【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_29
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4章_遁逃-true intention-
4-3 誰かの夢act.2
◆◆◆◆
ひどく不快な夢を見た。
あまりに現実離れした光景で、スプラッター映画でも見ているような。
そのくせ、まるで昨日のできごとのように精緻で、生々しい。
悪夢と正夢を混ぜて煮凝りにしたような、そんな夢。
その日の雨は本降りだった。
傘を差していても端部から滴る雫やアスファルトからの跳ね返りで、腰から下がどんどん湿っぽくなっていくほどの雨足。
そんな中をひとつ下の後輩と足早に歩き続けること二〇分。
わたしとその後輩は、たどり着いたひと気の無い建物の中で、傘にへばりついた雨水を一生懸命振り落としていた。
「もぉー……まだ梅雨入りには早くないですー?江美せんぱぁい」
「雨雲だって、準備運動が必要ということなんじゃないかしら。六月になったから『ハイ雨降りどうぞ』と言われても困るでしょう」
「あははー。妙に人間くさいですねその雲」
適当を言い合って、二人して苦笑する。
一応先輩と後輩ではあるけど、彼女との距離感は世間一般のそれよりもだいぶ友人寄りの関係性を孕んでいたし、わたしはその方が好きだった。
彼女は、すっかり濡れてしまったわたしのローファーを見て口惜しそうに目を伏せる。
「……せっかく先輩があたしに付き合ってくれた日なのに」
今日という日を随分楽しみにしてくれていたらしい。
というのもここ最近、わたしは彼女からしきりに放課後の時間に誘いを受けていたのだけど、色々な事情があって断り続けていたという背景がある。
彼女にとっては念願の機会ということなのだろう。
「わたしとの時間が過ごせるだけではもの足りない……って言っているようにも聞こえるけど?」
「あっ、いや……そんなことは…………ちょっぴり、あるかもですけど……やっぱり晴れてた方が気分もアガるじゃないですか」
「そういうものかしら。でもわたし、秘密のお話をするなら雨の日の方が都合良いと思うのだけど。ほら、雨音が色々とかき消してくれるでしょう?」
わたしの言葉に、彼女はしたり顔で応じる。
「さすがは江美先輩。察しが良くて助かります」
「……けど、わたしの答えは変わらないわよ。『神託園』にはこれ以上関わらない」
「…………」
「病魔発症者たちによる非公式コミュニティ……とでも言うべきかしら。そんな集団があったことにも驚いたけど、それに貴女が参加していることにも、とても驚かされたのを今でも覚えているわ」
病魔発症者といえば、見聞きするのは未知の超常現象を好き勝手振りかざす者や精神異常を来した者の引き起こす傷害事件ばかり。
そんな、理性の欠片も感じられない人間たちが作った宗教集団に、わたしの後輩は入信していた。
「関わらない、っていうのは――」
「わたしが入信試験を受けないのはもちろん、神託園の一員を名乗る貴女と関わるのも今日限りにする。そういう意味よ」
そしてわたしはここ二週間ほど前から、彼女によるこの宗教集団への勧誘を受けていた。
最初に話を持ち掛けられて以降、何かと理由をつけて学外で会わないようしていたのが先述の「色々な事情」という訳なのだ。
「そんな……先輩……」
裏切られた、とでも言いたげな表情を見せる。
「申し訳ないけど。わたしを神託園に引き入れようとする貴女の努力は、わたしにとっては迷惑でしかないの」
友人や恋人、家族からの勧めだからと断りきれず、惰性でカルト教団に入信してしまうケースがあると聞く。
そういう人たちは、それまでに築いた関係を失いたくないという気持ちに負けてしまうのだろう。
わたしは逆だ。
大切な相手だからこそ、流されたり感情的な決断はしたくない。
「そもそも。どうしてわたしに拘るの?わたしは病魔発症者じゃないし、発症者たちを擁護する意思も無いの、貴女なら知ってるでしょう?」
「…………」
彼女は答えてくれない。
信者を何人増やせとか、そういうノルマみたいなものが教団から課せられているんだろうか。
もしそうだとしたら、理性ある人間として自分と相手双方にメリットの無い提案は容認できない。
「今日、誘いに応じたのは、これまで築いてきた友情があったから。友人・伊南江美として、貴女の想いに向き合ったに過ぎないわ」
これでもなお勧誘を止めないというのなら、その時はわたしにも考えがある。
沸騰間近の鍋のように、血液がふつふつと沸き上がってくるのを自覚する。
「……向き合って。その結論が、『迷惑』……ですか」
俯いたままだった彼女が、ようやくぽつりと零す。
心なしかその肩は震えているように見えた。
わたしの物言いは冷徹に聞こえただろうか。
それでいい。ここで優しくすることはお互いのためにならない。
「ええ。そうね。これ以上はたとえわたしと貴女の仲でも付き合いきれない」
そう言い捨てて踵を返す。
が、身体はそれ以上進まなかった。
理由は明白。
彼女の手が去ろうとするわたしの腕を掴んでいたからだ。
「待って……待ってください。そんな急に……!」
「急?わたしは二週間も耐えてきたのだけど」
「それは!……強引だったのは、認めます。ごめんなさい。……でも!あたしは先輩に――」
「呆れた。まだ続けるつもり?」
「っ…当然です!だってあたしは……!」
言い終わるのを待たずに彼女の手を振り払う。
――もう充分だ。
――もう良いでしょう?わたし。
――これ以上の押し問答はわたしを縛り付けるだけよ。
熱を帯びた血流が全身を駆け巡るような感覚。
今すぐ体外に吐き出さなければ倒れてしまいそうな熱量。
この熱を吐き出す方法は分からない。
振り解いた彼女の腕を掴み返し、強引に接吻を迫る王子のように身体を引き寄せる。
「ひゃ!?な、なん――」
動転する彼女の胸元に右手を添える。
「これは貴女の導いた結果よ」
全身の熱が右手の一点に収束する。
その熱と共に、溜まりに溜まった感情を解き放つ。
「――――さよなら」
結果は驚くほど呆気なく。
後輩だったものが、身に着けていたものごと赤い飛沫となって撒き散らされる。
羽毛布団を叩き破るようなくぐもった爆発音も、降りしきる雨に掻き消されてしまう。
あとに残ったのはいまだ水滴を垂らす二本の傘と赤い壁、そしてこの光景を生み出したわたしだけ。
ひどく不快な夢だった。
あまりに現実離れした光景で、スプラッター映画でも見ているような。
そのくせ、まるで昨日のできごとのように精緻で、生々しい。
悪夢と正夢を混ぜて煮凝りにしたような、そんな夢。
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