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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_8

前話はコチラ!!

2章_残映-encounter-


2-2 異物


 そんなわけで、自ら陥穽かんせいに嵌ってしまったオレはこうして女子高生に扮しながら姫毘乃女学園に登校する羽目になったのだった。
 潜入するにあたって、左目の下にある特認証は大判の絆創膏で隠しておいた。顔面に絆創膏がある女子高生というのはいささか目立つ気がしてしまうけれど、病魔発症者の証を堂々と晒しているよりは確実にマシであろう。
 ここに至るまでの道中、奇異の目を向けてくる人は一人もいなかったし。
 人は思っていたよりも他人に関心が無いらしい。
 オレの五割増しくらいのペースで歩く姫毘乃生が、横からオレを追い越していく。彼女もまた、すぐ傍の異物オレに気付くことなく正門へ向かう。
「ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう」
 いかにもお嬢様校らしい挨拶だ。生徒のみならず守衛までその口調とは。
 流石に挨拶一つで素性を疑われるようなことは無いだろうが、この場における常識を前もって確認できたのは僥倖ぎょうこうだ。
 オレも人生初の「ごきげんよう」を交わして正門を通過する。

 敷地内は、二十三区の一等地とは思えないほど広々としていた。
 門から校舎までの間には円形の池があって、水瓶を担いだ白い石造りの像から水が注がれている。その池を囲むように植込みが整備されており、さながら洋館の前庭のような雰囲気だ。ここが共学校なら告白スポットになっていただろう。
 その奥に鎮座する校舎は全面が赤いレンガでできていた。壁のところどころにツタ状の植物が繁茂しているのですら、この外観だとむしろ積み重ねられた歴史のような「味」を感じさせる。
 上空から見ればコの字型になる校舎のうち、手前に見えるのが中等部で、高等部は確かその奥に位置していたはず。建屋としては、中等部を中心にして対になるような配置にもう一つが存在するが、それは高等部の旧校舎で一年前から使用されていない。つまり、高等部は旧校舎から新校舎へ移動したばかりということだ。
 事前に神流から見せられた校内の見取り図を頭に思い浮かべながら、自分の向かうべき昇降口へ歩みを進める。
「そういえば、伊南も二年なんだっけか」
 見取り図の記憶と共に、黒髪眼鏡で病魔嫌いな少女の顔が浮かぶ。
 彼女は行方不明の後輩を探していると言っていた。捜索願が出された城崎音代は高等部一年だから、彼女の言っていた探し人というのはまず間違いなく城崎のことだろう。
 捜索対象と密接な関係があり且つオレと面識があるという、情報源としてはこれ以上ないほどに最適な人材ではあるけれど。
「この捜査中、アイツにはなるべく見つからないよう気を付けないとな……」
 伊南は病魔発症者のオレをかなり毛嫌いしていた。あの日は一応助けた義理があったけれど、校内で不用意に接近すれば、嫌悪の感情からオレの素性を暴露されかねない。
 最も捜査に有用な人間から逃げ回らなきゃいけないとは、皮肉なものだ。

