映画「カラオケ行こ!」36回目、37回目を見た後の私的な覚え書き。
⚠ネタバレしかない。
⚠オタクの私的な覚え書き。
⚠オタクの妄言多謝。
⚠「カ!」原作は、映画を観る前と35回観終わった後に一度ずつ、読了済み。
⚠「ファ!」一度読了済み。
⚠「ファ!」雑誌掲載分は最新話含め、未読。
齋藤潤さん、第16回「TAMA映画賞」最優秀新進男優賞受賞、おめでとうございます!!
お昼休み、受賞の件をエックスで見たとき、あまりに感激して、職場で泣きそうになりました…(親心、大爆発)
聡実くん役、リアル中学3年生の人生でも色々と大変な時期に、よぉがんばってくれたなぁ…
尊いとは、このことか🥺
おかげさまで、9月末は恵比寿ガーデンシネマにて5月以降ぶりに映画館の大きなスクリーンで、聡実くんの♪紅をじっくり聴けて、感謝感激、感無量。
久しぶりの上映終了後、あまりの多幸感に感極まりすぎて、めっちゃ、ひとりで拍手しそうになって動揺し、慌てて立ち上がったら、パラパラと拍手していた方々がいて、オタクは「激しく同意!!」と泣きそうになりながら、トイレに行きたくて、ダッシュで映画館をあとにしました…
膀胱、破裂するかと…(大惨事すぎるわ)
トイレから出てきて泣いてるオタクとか、意味がわからないと思うので、グッと我慢したけど、聡実くんの絶唱♪紅は、あのときの聡実くんの全身全霊での、狂児への愛を歌っていて、いつ聴いても心臓がぎゅっとなる。
狂児、死んだんか…こんなかわいい子、残して、死んだんか……生きとんのかーい!!からの、怒涛の時間の流れと「…おったやん(はにかみ)」と、まるで聡実くん自身をあらわすようなリトグリの軽やかで爽やかなピアノ+現役10代の瑞々しい合唱バージョン♪紅と、ラストのラストでの、あの893の人の楽しそうな、嬉しそうな電話の声音よ…
あーーーー、2人で幸せになってくれ!(大の字)
ちなみに、色んな方の映画評を読んでいるなかに「主題歌は本家だろ」みたいなことが書いてあったのを読みましたが、本家の♪紅は狂児、リトグリの♪紅は聡実くんだと、個人的には完全解釈しており、この映画は聡実くんの成長譚の重みが強いので、やはり映カ!主題歌はリトグリの♪紅一択であると、オタクは愚考している、あしからず。
恵比寿の土日も、かなり完売が早くて、結局は両日ともに前方の座席で、めちゃめちゃ首をいわせそうな角度で観たんですが、そのせいか、狂児と聡実くんの遠近感が、ちょっとよくわからなくなる羽目に。
ブルーレイ特典のオーディオコメンタリーでも言っていた画面の両端が歪んでる?せいかもしれないけれども…
いや、893の人が、いっつもいっつも聡実くんに近いのは、まぁまぁ、わかってはいるんで、あぁ、それはそう…うん、そんな近さやったな…(遠い目)って感じだけど、久しぶりに狂児と並ぶ聡実くんを観て、あまりのその小ささに愕然とした…
え、ちっちゃ…
聡実くん、ちっさ……
え、こんなに小さかった???
