックスはちょっと・・・」 と考えてしまう人がいることも事実です。
しかしその一方で、人が何を言おうがルーズソックスが履きたいと思えば履くし、自分が履きたくなければどんなに人から勧められても履かない!という人もいるわけです。
こういう反応の差は、これはもう性格の問題。
おしゃれをするときに自分の年齢を意識して、「この年齢ではこういう服を着たらおかしいのでは?」とつい気にしてしまう人、ここでの例で言うと「大人になってからルーズソックスなんて履けない・・・・・・」と考えてしまう人というのはどんな人かというと、ファッションを他人軸で考えるタイプの人です。
久野梨沙(@RisaHisano)
◆
派遣先の会社のトイレの鏡にうつった自分を見て、しみじみ思ったのは「このカーディガンの色み(カーキ寄りのグレージュ??くすんでるとか、スモーキーとかではなく、淀んでる。あえて、例えるならば、ドブ川色…)は、個人的に好きだけど、私に似合っているのか、否かと言われたら『可もなし不可もなし』って感じだし、この色みを着たいのかと問われたら『別に』って心持ちだなー」ってことで、じゃあ、何色だったら着たいんだい?ってなると、そこは『黒』一択なオタクです。
私は、小さな頃から『(母が寝ている間)家にずっと、ひとりで、静かに居るため』に、読書と絵を描くことと、ぬりえと着せ替え(紙タイプ&ジェニーちゃん?リカちゃんではなく、スタイルめっちゃいいほう)で、遊んでいたことを、早朝の地元の駅の改札で、誰かを待っているのであろう、成人式の目にも鮮やかな赤い色合いの振り袖姿の女の子を見て、急に思い出した。
私の成人式のハレ着は、母が「着物を着たくないなら、着なくていい。代わりにコレがいい!」と買ってくれたKENZOのゴブラン織りの生地みたいな、黒生地に花?植物?幾何学模様?が、黒糸で総刺繍されたテーラードジャケットと、どこにでも売ってそうな普通の白いタートルネックのセーターと、普通のウール生地の黒いスラックスというコーディネートだった。
色み、完全オセロやん…
地味か…
私的には、小学6年からベリーショートに近い髪型を、ずっとしている為、それこそ、ヅラか、付け毛必須な振り袖は着たくなかったし、そもそも着物が自分に似合うとも思ってなかったし、リクルートスーツみたいなのも着たくなかったから、成人式には行かなくて良かったんだが、振り袖を着る友だちに、車での送迎を頼まれたので、まぁ、いいか…と、流された。
成人式の思い出というか、強烈に覚えているのは、市内の成人が一堂に会する地元の文化センターで、違う中学校の振り袖の団体から離れたところにひとり、全身、真っ黒で、全身がヴィヴィアン・ウエストウッドの女の子がいたこと。
10cmくらいありそうな、あの分厚い木底の編み上げブーツを履きこなすだけでも、めちゃくちゃ難易度高いだろうと、当時から思っていた私は、顔も名前も知らない彼女の同い年、ハタチにして、貫きとおされる『黒好き』『自分の好きなファッションを愛す』孤高なる精神性に、勝手に拍手喝采をおくりたかったし、なんなら、友だちになりたかった。
小さいときから『自分という個』を積極的に主張することなく、例えば、色落ちして破れたジーパンが『自分は格好良い、好き』と感じていたとしても、母の機嫌をそこねるくらいなら、私は『自分が好き』なモノを我慢して、破れていないジーパン=『母が良い』と思うモノを選択する人生だったので、上記の成人式に見た、全身ヴィヴィアンの彼女の潔さというか、一本きちんと芯がとおった姿勢が、当時、ものすごく輝いてみえたのだ。
少なくとも、そのときの『私』は、ファッションを『自分軸』では、あまり考えることなく、他者である『母』という基準=『他人軸』で考えていたんだろうなと、ふと、思う。
◆
