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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_1

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1章_無我-crazy in trouble-


1-3 ファーストコンタクト


 追手を撒くのにそう時間は掛からなかった。
 オレたちが表通りに出たタイミングで振り返ると、柄の悪い青年はようやく蹴りの痛みから立ち直った所だった。
 その後は人の多い場所を狙って早足に動き回り、だいたい一駅ぶんくらい離れた辺りで見つけた、この公園でひと息入れることになった。
 一〇分に満たない、オレにとってはジョギング以下の運動量だったけれど、ベンチで隣に座る少女は今も肩で荒い呼吸を繰り返している。思えば移動中も、引く手からは常に後ろ向きの抵抗力が伝わっていた。あれでも彼女にとっては全速力だったのかもしれない。
 呼吸が落ち着くのを待つついでに、近くにあった自販機で五〇〇ミリリットル入りの水を二本買う。
 うち一本に口をつけながらベンチの前に戻り、もう一つを少女の目の前にずいと差し出す。
「お疲れさん。とりあえずコレ、飲んどけよ」
「…………」
 ようやく息が整ったらしい少女は、ゆっくりと顔を上げる。その動きは、恐る恐る、という表現がぴったりの緩慢なものだった。
 そして差し出したペットボトル越しにオレの顔を認めると、彼女は露骨に嫌そうな表情を示した。
「あーー……もしかしなくても、オレが買って来た水は飲みたくない?」
 予想通りの反応に苦笑してしまう。
 こういうパターンもある。良かれと思って人助けした結果、救いの主が病魔発症者だと知るや否や、けんもほろろにあしらわれるのだ。
 ただ、目の前の少女の反応はそれと少し違った。
 彼女は「はぁ~~~」とひとつ大きなため息をつくと、
「……ください」
「――――えっ?」
「水、くださいって言ってるんですけど……っ!」
 自棄ヤケ気味にそう叫び、オレの手からペットボトルをもぎ取る。そのまま蓋を力任せに開けると、ビールのCMもかくやという勢いで中身を一気に半分も飲んでしまった。
 文学少女っぽい見た目に反して、思い切りのいい飲みっぷりである。
 オレは呆気に取られて、まじまじとその姿を眺めてしまう。
 身長は女子として中の下くらい。黒縁で四角い眼鏡と、肩下まで下ろされた黒髪を一つ結びにまとめた外見は、やはり体育会系とは思えない。しかし改めて見てみると、最初に抱いた「文学少女」という像は間違っているように感じた。
 なんというか、インドア派にありがちなおっとり・ふわふわした雰囲気が皆無で、むしろそこから程遠い、ピンと張りつめたテーブルクロスのような緊張感を纏っていた。
 そんな少女はペットボトルを両手で握り締め、
「最悪。助けられた上、施しを受けた相手が病魔発症者だなんて」
 心底悔しそうにそう絞り出した。
「そう思うなら受け取らなきゃ良いだろ……」
「しかもこの発症者、流暢に日本語を喋ってる。信じられないんですけど」
「おい」
 病魔発症者のことを一体なんだと思っているんだ。
 地球外生命体と勘違いしていないか。
 この少女、逃げ出したりしないだけで、発症者に対する嫌悪感は普通と同じ――どころか並以上に毛嫌いしているようだ。
「本人を目の前にして随分な言い草だな」
「病魔発症者って、自分の欲望が抑えきれなくなって衝動的になっちゃうんでしょう?さっきの貴女あなただって急に人を蹴ったし……。得体の知れない相手を怖いって思うの、当然だと思いますけど」
「へぇ、そいつはまた……」
 お手本みたいな病魔への偏見に満ちた意見だった。
 そんな風に嫌悪感を隠しもしない彼女だが、
「――ただ、それはそれとして。さっきは、どうも。ありがとうございました。ちょっとだけ、格好良かったです」
 ベンチから立ち上がり、深々と頭を下げてそう言った。
 それはそれ。
 口にした通り、彼女は発症者に対する感情と、人としての礼節を別けて考えられるだけの聡明さを持っていたらしい。
「お……おう」
