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映画「カラオケ行こ!」40回目を見た後の私的な覚え書き。
⚠ネタバレしかない。
⚠オタクの私的な覚え書き。
⚠オタクの妄言多謝。
⚠「カ!」原作は、映画を観る前と35回観終わった後に一度ずつ、読了済み。
⚠「ファ!」一度読了済み。
⚠「ファ!」雑誌掲載分は最新話含め、未読。
齋藤潤さん、第37回日刊スポーツ映画大賞の石原裕次郎新人賞、おめでとうございます㊗️㊗️
人生一度きりしかない、中学三年生の成長期。
あの儚くも短いピカピカ、キラキラとした、子どもから大人への変遷期の、大切な一瞬を、この映カ!に、まるで聡実くんのように、全てを捧げて、演りきってくれて、本当に、本当に有り難く、こちらこそ、感謝しかない…
そして、原作はもちろんだが、ソレを、ひとつの映画という作品にして、創り上げてくれたスタッフの方々、演者さんたち、監督に対しても、感謝しかない。
映カ!は、齋藤“聡実”くんの日常の一瞬一瞬が、キラキラしていて、ピカピカしていて、本当に、大切で、大事な、それこそ、あの年代を無意識、かつ無気力に通り過ぎてしまった過去をもつオタクや、例の893の人にとっては、宝物のような、キラメキを放つ作品だと、個人的には思うし、事実、とてつもなく愛おしい作品、宝物でもある。
齋藤潤さんが、そんなふうに、彼の人生の大切な一瞬を切り取り、彼のもてる全てで、この映カ!の聡実くんを演じきってくれたからこそ、映画軸での聡実くんと狂児の短い青春が、とても愛おしく、尊いモノに感じて、オタクは、号泣してしまうのでしょう…
(相変わらず、情緒不安定やな…)
兎にも角にも、年末の上記の受賞後、久しぶりに監督+綾野さん+齋藤さんのスリーショットでの公式インタビュー配信が更新されていましたが…
綾野さん、齋藤さんのこと、見すぎちゃう?
齋藤さんのお顔に、穴あいちゃわない?大丈夫??
あ、綾野さんは、ちゃんと、監督のお顔も、じっと見ていたので、安心しました。
(安心…?)
やはり、綾野“狂児”と並ぶと、齋藤“聡実”くんの小ささが、まだ実感できて、オタクの心のなかは「かぁわいいなー(嬉)」しかなくなるわ。
(語彙力低下、甚だしいな…)
◆
昨年の冬は、人並みに、個人的には予想外すぎるコロナにもかかり、某・中山さんが不慮の事故で亡くなったニュースを見て、人間、やっぱり、生きていると、何が起こるかは全くわからないなーというのを、しみじみと感じ、心の底から「自分の明日が、本当にやってくるとは限らないので、今後の自分の人生、後悔しないように生きよう」と、改めて2024年の師走に覚悟を決め、2025年の年明け、大阪のドリパス応援上映に参加したオタクです。
改めまして、明けましておめでとうございます。
唐突ですが、人生の半分以上を腐ったオタクの思考で生きてきたし、自分の人生に、純然たる「夢や希望」を持つことなく、聡実くんと同じ年頃には、既に「無気力」を前面に押し出して生きてきたので、そのスタンスとは真逆に、あまりにも昨年の「推すコトがある生活」が、生き生きとしすぎていて、混沌を愛す中二の思春期みたいな質問「生まれ変わるとしたら、いつがいいか?」と聞かれたら、今なら「2023年の秋くらい」って、めちゃめちゃピンポイントで即答できる自信がある。
それぐらい、楽しかった。
『カラオケ行こ!』原作は、好きな部類だけれども、やはり、この作品が映画化されず、原作だけだったら、こんなにハマることはなかったと思うし、なんなら原作のストーリー、もう忘れかけてるからな…
(あかんやろ…)
そんなワケで、オタクの人生に、ひとつ、大きな後悔があるとするならば、この映カ!の公開前に、もっと関心を持っておくんやったな…、一択です。
なので、上記質問「生まれ変わるとしたら、いつがいいか?」と、もし聞かれることがあったなら、今ならばピンポイントで「2023年の秋くらい」って、即答する。
(即答のわりに、秋くらいの曖昧さよ…)
まぁ、でも、後悔したとして、リアルに生きている自分の人生が、ライトノベルみたいに、逆行や転生、いわゆる、時が「巻き戻る」ことはないと、きちんと理解はしているオタクなので、そんなら、なるべく、これからの「自分だけの人生」は「後悔しないように」生きていきたいなーと、思った次第。
