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映画「カラオケ行こ!」41回目を見た後の私的な覚え書き。





⚠ネタバレしかない。 
⚠オタクの私的な覚え書き。 
⚠オタクの妄言多謝。 
⚠「カ!」原作は、映画を観る前と35回観終わった後に一度ずつ、読了済み。 
⚠「ファ!」一度読了済み。 
⚠「ファ!」雑誌掲載分は最新話含め、未読。





第46回ヨコハマ映画祭、最優秀新人賞/齋藤潤さん、脚本賞/野木亜紀子さん、おめでとうございます㊗️㊗️






第48回日本アカデミー賞、優秀主演男優賞/綾野剛さん、新人俳優賞/齋藤潤さん、優秀脚本賞/野木亜紀子さん、優秀音楽賞/世武裕子さん、おめでとうございます㊗️㊗️㊗️㊗️




そして、中国での上映延長もおめでたい話👏




そんななか、1月末の1週間のうちに、立て続けに就業先で2回ほどイヤなコトがあり、別件で非常にプラス的にもマイナス的にも動揺するコトまで2回あったので、2月にはいり、なんだか、ものすごく精神的にも肉体的にも、生きているコト自体に、疲れて果ててしまったオタクです…



派遣という立場で働いていると、個人的には、それこそ嘱託職よりも下っ端の下っ端な感覚しか持ち得ないし、社員がうっかりミスした案件も、かなりの高確率で、こちらのせいにされたり、結果として間違った対応をしてしまったけど、そこに至るまでの経過なんかも「ただの言い訳」みたいにスルーされて、頭ごなしに注意だけされたり、全て独自判断でやったと思われたりするコトが、または、それに異を唱えたとして、自分の居心地が悪くなるだけになるコトが、ブラック寄りの濃いめなグレーな企業で10年ほど社員勤めをしていた頃よりも、なんだか、精神的にツラくなってきており、ちょうど次の契約更新時期だった為、更新を保留しようかなーと、つらつら考えていたら、上記に記載したように、別件で非常にプラス的にもマイナス的にも動揺するコトまでが、いきなり立て続けに2回おこったので、あー、もう知らん!!!と、天を仰いだ。




プラス的にもマイナス的にも動揺した最後の一件は、5月4日の赤ブーブー社主催のスパコミ?内のスペースで、映カ!オンリーがあるらしい、との情報を得て。




上記は、Pixivに投稿されている方の作品の欄外で知り得た情報だが、久しぶりにものすごく動揺して、ひとり、部屋でスマホ片手に意味なく、ウロウロウロウロと徘徊し、冷静になろうと深呼吸したあげく、独り言で発した言葉は「…え?ぇ゙ぇ゙ー??どうする?…どうしよ……サークル、申し込んどく???」ってなった…




けど、そもそもサークル活動してないからな…
(どんだけ…)




そんなこんなで、いまだに動揺というか、精神的疲れ?ストレスが思った以上に酷すぎて、またもや散財でしか、オタクの心は癒せないぜ!という、非常に言い訳がましい状況下のなか、ふるさと納税にて入手したチケット『映画のまち調布・シネマフェスティバル2025』にて、通算41回目の映カ!を観てきた以下、何回おんなしこと、言うねん…てくらいな、偏執的で、私的な、いまだに拗らせた情念ほとばしる、情緒不安定な、覚え書き。






映画軸、14歳の聡実くんの、聡実くんなりの、自分自身の『存在意義』とは。






「どっちって?」 
「合唱は、僕の代わりがもういてる」




 合唱部に『自分の存在意義を失っている』状態のなか、では、代わりがいないのは…




原作の聡実くんは、苺の箱買いを与えられて、あの893の人に絆される流れで、原作も映画軸も、聡実くんサイドとしては、第二次性徴期である自分の『声変わり』に対する根本的な悩みに、さして大きな違いはないっぽいけれど、映画軸でのオリジナル設定である「映画を見る部」での、あの年代特有の繊細、かつ、混沌とした、非常に曖昧な、同級生の栗山くんとのやりとりで、映画軸の聡実くんは、あの893の人こそが『現時点』の『自分自身』を、本当に必要としてくれている人だと、気がついたのかもしれない。