 久しく耳にしなかった言葉に、それ以上を咄嗟に返すことはできなかった。
「正直、諦めていました。『ああ、このまま何もできずに乱暴されるんだ』『探偵の真似事なんてするんじゃなかった』……って。病魔は好きになれないですけど……助けてくれたことには、本当に感謝しています」
 探偵の真似事。
 感慨に浸りかけていたオレの意識が、彼女の発したその単語によって現実へ引き戻される。
「……忘れるところだった。なんであんな所で、あんな胡散臭い男と話す羽目になってたのか、教えてくれるんだよな」
「え……!?」
「それ言わなきゃダメなんですか、みたいな顔をするな」
 これを聞くためにオレは、面倒事にわざわざ首を突っ込んだんだから。
「考えてもみろ。アンタは身に危険が及びつつあった…そこにオレが介入し、危険を遠ざけた…これは事実だな?」
「ええ。まあ」
「じゃあ同じ危険に身を晒した当事者にも、そこに至るまでの経緯を知る権利はあると思わないか?」
「う、うぅん………………………………………………」
 彼女はたっぷり一分以上黙考してから、
「………………分かりました。気は進みませんけど、助けられた恩がありますから」
 本当に渋々といった様子ながら、説明してくれた。
「実は……数日前から、わたしの後輩が行方不明になっていて……。ご両親も学校も、警察には届け出たって聞いたんですけど、それ以降の状況が全然伝わって来ないんです」
「行方不明、――――」
 彼女の指がせわしなく手元のペットボトルを弄んでいるのは、その焦りの顕れに思えた。
「……警察を疑うつもりは無いです。でも、人探しくらいならわたしでも出来る……って思って、だからわたし、後輩らしい姿を見たっていう証言を頼りに、街中を探し回ってるんです」
「で、それらしい場所が今回はあそこだった…て訳か」
「今までは目撃地点に行っても何も手がかりが無かったんです。でも今日の場所には人がいて……もう一歩踏み込んだ情報が手に入るかと思ったんですけど……」
 肩を落とす彼女には悪いが、それは人間の善性を信用し過ぎだろうと思う。盲信と言っても差し支えなさそうだ。それとも、単に世間知らずなだけだろうか。
 人目の付かない場所にうら若い女子が一人でのこのこやって来れば、そりゃあ裏の住人はすべからく「カモが来た」と思うに違いない。
「世の中そう美味い話は無いってことだ。良い勉強になったな?」
「うわ……すっごい頭にくるんですけど、その言い方」
「はは、その威勢の良さがさっきのニィちゃん相手でも出せたなら、オレもこんな言い方しない。これに懲りたら、後輩ちゃんのことは信じて待っててやるんだな。そのために、警察って組織が存在するんだろ」
 むすっと不満を示すものの、オレの言葉に一応は納得したようで、それ以上の抗議はせずに少女はベンチに腰掛け直した。
 他に聞きそびれたことは無かったかと反芻し、
「そういや、まだお互いの名前も知らなかったな。オレは別谷わけたにさかえ。――別谷でも境でも、好きな方で呼んでくれ」
「そうですか。では『別谷さん』で。……わたしのことは伊南いなみでお願いします。すみませんが、それ以上の個人情報は」
「ああ、それで構わない。伊南の日常に干渉するつもりは無いよ」
 初対面同士でこれ以上の詮索は難しそうだ。
 これからどうするかは事務所に戻ってから考えるとしよう。
「オレはもう帰るけど、伊南はここから家までの道、大丈夫か」
「ば、馬鹿にしないでください…!わたし、高校生なんですけど!それくらい平気ですから、早くお帰りくださいさようなら!」
(なるほど、高校生だったか)
 子供扱いされたと思ったのか、憤慨する伊南。売り言葉に買い言葉、反射的に発した内容に彼女の個人情報がオマケで紛れ込んでしまったことにも、気付かなかったようだ。
 もう顔も見たくない、とばかりに足早にこの場から立ち去っていく元気な後ろ姿を一度だけ振り返り見て、オレもまた公園を後にする。
 そうして神流の事務所に向かう道中、オレの頭を支配していたのは彼女の発した「行方不明」という単語と、六日前の神流とのやり取りだった。

次回


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