えぇ、ほんまにシルバニアファミリーやん…
お顔もちっちゃいし、肌の透明感ハンパないし、睫毛なんてアルパカの赤ちゃんぐらいにめちゃ長いし、お手てのフォルムもまるっとしてるし、893の人の気持ち悪い裏声の♪紅を初めて聴くとき、ビクッ!ビクッ!てなるとこも小動物感すごいし、不機嫌そうな表情も、落ち込むしょんぼり顔も不思議そうな顔も、はにかむ微笑みも、なんか、全部がピカピカでキラキラしてて、なんか、もう、もうさ…
なんか、もう、天使すぎへん?(真顔)
そして、完璧な、あの後頭部のまるみよ…
愛おしすぎる、無理やわ、アレは。
かわいいしか出てこーへん、語彙力も死ぬ。
そら、893の人も、じっと、見るわ。
ブルーレイ特典オーディオコメンタリーで、綾野“狂児”が初っ端、市民ホールの階段をタタタッと軽い足取りで降りてくる聡実くんのシーンを見て「ちっちゃくて、かわいいな」と、こぼしていたが…それは、そう。
けども、ゆぅて、じっと、見すぎちゃうかな…
て、ゆぅか「ずっと見てましたね…」ってコメント、なんなん……
質問「綾野さんから見た齋藤くん」 →回答「ずっと見てましたね…」
そんな回答、することある??(惑乱)
今年の1月初めの公開後、ちょい遅れで沼ったために、オタクは1月末から、まるでマボロシを追いかけるように5月の公開終了まで観続けて、動画配信とDVDでも見たけど、やっぱり、大きなスクリーンで観るのは特別というか、別格だと、改めて感じた次第。
基本的に、この映カ!はカラオケシーンを含む、演者さん2人とか少人数でのカットの割合が大きいので、演者さんの表情がカメラ寄りになり、比較的、その演技している表情、および動きがわかるほうではあるけれども、やはりスマホやテレビ画面では画像が小さくてわかりにくいので、非常に微妙な表情の変化をじっくり観られるのは有り難いし、何よりも、聡実くんの♪紅は、映画館の音響で聴くこと=あのスナック・カツ子で、聡実くんが歌っている環境と、限りなく近い音響で聴くことが、一番大事なんだと、オタクは頑ななほど、偏執的に信じて疑わない。
そうじゃないと、あの映画軸の893の人が、魂を持っていかれたように魅入って、聴き入っていた、あの男へと捧げられた聡実くんの「声変わり前、最期の天使の歌声」と同じモノを、体感することはできないような気がするので。
こんなに何度も何度も繰り返し観ているにも関わらず、毎回毎回、初っ端からの893の人の距離感のバグり加減と、聡実くんをじっと見る893の人の視線の固定具合に、ほんまになんとも言えない、しょっぱい気持ちになるのも、つくづく希少な体験…
聡実くん、逃げてェ……
久々に映画館で観る前に、自分の煮えたぎる気持ちを整理しようと、前回ぐちゃぐちゃ書き殴ってみたけど、なんというか、何回観たとしても、あの893の人のジェットコースターみたいな情緒不安定さに慣れることはなく、いつ観ても怖いなと、改めて感じたことを念の為、改めて報告しておきます。
(多分、慣れることは、一生ないわ)
◆聖性と俗物的なモノについて/追記
→聡実くんをブチ切れさせた、茶化す狂児の台詞のなかに「聡実くん、合唱しかしとらん思うてたのに。隅に置けまへんなぁ」というようなモノがあったと思うが、この辺の言葉からも、狂児は聡実くんのことを『合唱しか知らない(天使)=俗物的な男女のことなんて何も知らない(天使)』というくらいのことを、固定概念的に、ずっと思っていたような気がしないでもない。
*隅に置けない
思っていたよりも能力や才能、知識、経験、技量などを持っていて油断できない、あなどれないことのたとえ。
優れているので隅っこに置いておく訳にはいかないということ。
映画軸の狂児が、一番最初から聡実くんに感じていたであろう聖性、神聖化的なモノに対しての答えなのか、まぁまぁ微妙なところだけれど、今回の上映に関して、オタク的な見方→上映中、あの893の人目線で、聡実くんのことを「オレの運命の天使(ハート)」的な心持ちで観ようとしていたんだが、既に冒頭のかなり早い段階で、聡実くんは♪戸惑いながら、覚悟している〜♪天国なんかに住んだりしない、と歌ってることに気付いて、あ、あー……ってなった。(天を仰ぐ)
