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差別とは/言わないまでも/ドラマでは/ホステスの名は/決まってアケミ◆追憶編、または人生別離足る。
1月12日、昨年の今日は、映カ!公開日やったんやなぁ…㊗️
そして、岡聡実くん、成人おめでとうございます㊗️
(いきなり、何?)
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勧酒
勧君金屈巵 君に勧む金屈巵
満酌不須辞 満酌辞するを須もちひず
花発多風雨 花発はなひらきて風雨多し
人生足別離 人生別離足る
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
◆追憶の。
マボロシみたいにバラバラだった『家族』が、本当にバラバラになったときの、記憶の欠片、または、その断片。
父が蒸発して、会社兼自宅だったところは借金のカタに立ち退かされることになったので、母は、土地を買い取ると言ったМ地所に「次に住むところがないと、出ていけるワケがない。(ド正論)」をふりかざし、引っ越し先を探してもらったが、地所が紹介する物件は、全てが、父と同じように借金のカタに住居を差し押さえられているような負の物件ばかりで、なかには、さっき逃げました、というような、赤いランドセルが部屋の真ん中にぽつんと放置されて、今にも小学生の子どもが「ただいま!」と帰ってきそうな、生活臭が生々しく残る紹介先もあり、私も母も、心底うんざりして、結局は自分たちで探すことにした。
そして、ろくでもない父が会社を倒産させ、自己破産し、蒸発するちょっと前の時期に、兄が分譲で購入したマンションがあって、母が、そこの近くの賃貸をまぁまぁ気に入り、二人でたまたま引っ越したのだけれど、その賃貸契約のとき、保証人が必要だからと、母が兄に頼もうとしたら、兄の分譲マンション購入時の保証人を当時、既に会社経営がうまくいってなかったことを理由に、母が断ったらしいのだが、兄嫁も、またメンタル強い系の学生時代はヤンキーだった為、例の『目には目を』の法則に則り、今度は、母が兄嫁に完全拒否されて、兄嫁に逆らえない兄も「悪いけど、嫁が反対してるから、保証人にはなれない。」と言い、私的には、兄との縁も、そこで、完全に切れるキッカケとなった。
その場所に引っ越して、5年くらいは経過していた頃だろうか…
母が、神戸に残してきた二人の子どものうちのひとり、それこそ、真面目に生きて上場企業に就職し、真面目に妻子をもって、真面目に暮らしていたはずの長男が自宅で自死したらしく、負の遺産相続の書類が弁護士事務所から、母宛に突然に送りつけられてきて、マジか…と、天を仰いだ。
前述の通り、私の母の人生は、なかなかに「小説より、奇なり」を地で突き進んでいたけれど、ここにきて、まだ「そんなコト」が、この人には起きるのかーと、本当に呆然とした出来事だったし、義理だとは言え、二人の兄の存在自体、ほぼほぼ知らなかった私にしてみれば、死んだ兄を悔やむ気持ちはあれども、ゆぅて、知らん人やし、母の精神的負荷の面で、コレは、非常に面倒くさいコトになったな…と思ったのが、その時の正直な気持ちだったのを、はっきりと覚えている。
そのあと、私の予想通り、母は、自死した長男を置いて、家を出た自分を責めだし、情緒は不安定を通り越して、鬱に近づく下降の一途を辿り、ついには「次男のところに帰る。」と言い出して、マジで、意味がわからなかった。
ちなみに、この次男も、父親がヤクザだからかは知らんけど、父親と同じく、職業ヤクザなブラック企業お勤めで、多分、今もそうなんだと思うし、なんなら、昨年亡くなった父のすぐ下の弟、私からはオジさんにあたる人も、昔から山梨でヤクザ稼業とのことだし、多分、今も足は洗っていないと思うので、ヤクザって、そこそこ珍しい職業ではないのかも…と、個人的には感じているという件、まぁ、余談だが。
そんなこんなで、いきなり「次男のところへ行く。母親の面倒くらい、ひとりで行ったら、みてくれるだろう。」という、情緒不安定というよりも、なんらかの精神をきたした人の謎理論を展開しだした母に対して、なんというか「ココまで一緒に生きてきた私」を、いったい何だと思っているのか、と。