で、2024年の前半、映カ!映画館にて上映中、本当は、聡実くんと狂児の地元である『大阪』で、一度は「応援上映」を体感したかったのだけれど、関東在住のオタクの覚悟が、まだその時点では、きちんとついておらず、中途半端に土日なんかに観に行っていただけだったので、映画館での上映が終了してしまったとき、本当に本当に、後悔した。
だって、もう「次」は、無いのだから。
ソレは、聡実くんと狂児の逢瀬にも言えるコトだが、この機会を逃してしまったら、自分ひとりだけの「要望、希望、力、お金」なんかでは、叶わないコトが、世の中には、たくさんあって、ソレは巻き戻すコトも、もう一度、体験するコトも出来ないコトで。
この映カ!が、再び、きちんとした「映画館で上映」されるコト、そして、ソレが「轟音上映、ないしは、応援上映」って機会、本当に、自分ひとりの力では、絶対に無理だろう。
ソコについては、やはり、ずっと後悔してしまっていたので、2024年の後半すぎて、一度、やっと吹っ切って「今年は、推し活=映カ!の年や!!」と、覚悟を決めるも、やはり、自分の貯蓄が、目に見えて、どんどんマイナスになっていくのは、正直、震えるというか、夢が醒めるというか、非正規雇用者の生活費というリアルな諸事情案件が…な…
でも、10月くらいに、友だちが「推し活、映カ!鑑賞会」メイン旅行に賛同してくれて、やっぱり、ココで中途半端にしてたら、また後悔が増えてしまうだけやぞ…と、奮い立ち、二度目の覚悟を、ようやく決め、2025年、明けてのドリパス応援上映会は、ようやく、念願の『大阪』で、観ることに決めました。
◆
『大阪』という土地は、前述の通り、私の母が生まれ育ったところでもあり、私が小学生の頃から中学時代、大好きだったダウンタウンの活動拠点でもあるため、関東在住にしては、小さな頃から、まぁまぁ、行き来していたので、特に高揚感はないが、感慨深いモノは、確かにあって。
母は晩年、自分が生まれたのは大阪だが、60代の前半になってから行った秩父(埼玉県)の空気感をものすごく気に入り「ここが、自分の田舎だったら良かったのに」というようなことを、何回か溢していたので、人には、そういう、相性の良い『土地』の空気感、馴染み感みたいなモノがあるんやろなと、思った次第。
ちなみに、大阪と東京の応援上映の最もたる違いは、もしかしたら、私が参加した回だけかもしらんけど、東京には、聡実くんと狂児の仲を、確実に囃し立てる「Fuuuuuuuuuーー!!」という掛け声?が、必ずあったけど、大阪は全く無くて、まさかの同族、腐った森の民/参考図解→2ちゃんより引用/ ┌(┌ ^o^)┐ホモォ は、この地には存在しないのか、と…
まぁ、ところ変われば品変わる、という感じなんかもしれませんな、知らんけど。
あと、個人的に、好きだったツッコミは、聡実くんが、お父さんに貰った白い御守りを見つめたあと、あの893の人にLINEするところで「愛のシーンや」って言ってた人がいて、ほんま、それな…ってなりました。
◆
「最後に…聞いてもいいですか?狂児って、本名なんですか?」
2024年12月21日のドリパス、秋葉原での応援上映会のとき、ココのシーンの狂児の表情について「嬉しそー!」というツッコミがされていたので、ハッとなった。
いや、なんや、ニヤニヤしとんな、とは、前から、ずっと思ってたけども。
(思ってたんかい…)
あそこの893の人の情緒も、かなりよくわからなくて、あのシーンの前に、893大集合カラオケ教室での乱闘事件で、聡実くんが茫然自失状態なのに、さらに追い打ちをかけるように、プリプリ小指が出てきちゃって、それを薄ら笑いで面白そうに話す、空気読めないというよりも、聡実くんが怖がる、拒否、忌避するとは欠片も思っていない感じからの「もう無理です。」の完全拒絶に一瞬、動揺?して、笑おうとして失敗し、浮かべかけた薄ら笑いを消して、大人ぶって「聡実くん、中学生やしな」と、それこそ自分に言い聞かせるみたいに、冷静に納得してみせたけれども、男の纏う空気は重く「ほな、な」の声も低く、硬質的。