一方の893の人は、聡実くんに「もう無理です」と言われて「ほな、な」と、大人なフリして、すぐに納得してみせて、冷静に『コレが、最後の逢瀬』だと、受け入れたつもりだったくせに、びっくりするくらい、何事もなかったみたいに、普通にLINEと電話をしてくるところが、な…





重ね重ね思うけど、そのメンタル、こわぁ…





あそこのシーンは、目をかっぴらいて、聡実くんのLINE画面の日付けを確認すると、あの893の人に「もう無理です」と告げた日から、該当西暦のカレンダーを参照して推測するに、日祝を挟んで、4日が経過しているらしい…
(一時停止の存在意義よ…)




あの893の人にとっての、その4日間て、多分、生まれて初めて、ものすごーく、迷いに迷った時間だったのでは?と、個人的には、思う。





映画軸の狂児は、中学生の聡実くんに対して、893の自分が「関わってはいけないと、きちんとわかっている」大人感があって、ソレは、映画全編通しての、あの893の人の聡実くんへの、微妙に『なるべく、直には触らない』という、ふわっとした気遣いというか、なんというか…




聡実くんに嫌われないように?嫌がられないように?なのか、そういう些細な気配り?ルール?自己への戒め?的なモノを、うっすらと感じて、ほーん…でも、どっかしらは触るんやな…と、なる。



なんだろう、本当は、もっと近づいて、直接、触って、撫でくりまわしたいくらい『かわいい』と思ってるし、聡実くんのことは『大好き』(あの893の中の人曰く)だけど、ソレを、ぐっと我慢して、スティックシュガーとか、合唱用冊子とか、制服の白シャツの襟だとか、リュックのベルト部分とかの、まぁまぁ間接的な、何かを介して、ようやく、聡実くんに触ってる、触ってもいいと、自分に許している?感触が、個人的にはする。




ソコには、無意識的か、否かは知らんけど、聡実くんに「本当は、自分みたいな反社会的勢力である893が関わってはいけない」という、非常に常識的に、ソレをきちんと認識している『大人』としての映画軸の狂児が存在している感があって、そんなふうに、中学生である聡実くんとの関係性を把握しているならば、聡実くんから「もう無理です」と、本気で告げられたあとの、この4日間は結構、迷いに迷って、キツかったのでは?と、ふと、思った次第。




「この棒、どう使うん?」 
「わからんで買うたんですか…」 
「ん~~、溺れる者は藁をもつかむ、いうやろ」




原作者さまの握手会等のイベントトークからの裏情報的なモノだと、ムショ入りして出てきた893の人は、あの空港での再会を、聡実くんと、もう一度、関わり合うことを「迷ったけど、会いたいから、会いに行った」らしいので、ソレを基本として考えるならば、映画軸のあの893の人も、結局のところ、あの4日間で迷いに迷ったけれど、中学生の聡実くんとの関わり合い、交流を、縁を、すっぱりと切ることは出来なくて、諦めきれずに『溺れる者は藁をもつかむ』ように、聡実くんが持っていた音叉を、使い方もわからないのに買いに行き、音叉の使い方を教えてもらうという体で、聡実くんに再び、連絡している。




この『相手のコトを考えるならば、反社会的勢力に属している自分みたいな人間とは、関わり合いにならないほうがいいとは理解している。けれど、自分は、関わり合いになりたいし、会いたい。』という、最初は迷ったとしても、最終的に、あの893の人は『自分自身の気持ちを優先する』感覚、そのメンタルは、めちゃめちゃ強化ガラス製っぽいし、4日後には、何くわぬ顔でLINEと電話をしてくるくらいやから、やっぱり、普通の感覚ではないよなーと、思ってしまうワケだ。







 映画軸のオリジナル「映画を見る部」も、14歳の聡実くんが多分、無意識に求めていた、イマの聡実くんが存在してもいい場所だったけれども、聡実くんが本当に求めていたのは『イマの自分の存在を必要としてくれる人』だったと考えると、あの893の人に、あのタイミングで出逢ってしまったのは、本当に、運命的としか言いようがないわな…
(遠い目…)