余談だが、2024年12月29日放送「ボクらの時代」(フジテレビ系、日曜午前7時)に、ゆうちゃみ、ぱーてぃーちゃん信子、エルフ荒川が出ていて、年末は、ちょうど都内ホテルで、映カ!ひとり鑑賞会をしていた翌朝だったので、テレビをつけたけど、久しぶりに、なんだか『自分にとって、イイもん、見たな…』という気分になって、その日1日は、ちょっと幸せだった。
彼女たち自身を、テレビできちんと見るのは、自宅にテレビが無いオタクにとっては初めてなのだが、ああいう『ギャル』とは、そのキャラクター発生時から、だいたい同じ時間軸で生きてきたからか、エルフ荒川さんに至っては、同級生にいそうやな…という親近感、好感度しか感じなかったことに、自分自身、驚いた。
なんというか、同じ学校、クラスだけど、私は『オタク界隈』で、彼女は『ギャル界隈』にグループがあって、でも、クラスでなにかをやるときに喋ったら、この子、こんな軽い感じやけど、根は繊細で、真面目なんやなーと分かって、たまに一緒に帰る仲になる、みたいな距離感の友だちになれそう。
彼女らのマシンガントーク的な、底抜けに明るいテンションだけを見てしまうと、常に無気力、息をするのにも疲れが滲む、ローテンションで生きているオタクは、非常に近寄りがたいけれども、彼女らの『自分の好き』を変わることなく貫きとおす姿勢は、尊敬するし、勇気というか、なんか「自分は、自分でヨシ!」みたいな、あっけらかんとした肯定感をもらえて、年末に、久しぶりにイイ番組を見たなーと、しみじみ思った次第。
◆
学生時代から、ずっと、ずっと憧れ続けているブランドがある。
それが、NUMBER(N)INEと、UNDERCOVER。
この2ブランドは、私の「洋服が好き」という気持ちの上で、既に別格になりつつあって、NUMBER(N)INEは所謂、宮下期と呼ばれる初期の頃が一番好きで、モノクロトーンのロックスタイルなミッキーのTシャツは、今でも格好良いと思うし、UNDERCOVERもSCAB期の民族調や、白くて小さなクロスがまぶされた生地を使ったりしている魔女期らへんが、ものすごく好みだった。
学生時代、父が自営(社長)だからと言っても、近い将来、倒産&自己破産するしかない泥船経営状態だったし、学費とかを含め、そんな親のスネをかじる、一般学生のオタクには、どちらのブランドも『高嶺の花』だったから、当時、手が出せるとしたら、ブランドのリサイクルショップで運良く、自分が着れそうなサイズ感で、一ヶ月の昼ご飯を我慢したら買えるくらいな価格のアイテムを見つけたら、ものすごく嬉しくて、即買いしていたのを覚えている。
まぁ、そもそもの話、どちらもが当初からメンズラインがメインのブランドであるので、例え、買うお金がいくらあったとしても、基本的にサイズ感の問題があり、しかも、大学時から働きはじめた頃は、かなり精神的にヤラれていたのか、中学生男子並みな、それこそラーメンライス的な食事を、1日4回していたので、ロックテイストな細身のデニムなんて、もはや履ける体型ではなかったのだが、それを抜きにしても、本当に、本当に、大好きだった。
◆
20代になって、きちんと働きはじめ、親に養ってもらっていた学生気分が、サーッと引いていき、心の底では、ずっと無気力だった反面、母と自分の生活のため、現実世界をリアルタイムで必死に生きようとすると、私ひとりの力では、時間的にも精神的にも金銭的にも余裕がなくなり、学生時代、あんなに好きだった洋服やファッションを見ても、ときめかず、急に色褪せた、手の届かない存在になってしまった頃がある。
私は、前述の通り『糸』に関わるモノが好きなため、糸を重ね織った生地、そして、それを縫い合わせてつくりあげた、洋服というモノも、私の好きなモノの部類に入ってくるのは、非常に自然な心の流れで、その『好き』に関しては、変わることはないと思っていた。
けれど、初めて正社員として働きはじめた頃、父が蒸発して、もともと家にあった売れそうな物、母は父に買ってもらった着物や宝石を、私は自分の洋服や書籍を、全て売って、現金に換えた。