「今度は、私を置いて、出て行くつもりなのか、この人…」と、呆れと、悲しみと、苛立ちと、なんかもう、やりきれなさみたいなモノが、ぐぁーっと巻き起こり、本当に、あのときは、腸が煮えくり返る思いだったけれども、それでも、なるべく彼女の薄いガラス板みたいな精神を刺激しないよう、出来るだけ冷静に「今さら、母親ヅラして行っても、ムリちゃうかなー?」っていうのを、まぁ、遠回しに、母には何度か伝えて、ようやく納得させた。
めちゃくちゃ疲れた、あのときは。
あのときほど、他人に、頭の中がグラグラするほどの強烈で、猛烈な怒りと、同じくらいの悲しみと遣る瀬無さと、自分がこれまで「生きてきた意味」みたいなモノを全否定、踏みにじられたと、感じたことはない。
「私」は、それでも、そんな「母」が好きだったから、彼女の今後の精神安定のためにも、顔も知らない『亡くなった義理の兄』の位牌の代わりに、母が欲しいと言った木工彫刻のお地蔵様を買いに、東京駅の丸善書店へと行き、そのお地蔵様を『亡くなった子ども』代わりに供養したいと言う母に、仕事帰りに「お仏壇のはせがわ」にて小さな仏壇を購入し、バスで抱えて持ち帰り、母の部屋に設置した。
あのときのことは、私のスペックの少ない脳内では、いつものごとく、断面というか、記憶の欠片としてしか覚えていないので、季節さえ不明だが、この同じ年か、次の年だったとは思う。
義理の兄のお墓が「どこ」にあるのかはわからなったけれど、義理の兄が当時、住んでいたマンションが「芦屋」だとは、弁護士から送られてきた負の遺産相続書類には書いてあったので、新幹線で京都まで行き、そこからレンタカーを借りて、母を「芦屋」まで、弔いに連れて行ったのも、母の精神安定のためでもあるし、ひいては、私の安寧の生活のためでもあった。
この件があり、なんというか「母に寄り添って、生きてきた私」という存在は、母にとっては、結構簡単に「切り捨てられるくらいのモノ」なんだなーと、妙に冷静に理解し、表面上は、黙々と働いてはいたけれど、精神面では、さらに無気力になったような気がする…
まぁ、とりあえず、以上で、私は、その時、私が出来る全てのことをしたと思ったので、この件は、私の中では、ひっそりと終了したのだった。
以下は、個人的に、ちょっと微妙な、メンタル脆弱的な、なんというか、非常に弱気な内容なため、本当に、本気の『自分だけ』の覚え書きとして、鍵の代わりに、有料としてます。
まぁ、私という人間を知らない人が読んでも、ふーん…という感じだとは思うけれども、念の為…
◆販売員=友人、を失う理由とは。
販売員である友人の売上貢献の為という、高額商品購入は、こちらの独りよがりな善意と捉えてしまえば、友人への精神的負荷になり得るのではないかと、販売員をしていた友人が、唐突に音信不通になったことを思い出して、ふと、考えるに至った。
コレについては、相手=受け取り手のメンタルの強さや、したたかさでも違うだろうし、本当にプライベートを知ってて、二人きりで遊びに行くくらい、仲の良い友人が販売員だった場合と、まぁまぁの知り合い→月一程度、必ず行く10年来の美容院の担当者みたいな、絶妙な立ち位置の知人が販売員だった場合とか、なんというか、微妙な差異は、あるとは思うけれども。
前述している元・ブラック企業の同期だった友人が、アパレル契約社員となり、彼女の職場が某老舗デパートのテナントだったので、当時、私自身も正社員として、安定していた生活だったから、月一くらいで、彼女が勤務しているテナントで、彼女の売上貢献のためにと、季節の服を買い、ちょうど昼休みに入るという彼女と一緒によくランチをしていた。
彼女の家族運、男運も、私の母と同じくらいに酷くて、それでも、へこたれずに、いつもアホみたいなことを言って、明るく笑う彼女が、私は好きだった。
けれど、彼女の売上貢献の為の高額商品購入は、こちらの独りよがりな善意だったと捉えてしまえば、彼女には相当の精神的負荷がかかっていただろう…
いつも明るく笑う彼女が、本当は、他人にものすごく気を遣う、精神が弱い人だと気付いていたはずだったけれど、私は、どこかで、見誤った。
でも、ひとつ、言い訳をさせてもらうとするならば、私は当時から「自分が気に入ったモノにしか、自分のお金は使わない主義」なので、彼女が働いていたアパレルで商品を購入していたのは、本当に気に入ったからで、そこに、彼女への忖度はなかったのだけれど…
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