ある環境下、状況下における、咄嗟の自己判断での優先順位。







仁義な世界で生きるモノにとって、ある特定の場における状況把握能力と、その場で判断を迫られる、己の立場的なモノを含む、護衛対象の優先順位がきちんとつけられるか否かが、のし上がるのには、非常に重要視されそうだなーと、あの893大集合カラオケ教室のくだりで、たんぽぽの兄貴がやってきた流れ、聡実くんがめちゃめちゃビビっているのに対して、割と、ずっと省エネ20%モードで真顔、真正面を向いたままだった、あの893の人の立ち振舞いをみていて、考えた。




例えば、あの場に、他の敵対している反社会的勢力の人間が、いきなり特攻してきたら、突然の銃撃戦で、狂児が優先順位として『守るべき人間』の一番は、たんぽぽの兄貴なのかな、と。




狂児の役職は「若頭補佐」で、若頭という位置に在る人は、他に存在すると推測できるが、映画軸では、スナック・カツ子での席順から考えても、あそこで最初は、組長のテーブルについていた『南』と呼ばれた長髪の人か、彼が立ち上がって、どいた後、組長の横に座ったたんぽぽの兄貴くらいしか、その役職に合いそうな存在がおらず、映画軸では、まぁ、ゆぅて、画面に映り込みやすいから、たんぽぽの兄貴が組長の横っぽいけれど、上下関係等を考えるに、ソコが一番妥当なトコロな気がした、知らんけど。




だって、あんなに、かわいそ可愛い聡実くんが、初めて自分から、あの男の腕に、その両手で、ひしっ!!!!ってなってんのに、あの893の人、省エネ20%モードの真顔、無表情のままで、聡実くんのほうに、全く少しの視線すらも向けていないのが、個人的には結構な違和感があって、あの時点では、たんぽぽの兄貴の存在のほうが、あの893の人のなかでは、聡実くんよりも「上」だった可能性があるよなーと、愚考した次第。






「がっつりヒモ。動じない。」
(特典オーディオコメンタリーより)






原作を読むよりも、映カ!をこんなに観てしまっているので、コレは、原作の“狂児”というキャラクターがどうこう、というよりも、特典オーディオコメンタリーの、上記のコメントに対して思うコトで、個人的には、あの893の人は「動じない」と言うよりも「所詮、他人ごとだと思っているから」こそ、その心は動かない気がしてならない。







結局、あの893の人が、自分の名前の由来についてを、軽く回想する場面でも「真面目に高校行って、真面目にヒモ生活をしながら〜」と、薄ら笑いで、滔々と語ってはいるが、本気で、自分から望んで「高校に行って、ヒモ生活をしていたのか」と聞かれれば、多分、違うような気はするし、イマの893の自分というモノでさえ「組長に、声かけられて〜」と、聡実くんには説明しているから、自分から望んで「狂った歯車の辿り着き先」を決めたワケではない感じを受ける。




この映画軸の、センチュリーの車内でやりとりされる『狂児』の名前の由来についての最後、あの893の人が告げる「聡実くんは『聡い果実』やからな、大丈夫や」という、なんとも、非常に無責任さを感じる発言の、個人的な違和感は、やはり“成田狂児”という人間の『主体性の無さ』に、いつもいつも、オタクの情緒が、引っかかってしまっているからかもしれない。




主体的ではないとは、イコール「自分のことではない」という、ある意味、軽いノリの無責任さが、常に根底にありそうで、あの“狂児”というキャラクターは、主語が常に相手で、自分という主体性がない生き方、相手が望むまま、流さるまま、生きてきたから、ああいう言動をとれるのではなかろうか…と、途中まで考えて、あ、コレ、突き詰めると、自分に跳ね返ってくるパターンやな……と、ちょっと自己嫌悪っぽくなってきたので、オタクの情緒の安定の為にも、ココは、深追いしないでおく…






相手への愛おしさを形作る、なんらかの種類の“愛”。




映画軸の狂児は、自分から聡実くんに近づくけれど、自分が「容易に触れたら、いけない」ことも、きちんとわかっている893(大人)って感じが、ものすごくする。 




けど、あの893の中の人が言うように、聡実くんへの好感度については、出逢った初っ端から、ものすごく高いから、なるべく近くには居たいのだろうよなーと、薄目で思う…




映画軸の狂児は、ものすごく勝手な、個人的なイメージだが「聡実くんのこと、ダイスキやで」とか、あっけらかんと、言い放ちそう。






映画軸の、あの時点(スナック・カツ子での聡実くん♪紅絶唱後)では、お互いが『お互いのことが、大切で、大事な人』という認識が、きちんと芽生えてはいるだろうけれど、14歳の聡実くんは年齢的にも、そもそも、恋愛経験値的なことでも、自分の相手に向ける『今の気持ち』が、いったい何処に、ナニに分類されるのかがわかってはいなさそうだな、と。