そんな状態で、母と二人の生活がはじまり、新しい服を買うお金もなかったし、ずっとバイトしていたネカフェにヌルッと入社だったから、無地Tシャツ+デニムの上に、店名ロゴが入ったエプロンをつけるだけでよかったし、店舗が変わって、オーナーが変わったときも、ユニフォームとして、黒いポロシャツが支給されたので、それを着ていれば、コーディネートやTPOなんて、何も考えなくてよかった。
その頃だって、洋服は相変わらず、根本的には『好き』だったけれど、こっちがシフト休みでも、バイトの人だけで店を回していると、パソコンが動かなくなったとか、階段の蛍光灯が切れたとか、本当に些細な出来事でも何かあったときは、すぐに店舗から連絡が入り、呼び出されるし、他県で系列店がオープンすることになれば、オープニング研修に駆り出され、1週間以上の遠方出張をふられたりしていたので、ずーっと、肉体的にも精神的にも疲れ果てていて、休みの日にオシャレして出掛けようなんて思わなく…思えなくなったし、自分のTシャツ一枚、買うお金があるなら、母が喜びそうな花や、美味しそうな物を買っていってあげようという、心持ちになった。
それから多分、一年後くらいに、一緒に働いていたタメの同期と前後して、上記のブラック企業をバックれ退社し、正社員の就職先を探すもなかなか見つからず、とりあえずの生活費をなんとか稼がなあかん!と、よくCMを見かけるようになっていた派遣会社に登録し、都内のカード会社のコールセンターを約一年やったけど、その頃の派遣社員は交通費が自己負担だったため、いくら時給がまぁまぁ良くても、交通費の出費がアホくさくて、今度は自宅から近いところの事務派遣を探し、登録し直した。
そして、自宅からチャリンコで通える派遣先を紹介され、当初は女性フロント職のユニフォームを購入してもらって…というような流れになりかけたけれど、ユニフォーム代は、やはり自己負担だとの話を、派遣先の拠点の店長が総務に聞いてくれ「フロント職じゃないし、ましてや、派遣だしね」と、全体的に薄汚れた、会社ロゴが背中にデカデカと入ったナイロンの薄手の水色ブルゾンを貸してくれたので、有り難くカジュアルスタイル(デニムとサンダルを含まない)の上に、それを羽織って、そこでは、ずっと接客もしていた。
ちょうどクールビズや省エネという政策が、やいのやいのと、煩く言われだした時期だったから、夏場の土日の展示会では、営業さんは皆、企業のロゴ入りポロシャツと、同じ色合い(ベージュだったか…)のチノパンというコーディネートに統一されていった状況もあり、私のカジュアルスタイル(薄汚れたナイロンブルゾン)については、まぁまぁ受け入れられていて、そのときは、特に何も指摘されず、放置されていた感がある。
それから、再び正社員となり、また自分の洋服に、少しはお金を使えるようになったので、大学時代から、細々と買い続けていたZUCCaのアイテムを毎シーズン、チェックしに行くようになった。
子どもの頃から、何を買うにしても、基本的に母の行きたい買い物場所が、必然的に私の買い物場所にもなるため、学生時代、西武・池袋店にテナントとして入っていたZUCCaの店舗しか見たことがなく、私の容量の少ない脳内蓄積記憶を探った結果、そこで、当時接客してくれていたSさんという販売員の方と仲良くなって、彼女が店舗異動するたび、あとを追っかけて、買う場所が変わっていったことは、きちんと覚えている。
◆
私は、例にもれず、インドア・陰キャ・消極的で、かなりの人見知りなオタクなもんで、洋服を見るときも、店舗内を勝手にザーッと一通り流し見て、そこから気になるアイテムを抜粋し、そのアイテムの全体的なデザインと値段とサイズを、まず確認する、ひとりで。
この間、多分、デパートの平均的なテナントの広さだったならば、正味3分もかからないのでは、と思う。