その流れのあと、上記の聡実くんの質問に、何故か、またニヤニヤし始めるのかが、本当に訳がわからなくて、ちょっと面倒くさい臭いも感じたのでスルーしてたら、やはり「嬉しそー!」というツッコミが、秋葉原の応援上映では、何人かから上がっていたので、あぁ、この893の人、ココ、嬉しそうなんや…スンッと、なった。
映画軸でも、お互いが名前呼びになったエピソードは省かれており、腐った脳内で余白補完の妄想をするならば、狂児が名前呼びを強制?…おそらく、はじめは拒否したであろう聡実くんに、まぁ、強めに強請って、聡実くんが折れて、受け入れたのだろう(LINE交換も九分九厘、同じような流れだろう…)と、だいたいの流れの予想はつくけれども、聡実くんは、とても珍しい「狂児」という漢字の名前の由来についてを、初回ではツッコむことなく、スルーしていたんだなーと。
映画軸の聡実くんは、映画を見る部で「狂児って名前も嘘くさいわ」と言っているので、本当はオカシイとは思っていたけど、初回では、ソコはツッコミを入れてないことがわかる。
けど、それは何故か、と考えるに、相手は893で怖いと思っていたからかもしれないし、一般的ではない名前に対して、何かしらの気を遣ったのかもしれないなーとも思ってしまう。
聡実くんの名前も、聡実くんによく似合った、美しい響きの名前だけれど、分別つかない幼さならば「女の子みたいな名前」と、からかいの対象になりうる、絶妙な響きでは…と、個人的には思ってしまう、あの893の人と同年代なので。
映画軸の聡実くんは「とにかく、狂児さんの後悔しないほうで」「僕なんかに助けを」「僕なんかに聞くより」というように『名は体を表す』のごとく、あの年代の男の子にしては、自分自身の非力さ、というか、己の力量を過信せずに正しく把握し、まわりがしっかりと見えており、落ち着いていて、非常に聡いモノの捉え方をしているように感じる。
そんなふうに、そこらへんの大人よりも大人っぽい聡実くんに対して、一方の893の人は、「ほな、な」の声も表情も硬くて、聡実くんのほうを見ようともしていなかったのに、聡実くんから上記の質問をされた途端、いきなりニヤつきはじめるから、個人的には「やっぱり、この893の人的にも、自分の名前をネタ的にとらえていて、ようやく聡実くんから、ソコにツッコミが入ったのが、面白かったのか??」と解釈してたけど、あのニヤニヤを「嬉しい気持ちのあらわれ」と解釈したなら、また違うかー、と。
聡実くんに「自分という個」が興味を持ってもらえたことが、893の人は、そんなに嬉しかったのか…と、スンッてなりましたよね、えぇ。
◆
「ほんまに、行かんでえぇの?」全くの解釈違いだった件。
ずっと、ココの主語、聡実くんやとばかり思っていて、映画館での鑑賞通算30回目をすぎたあたりで、んん?主語、優子やん…ってなりました…
文章の読み取り、下手くそか…
◆
囃し立てる前と後の、映画軸での893の人の、聡実くんに対する「想い」の変化は、九分九厘あるとは、まぁ、個人的に思う。
♡合唱コンクールで発見→天使の歌声…お告げ、か…
♡お歌のセンセから、経典と書いてバイブルと読む、もろた→これは、もっと真面目に練習せな、あかんな…
♡オレのお歌のセンセ、めっちゃ、歌が上手くて、合唱部の部長さんやねん、えぇやろーって、組の仲間に自慢したら、自分もアドバイスしてほしいって、兄貴らまで言いだしよった…めんど…
でも、オレの大好きなセンセ、みんなに自慢できるから、えぇか…
♡コカイン星のシャブ星人の話、すべらん話の鉄板ネタやったんけど…
そぉかぁ…『カタギ』の普通の子には、オモロいワケなぃかぁ…
聡実くんなら『大丈夫』か、思おてたわ…
聡実くん、中学生やしな…
怖がらせたかったワケちゃうのに…
「もう無理」かぁ…
コレって、オレら、もう、会えへんてコト?
♡聡実くんが持ってた金棒、買うてみたけど…
使い方わからんし、聡実くんにLINEしよ!
♡オレの声質に合った歌のリスト貰った→うわー、…なんや、めっちゃ嬉しい!
かぁわいいなぁ!!
♡あのイカれた宇宙人に連れていかれそうな聡実くん発見→守らな!
欲しいモノあるんか?
買うたるわ、どれ?