そして、逆に、何事にも経験値だけは異様に高そうな、あの893の人は、中の人曰く『自分のモノクロの世界に色がつく』存在、今までただ周りに流されるように生きてきた男が、つきまとうほどに執着してしまう存在と、出逢うコト自体が『初めて』で、こちらはこちらで、個人的には、よくわからんテンション、情緒が浮ついているのでは?と、思ってしまう。






いや、ね、あの省エネ20%モードの、なんにも興味関心がなさそうな893“成田狂児”をみてしまうと、聡実くんと一緒に居るときの、あのジェットコースターなみの情緒不安定さが、個人的には、かなり怖すぎて、毎回震える…






そして、唐突な彼氏ムーブ…
「なんでて…夜道、ひとりは危ないやろ。聡実くん、おやすみ(ニコッ)」








非常に納得感を感じる、長年培ってきたプロのヒモ的テクだと、ずっと思っていたけれど、今まで、ずっと省エネ20%で、流されるように生きてきた男が、ヒモ時代のように、生活費を依存している相手から頼まれたワケでもなく、また、面倒くさい状況に陥り、男の持ち得る『顔の良さ』を活かして、その場をおさめるというワケでもない場面で、あんなふうに、ただ相手のコトを心配し、それこそ『彼氏』のように振る舞うだろうか…



オタクの情緒も、そら、ガタガタするわ…






唐突に、映画軸での二人で、バレンタイン(2月なんで)を妄想したら、聡実くんからチョコをもらえるってなったとき、ものすごくナチュラルに、あの893の人が中学校の校門前で、聡実くんを待ち伏せしてる姿が想像できてしまい、自分の邪な妄想に、膝から崩れ落ちそうになった…




聡実くんからのLINE「元気をあげます」で、あんなにワクテカしちゃって、約束もしてないのに中学校の校門前に凸しとるからな…




バレンタインで、聡実くんからチョコなんてもらえるってなった日には、もう、朝から、延々ニヤニヤしてそうで、こわぃ…




で、カラオケ天国で待ち合わせをしたとしても、早く欲しすぎて、普通に学校に、迎えに来そうで、こわぃ……






『映画のまち調布・シネマフェスティバル2025』にて、久しぶりに大きなスクリーンと大音量で、聡実くんの♪紅絶唱を聴けて、また懲りもせず、えぐえぐと、ひとり、泣いていたワケですが、途中の聡実くんの中の回想での、あの893の人(音叉で♪ラー)を視界に入れたら、情緒が、スンッと落ち着いて、非常に助かったオタクですが、なにかwww






映カ!のラスト、さみしくなっちゃった聡実くんが、あの893の人との思い出の場所(ミナミ銀座界隈)を、ひとり彷徨い歩きながら、♪紅の和訳を呟き、最後、ビルの屋上で、あの強烈すぎる存在が『マボロシ』だったワケはないと、ようやく「名刺」という、形に残る、あの男の痕跡を見つけ、心持ち、嬉しそうな声音で「おったやん」と、小さく呟くところ。




かわいすぎて、息が止まりますよね?
(誰への確認…)




例え、あの893の人と、もう会えなくなったとしても、あの短いけれど、強烈な雷の閃光のように、ピカピカと輝いていた、大切で、大事な、一緒に過ごした時間が、その存在が、マボロシではなかったのだと、きちんと確信できて、イマはそれだけでも十分に嬉しい、とでも言うかのような聡実くんが、健気すぎて、天使すぎて、毎回毎回、あそこで「あ゙あ゙ーーー!!」って、天を仰ぎたくなる…
(クソ迷惑でしかない)