で、納得できたら、アウターとボトムスならば、販売員の方にようやく声掛けして、さっさと試着し、販売員の方の営業トークを八割スルーして、アイテムの詳細部分のデザインや着心地、肩の落ち方や袖丈、裾まわりを確認、あきらかに許せない部分がないかをチェック。
問題なければ、すぐに購入するという流れで、価格帯が高価なアウターと、太ももや腰、お尻部分が入らない可能性が高いボトムス以外は、本当に面倒くさいため、基本的に試着はしない。
なので、例えば、Tシャツならば、サイズ感と色みだけを、全身鏡で確認するだけなので、買い物は、平均5分で終了する場合が、ほとんどだった。
洋服以外でも、そういう感じで、コミュ障に限りなく近いオタクは、なるべく販売員の方々との接触を控えているため、該当のSさんとも、最初はそういう関係性だったし、販売員の方を個人として認識することはないはずだったけれど、大学時代、教育実習に着ていくスラックスの裾上げかなんかを頼んだとき、Sさんから「次回からは、店舗に私がいるかどうか、電話で確認してから来て欲しいです。」と言われたのが、はじまりだった。
当時の私「…なんで???」(きょとん)である。
私からしたら、そんなふうに、グッと距離を縮められても、いきなり感が凄まじく、そういえば、何回か接客してもらったかなーくらいの認識しかないSさんという人を、その時、ようやく個別認識したくらいの距離感だったけれど、彼女側からしたら、また違ったのかもしれまへんなぁ、知らんけど。
いや、ね、立場が逆なら、個人売上貢献的なところで、彼女は「自分から買って欲しい!」という確固たる、強い思いがあったんだろうなーと、気持ちは分かるけど、私自身は、大の面倒くさがり・母以外の他者に、自分の言動を自分自身が納得できないのに、指図されたくはない派なため、わざわざ、店舗に電話して、彼女の出勤状況を確認してから買いに行くことは、全くしなかった。
で、その後、たまたま、彼女が不在時に2回くらい行って買っていたのがバレたらしく、次に買いに行って、接客してもらったとき、帰りがけに、出勤状況確認のため、彼女の個人携帯のメアドを、普通に手渡されたので、うわ、本気やん、この人…と、考えを改めた。
ちなみに、販売員の方のタイプも千差万別ではあるとは分かっているけれど、当時、たしか、渋谷109のカリスマ店員ネタでブレークした、芸人の柳原可奈子さんがやっていた「アパレル店員〜渋谷、銀座、代官山」の販売員の方々の接客の違いが、ものすごい人間観察能力が高く、尚且つ、解像度も高くて、非常に好きだったことを付け加えておく。
オタク歴の長い私にとっては、柳原可奈子さん演じるカリスマ店員は、陽キャ代表、コミュ力が限界突破してそうなキャラだったが、ZUCCaで出会ったSさんは、とても静かな人だったイメージがある。
だからこそ、陰キャな私が、あまり気負わずに接することができたし、さらに、大学を卒業し、洋服が思うように買えなくなって、2ヶ月ぶりくらいにヨレヨレな姿で、Tシャツ一枚だけの買い物をしに行ったとしても、彼女は他のアイテムを無理やりすすめてくることは一度もなかった。
金銭的に余裕がない状況でも、私が定期的にZUCCaを買っていたのは、ZUCCaのデザインが好きだったというのもあるけれど、ずっと彼女に感じていたのは、彼女自身のひたむきな誠実さで、ZUCCaで買うならば、彼女から買う=私の営業担当者的な関係性になり、Sさんが西武・池袋店から、伊勢丹・新宿店、青山本店に異動になった際は、私も彼女が勤務する店舗まで、服を買いに行った。
そして、ZUCCaのデザイナーが変わるらしいとの話を、ひっそりと教えてくれたあと、地元に戻って結婚すると言って、SさんはZUCCaを退職していき、私には、Sさんの後任という新しい販売員の方を紹介してもらったが、やはりインドア・陰キャ・消極的で人見知りなオタクとは、陽キャ代表みたいな販売員の方との相性は、あまり良くなかった上に、ちょうど同じ頃、神戸に置き去りにしてきた母の長男自死案件が重なったのもあって、私自身、ZUCCaからも、好きだった洋服からも、なんとなく遠ざかってしまった。