なんでも買うたるよ…
♡屋上→危ない目に合ってほしくないから、こんなとこ、二度と来たら、あかんよ…
漫才みたいなノリの、友だちっぽいやりとり、めっちゃ楽しい!
♡聡実くんから「次、会ったとき、元気をあげます」って、えらい可愛らしいLINEきたんやけど…
えー、なんやろー、楽しみすぎる…
明日、会いに行ったろかなぁ…
聡実くんがいう“元気”ってヤツ貰えんくても、ワンチャン、部活やから会えへんはずの聡実くんの顔、見れたりせんやろか…
♡校門前→楽しみ、ワクワク、戸惑い、一天にわかに掻き曇り、罪悪感…?
◆
映カ!に、散らばる「対比」は、実にエモい件。
🚬冒頭の、雨が降りしきるなか、タバコに火をつけようとして、つかずに、ひどく疲れたように、大きく息を吐く男。
🚬ラストのラスト、光あふれる良い天気のもと、タバコに火をつけて、ひどく満足げに、嬉しそうに、スマホに向かって話す男。
🪽冒頭の、市民ホールという屋内の合唱コンクールで、勝手に「見つけられて」しまった、天使の歌声を持つ男の子。
🪽ラスト、光あふれる屋上で、勝手に「消え去られて」しまった、天使の歌声を失った男の子。
◆
「“元気”くれるんやなかったのー?」
大阪の応援上映でのツッコミで、正確には違うと思うけれど、やはり「ココで、ソレ言うメンタル!」みたいな感じで、ツッコミが入っていて、一般的に、あんなふうに相手を怒らせておいてからの、第一声がアレって…普通の感覚だと、そう思うよなーと、ちょっと安心。
ココの一連のシーンは、まぁまぁ、毎回いっつも引っかかる、あの893の人のワケわからん、情緒の不安定さみたいなモノが、やっぱりずっとあって、結局のところ、893の人は、最初から最後まで「聡実くんが、くれる“元気”」が、欲しくて欲しくてたまらなくて、ソレについては、くれると言った相手=聡実くんが怒っていようが、悲しんでいようが、くれると言った相手の気持ちは、関係ないんだな、と。
前述でも、何回か覚え書きにて書いてはいるけれど、映画軸の狂児という男、キャラクターが個人的に、いやにガキっぽく思えるのは、こういった「相手の気持ちを思い遣る」ことなく「自分の気持ちを優先しようとする」言動が、たびたび目についてしまうから。
上記で、個人的な、あの893の人の「心の声」の妄想を覚え書きしたけれど、なんというか、あの893の人の、聡実くんに対しての立ち位置とマインドが、いまだに結局、本当に理解出来なくて、毎回「こわっ…」ってなるし、情緒がぐらんぐらんになる。
「次、会ったとき、元気をあげます」という、聡実くん大好き893の人からしたら、あまりにも、このLINEは、かわいすぎて、息の根を止めにきてるよなとも思うし、楽しみにしすぎる男の気持ちも、よくわかるけど。
→楽しみすぎる、からの、 明日、会いに行ったろ。
→約束なく、中学校凸/お、校門前で聡実くん発見!
→部活の子ぉらと揉めてる?まさかの恋バナか?えー、聡実くん、合唱しかしとらん思てたのに、ちゃんと“青春”しとるんやなー。楽しそうで、えぇなー!
→んん?怒らせた?ふーん、恋バナ違うんや…
→あ、聡実くんから“元気”もらってなかったわ!からの「元気、くれるんやなかったのー?」
一天にわかに掻き曇っているはずの空気感を、まるっと、無視して。
聡実くんの「悲しいまでの怒り」を、まるっと、棚に上げて。
→んん?怒らせた?ふーん、恋バナ違うんや… からの、→→あ、聡実くんから“元気”もらってなかったわ!で、去っていく小さな背中に「元気、くれるんやなかったのー?」という声掛け…
その強メンタル、自己優先具合に対して、聡実くんはさ、ずっと健気に持ち歩いてたその御守り、あの893の人の顔に当ててたとしても、多分バチは当たらないと思う、よ…と、深く、深く思う新年早々の1月4日。
2025年も変わることなく、映カ!の聡実くんのキラキラ、ピカピカさ加減にデレデレしつつ、あの893の人の情緒不安定さに恐れおののきつつ、引き続き、どこかノスタルジックで、どこかチャーミングでハートフルな、中学生男子と893の人のお互いが、お互いに初めてであろう「小さな“ ”の物語」を愛でていきたいオタクですが…
なにか?😂