聡実くんに聖性なモノを感じつつも、聡実くんとの関わり合いのなかで、まるで自分が遠くに置いてきてしまった青春を、聡実くんと一緒にやり直しているような。
男のモノクロだった毎日が色付き、漠然とした楽しい、ふわふわした高揚感が強くなった男は、あのとき、部活の仲間と揉めている聡実くんを見つけて、自分が「俗物的なモノ」は、きっと何も知らないだろうと神聖化していた聡実くんも、実際は自分と同じ世界で、自分と同じように生きていて、手の届かない聖なるモノではないんだと気付いて、少なからず安心して、嬉しくなったのかもしれない。
男は、もしかしたら、聡実くんの恋愛沙汰のゴタゴタ感を茶化すというよりも、あの屋上でのひと時みたいな、じゃれ合いの延長上で、ただただ2人で、漫才の掛け合いよろしく、楽しくじゃれ合いたかっただけなのかもしれない。
なんというか、ここまで何十回観たとしても、ちょっと理解し難い、映画軸での893の人の情緒不安定さがあそこにもあって、狂児の中の人である綾野“狂児”的に解釈する「感情を変容させずにストレートに発した言葉」のなかに、アレらも入るのならば、結構な唐突感というか、勢いよくセンチュリーで校門前に乗り付けてきて、急にテンション高くなるやん、この人……という、個人的には、全くついていけない高揚感を感じてしまう。
一体なにが、あそこまで、あの893の人の琴線に触れて、テンションが上がってしまったのか。
何故、まるで和田くんみたいな、ガキっぽい茶化しを、あの状況と状態の聡実くんに対して、仕掛けようとしたのか。
ミナミ銀座のビル屋上で2人きり、じゃれ合った時間があまりにも楽しくて、狂児的には多分、屋上で聡実くんと心が通じ合ったと感じていたから、あそこで自分が、あんなふうに茶化したとしても、聡実くんに許されると思ったからこその、茶化しだったのではなかろうか…
なんというか、このあたり、個人的には、映画軸の狂児は、すごくガキっぽいよなーと、いつも引っかかる。
男女問わず、人誑し的な愛嬌と、ヒモ的な他人の感情の機微を察する能力が非常に高そうな男が、聡実くんに対しては、自分が思ったままの感情をストレートに発するらしいが…
それって、そのとき、自分から発した感情、および、その感情に付随する言動を、相手側が受け取ったとき、相手側がどう思うか、どう動くかというような、大概は長年の対人関係で、経験値や経験則として弾き出される、相手のリアクション、受け取った側の心の衝撃度合いを「全く考えていない=予測しない→自分の気持ちを優先する」からこその、ガキっぽさ、幼稚な感触がしてしまうのかもしれない。
まぁ、聡実くんがLINEした『元気をあげます』が、当事者ではないオタクの心にも、トストストスと、ラブリーな矢を容赦なしで突き刺してきたので、本当の当事者である893の人は、ものすごく楽しみすぎて、約束もしてないのに聡実くんが部活の時間に「来ちゃった❤」状態で、ワクテカしすぎて、テンション高めになっちゃうのは、しゃーないとも思う…
それで、大事な子を傷付けてたら、どうしょもないけどな。(-_-)
それにしても、久々に冷静に観たら、市民ホールでの出待ちも、中学校の校門前にセンチュリー横づけの出待ちも、通学路での待ち伏せも、ほんまに事案すぎる絵面だし、通りがかりとかではなくて、故意的に中学生が出てくるのを待ってるらしい(ブルーレイ特典オーディオコメンタリー情報)893がヤバすぎて震える…
やっぱり、偶然とちゃうんやな…
あとは、ここにきて、ようやく合唱コンクール当日の、あの893の人の行動スケジュールがそこそこ掴めてきたので、それを念頭にして、あの男の登場シーンを観ると、なんか、口元がヒクヒクしてしまう。
合唱コンクールは午前10時開演で、狂児が市民ホールに吸い寄せられるかのように向かったころは、学生さんたちが、ちらほら会場入りしていたので、多分9時台とか?