心に余裕がなくなると、オシャレ、というか、自分の格好なんて、汚れてなくて、臭くなければ、私は、どーでもよくなる気がする。
心がグッタリしてしまうと、何も感じないというか、別に、自ら、すごく希望して『死にたい』ワケではないけれど、すごく希望して『生きたい』ワケでもないし、それこそ、生きる気力が失われていく心持ちになるので。
「若いうちに好きな服を着といた方がいい」っていうの、特定の着こなしが見苦しくなるとかじゃなくて「重い服を着ると疲れる」とか「露出が多い服を着ると体調を崩す」とかそういう要素が増えてくる実感から、言いたくなる気持ちがわかるようになってきた
上記は、ツイッターか、Xかが出典だと思うが、まさに、私も『同じ気持ち』になっている。
今から年齢を重ねていくだけだと、わかりきっている自分自身のためにも、年齢的なことが原因だとか、あんまり、マイナスな方向には持っていきたくはないので、ちょっと迷うところだけれど、本当に、心の底から『元気』じゃなきゃ、着れない服って、在ると思うし、オシャレって、結構な『努力』の上に成り立っているものだと、常々、思うワケだ。
ウールやツイード生地を贅沢に使った、クラシカルでシンプルな仕立てのコートは、ダウンジャケットに比べると絶対に重いし、あんまり暖かくはなかったりするけれど、個人的な感覚で言わせてもらえば、ダウンジャケットよりも断然、コートのほうがシルエットは美しいと感じる。
あとは、NUMBER(N)INEのアーカイブデニムなどのデザインにもあるが、破れたジーパンは絶対に、冬場、寒いやろ…
(例え、ミニスカじゃないの、圧倒的な闇を感じるな…)
まさに、露出が多い服を着ると体調を崩すって、そういうことなんだと思うし、オシャレというか、自分自身が『着たい服』を突き詰めていくと、絶対に肩が凝るだろうと理解していたとしても、きれいなAラインのコートを着て行く!(次の日、マッサージの予約いれな…)とか、足の爪先に血がまわらんくらい、下半身が冷えきったとしても、破れたジーパン、はいて行くで!(外から見えない、腰とお腹と足裏、貼るホッカイロで凌ぎきれるか、否か…)みたいな、影の努力と、そういうマイナス要素を、全てカバーしようと思える活力、プラスの精神性、楽しんで生きてやるぞ!という、なんというか、根性論にも近い、漲る気力みたいなモノが、基本的に必要不可欠になるんではなかろうか。
結局のところ、重たい服を着ると、身体が疲れるとか、露出が多い服を着ると、身体が冷えて体調を崩すとか、そういうマイナス要素が年々、年齢が上がるにつれて、どんどん増えていくのは、生きている限り、当たり前だし、コレばっかりは仕方のないことだからこそ、心身ともに、本当に、心の底から『元気』じゃなきゃ、オシャレって、成り立たないのでは…と、しみじみ、感じた2025年、一月半ば。
今年も引き続き、ひっそりと、ひとり、映カ!推し活を邁進していく所存で、来月2月には『映画のまち調布・シネマフェスティバル2025』にて、通算41回目の映カ!を観に行く予定なオタクは、天使プリントのスカジャン(聡実くんやん…)と、鶴刺繍のスカジャン(亀は?)を購入済みです。
まぁ、年齢も年齢なんで、心身ともに『100%元気』なんてことは、もうないけれど、学生時代の「洋服がすごく好きだった気持ち」を、もう一度きちんと思い出せたし、また、こんなふうに「自分の好きなモノ」に触れられる幸せを、きちんと感じられるようにもなったので、もうちょっと気温が暖かくなったら、学生時代、はけなかった、破れたジーパンでもはいたろかな、と思います。
あの893の人と、同年代やけどな😂