尊いって感情、爆発するんやな…





映画軸の、あの893の人も、14歳の聡実くんも、それぞれが「自分が在るべき世界」のことをよくわかっていて、お互いが、きっと、お互いのコトを「本当は、関わってはいけない存在」だということも、ほんの些細なキッカケで会わなくなる(会えなくなる)可能性が高いことも、どこかで理解はしていたからこそ、あんなふうに一緒に過ごした短い時間が、お互いにとって「延長」したくなるくらいに、とても大切で、大事で、ピカピカと、光り輝く“愛おしい”時間であり、お互いが、光り輝く存在になったのではなかろうか。 






(中国上映会ネット記事/インタビュー抜粋)
「もしまた共演するとしたら、どんな役を演じたいですか?バディが良いですか?ライバルが良いですか?」という質問に齋藤は「バディモノをやりたいです!そしてアクションを一緒にやりたいですね」と回答。綾野は「やっぱり聡実くんのこれからを見てみたいと思いますし、僕も狂児をまだまだ生きてみたいと思います。この関係でSFでもいいですよ。この映画が『カラオケ行こ!』なので、『聡美と狂児、シャンハイへ行く!』とか(笑)上海の関係者の皆さんにご協力いただいて、こちらでロケをやりたいですね」と答えてファンを喜ばせた。







…「聡実と狂児、シャンハイへ行く!」????






……完全なる二次創作やん…こわぁ………






『映画のまち調布シネマフェスティバル2025』映カ!上映後の山下監督のトークショーより、オタクが覚えている範囲での羅列、けど、体調不良により、あんまり記憶なし…







当日、脱水症状にて、朝5時に目が覚める、あの893の人と同年代の中年オタク。




DAKARAのペットボトルを握り締め、オシャレをする気力もなく、ヨレヨレなまま、朝7時すぎ、調布へと向かうも、新宿駅の京王線の乗り場が久しぶりすぎて、自分が乗るのが、京王線か、京王新線かが、途端にわからなくなる件…
(無事に到着は、した…)






今回の、オタクが『見返したかった』シーン。
「見てみぃ、コレェ!かっっわいいの、見つけてーん!」
「…ほんまやなぁ、なんや、この子犬ちゃん」
意思の疎通ができないハズの宇宙人と『聡実くんが、かわいい』という一点において、意思の疎通ができてしまう、あの893の人…さすが…






いや、上記のシーン、宇宙人の「かわいいの」という指示語に、あの893の人が、あそこで同意してたかどうかが、何故か、一週間前くらいから、ずっと気になってしまい、今回はソコを気をつけて観ようとしていたら、やっぱり「かわいい」に同意してたんで、それはそう、やな…と、ひとり、納得。






上映後のトークショーで、一番印象的だったエピソードは、山下監督曰く、撮影中、齋藤“聡実”くんの私服や言動が、綾野“狂児”さんと似てきて、ついに、監督が『今日の服、お揃い?』と思うくらいに、齋藤潤さんが『ミニ綾野剛化』していったという案件。




そりゃあ、感受性豊かな思春期に、もともと俳優さんとして、好きな人?…あんな…オーラ?フェロモン?…個性的な、特別感ある男性と、一ヶ月近くも、常に一緒に居て、気遣かわれて、優しくされたら、それこそ『紅に染まる』ように、一気に感化されてまうわな…と、スンッとなった。



あと、演技なんか、全くしたコトのないド素人の意見で大変恐縮だが、監督が「オーケー」を出した演技を「自分自身が納得できないから、もう一回やりたい」と言うのは、客観的にみて、いわゆる『新人という立場』として、どうなんだろうと、ふと、考えてしまった。




非常に一般的、社会人的な立場で考えてしまうと、演技を「仕事」と置き換えて、上司から依頼された仕事を期間内に提出し、上司から「承認」をもらったにも関わらず、自分がやり終えた仕事に納得できず「もう一回、やらせてください!」と、まるで修正?改善?を直談判するような、なんというか、非効率的というか、すっきりしない矛盾を、個人的には感じてしまったし、監督自体も「『監督』のオレが『いい』って言ってるんだけど…苦笑」って感じで話されていたので、自分の演技についてのアレコレというのは、やはり、俳優歴みたいなモノや立場も関係してくる話なのではなかろうか…と。




イマは、まだ『新人俳優』という立場の、ひとりの若手俳優である齋藤潤さんのコトが、親心満載で、非常に心配になってしまったオタクでした…
(今後のさらなる御活躍もお祈りしております🥹)