しかも、この日は、その前にハイエナの兄貴のたんぽぽ化を阻止するために動いていたはずなので、それらを踏まえて、雨に濡れ濡れの後ろ姿を見ると、この893の人、どんだけ早起きやねん…て、ちょっと、笑けてきてしまうもので。
まぁ、狂児なんで、普通に寝てないだけかもしれませんがね。
✅わりとチラホラある個人的な引っかかりどころ
①
「どっ、ち?どっち、て…」
「合唱は、僕の代わりがもういてる」
→代わりがいないのは、あの893の人やと気づいたからこその、聡実くんからの「カラオケ、行こ。」だったのかと思うと、なんというか…
なんというか、オタクの感情がぐるぐる渦巻いてしまうので、ここはまた今度、冷静に処理したい所存。
✅
②
「みんな、お待ちかねや」「…みんな?」「そう、みんな…」
(20%省エネモード?真顔な補佐)
なにそれ?
どういう心境??
からの、以下。
「怖いことないて。あの人なんかな、幼稚園のセンセやっとったんやで」
この時点で、聡実くんが怖がっていると、きちんと理解している補佐。
怖がっているとわかっている上で、あの仕打ち+小指ドーン!!(+薄ら笑い付)やから、そら「もう無理です!」って言われると思うよ。
言われないほうが、おかしいわ。
聡実くんは、何ひとつ悪くないで🥺
✅
③
映画軸の狂児はミナミ銀座で、聡実くんにVHSのビデオデッキを買ってあげてはいるけれど、感触的にあのあとの屋上では、聡実くんは「どうして、自分がビデオデッキが欲しかったのか」についてを、狂児には話していない気がする。
というか、何故あの場所に来たかを聞かずに、頭ごなしに「こんなとこ来たら、あかんよ」と、急に大人のトーンで、言い聞かすように話す狂児には「映画を見る部」の存在自体、言わなさそう。
映画軸の聡実くんは、狂児に対して、合唱部をサボって、映画部でビデオを観ている自分自身のことは話したくないんちゃうかな…
歌を教えてほしいと頼まれたのは、あくまでも「合唱部に存在し、ソプラノで歌う自分」という前提だと、あの時点では、思っていたのかもしれないし。
✅
④
ラストのラスト、狂児の腕にある入れ墨の位置についてを、原作と違うと指摘された方の作品をpixivで見て、なんだか非常に感慨深いモノを感じたので、念の為メモっておく。
→原作、右腕内側
→映画、右腕外側
映画では、ラストのラストの演出上、本来の位置だと、入れ墨が自然な形で映り込まないからか、腕の外側という、シャツの腕まくりをしたら、すぐに他人から目に入る位置。
原作だと、腕の内側なので、他人からは見えずに、自分の視界には、ずっと入る位置。
入れ墨を彫る位置については、キティの兄貴のキティ自体、狂児の台詞から推測するに「組長に彫られた」感が強いので、手の甲という位置は、組長が指定したっぽい雰囲気を感じるけれど、狂児の腕のヤツは、どうなんやろ…
考えはじめたら、全オタクが眠れなくなりそうなんで、ここいら辺で、一旦撤収。
こんなふうに、個人的にちょっと理解し難すぎて、怖くて震える、映画軸での893の人の情緒不安定さが引っかかる場面は、わりとチラホラあるんですが、狂児の内面を理解しようとするよりも、聡実くんのかわいさを愛でるほうに重きを置きたいオタクなもんで、とりあえず、天使が絶唱する♪紅を、脳に染み込ませて、原作軸の聡実くんの幸せを遠くから、お祈りしておきます。
(お手てのシワとシワを合わせて🙏←さすが狂児世代、古…)