 そうこうしているうちに昇降口へたどり着いた。
 オレに与えられた制服のリボンの色は緑。高等部では二年を意味する。他には一年が赤で、三年は水色が割り当てられている。
「――――……っと、ここか」
 流石に下駄箱の配置までは事前資料に載っていなかったので、こうして現地で探すしかない。
 新学期でもない時期に昇降口でキョロキョロするのは挙動不審に違いないが、誰に咎められることもなく二年の空き下駄箱を見つけることができた。
 周りに生徒が数えるほどしかいないことから察するに、この学校において八時過ぎの登校時間は遅い部類なんだろう。ざっと下駄箱を眺めてみても、もうほとんどの上履きがなくなっている。
 オレは中身スカスカの学生鞄から上履きを取り出して、そそくさと履き替える。ただでさえ教材のたぐいがゼロの鞄も、これで完全に空っぽだなと苦笑したところで、
「――――――――」
「――え」
 いつの間にか。
 オレのすぐ隣で、見たことの無い小学生くらいの女の子が佇んでいた。
 それはあまりにも唐突で。
 顕現という表現がぴったりだと思った。
 そんな言葉が浮かんできたのは現れ方もさることながら、その少女の外見が常人離れしていたからだ。
 身に着けているのは白のワンピース一枚のみ、靴も靴下も履いていないという恰好だけでも充分に浮いているけれど、何より目を引くのは金色の長髪に金色の瞳――いや、これは金色というより……そう、輝き光っているというのが近い。この子は比喩でもなんでもなく、物理的に目を輝かせてオレを眺めていた。
「――――――――」
「……えぇっと…………」
 いつからここに立っていた?
 なぜこの子はオレのことを見つめる?
 どうやって小学生が入って来られた?
 そもそも本当に人間の子供なのか?
 次々に浮かんでくる疑問に思考を支配され固まるオレと、黙して語らず無表情なままの少女。
 その沈黙の光景は、まるで魂を抜かれた写真のようだった。
 何より不気味だったのは、少女の後方からやってくる――オレより遅れて登校してくる――姫毘乃生が、明らかに目立つこの異質な存在に全く気付かず各々の下駄箱へ向かっていくことだ。
(見えて……いない…………?)
 周囲に見えていなくて、自分にだけ見えている。それは通常、幻覚と言われるものだ。
 ましてやオレは病魔発症者。元から異常な自分の肉体であれば、そういうことも起こり得るのかもしれない。
 状況から考えれば、その結論は納得して然るべきもの。
 だが、心のどこかに「これはマボロシじゃない」と叫ぶ自分がいる。
 理性じゃない、全くもって根拠もハッキリしていない。我儘にも等しいその主張を、しかしオレは切り捨てることができずにいる。
「――――――――!」
 にらめっこに飽きたのか、金髪金眼の少女はすぅっとオレから視線を外して校内へと駆け出した。
「あっ……」
 おい、と呼び止めようとする口を咄嗟に噤む。
 それ以上言葉を続ける代わりに、足は自然と少女を追いかけていた。
 ぴと、ぴと、たん、たん。
 リノリウムの廊下を蹴る、軽やかな足音が耳をくすぐる。
 視覚以外の五感に届く情報は、目の前の少女の実在性を補強する。
 かと思えば、彼女に差した陽の光はまるでそこに何も存在していないかのように、影を形作ることなく床を照らす。
 あり得ないはずなのに、いると感じる。
 おかしいと思いながら、足は止まらない。
 オレが追うのを鬼ごっこと感じたのか、少女は無邪気な――驚くことに、オレにはそう見えた――笑みを見せると、階段を駆け上がっていく。
 重力を感じさせない、ふわりとした足取りのまま階を三つ、屋上扉に続く半階段も上りきる。
 追いついた――そう思ったオレの前で。
 少女がおもむろに扉のノブを握りしめると、がちゃりと鍵の開く音が聞こえた。
「マジか…………」
 思わず零れた独り言をその場に残して、オレも屋上へと続く。
 恐る恐るノブを捻ると、最初から施錠されていなかったかのように簡単に扉は開いた。
 前庭と校舎の外観からは想像つかないほど殺風景な、コンクリート打ち放しの屋上と、周辺一帯の四角い建物の絨毯が視界いっぱいに飛び込んでくるけれど、一面を見渡しても少女の姿はもうどこにも無い。
 そもそも彼女は鍵なんて持っていなかったし、扉に細工をした痕跡も無い。彼女が何らかの干渉をして開錠したとしか考えられなかった。
 オレの他には見えず、光が当たっても影ができず、唐突に現れたり消えてしまう。そんな実在しているのかも定かじゃない存在が、現実世界の鍵に干渉した。
「…………意味、わかんねぇ」
 狐につままれた気分になる。
 病魔を発症して四年、自分の身に起きる異常にはもう慣れ切ったつもりでいたけれど、これは初めての現象だった。
 ふと携帯の画面を確認すると、あと二分で予鈴が鳴るというタイミング。
 雲散霧消した金髪金眼少女の行方にも後ろ髪を引かれる思いだが、それは今すべきことじゃない。
 転入手続きなんてしていないので、当然どの教室にも居場所は無い。授業時間の間はどこかで身を潜める必要がある。
 その意味では、この屋上はおあつらえ向きの場所だった。
「そういや、下駄箱からここまで誰ともすれ違わずに済んだのか」
 割と一階のあちこちを動き回った気がするけれど、そんな偶然もあるんだろうか。屋上扉の鍵といい、ラッキーで片付けるには都合が良過ぎる。
 ……もしかすると、あの金髪金眼少女は。
「――――いや、それこそ都合良過ぎる解釈だな」
 考えかけた仮説をかき消して、適当な段差に腰かける。
 一日当たりで調査に使える時間は少ない。放課後は部活動や習い事のある生徒の場合すぐに下校してしまうだろうから、授業合間の一〇分休みと昼休みがほとんどになる。
 待っている間に、限られた時間でどうやってアプローチしていくか考えよう。
 幸か不幸か、その時間だけはたっぷりあった。


次回


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