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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_27

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4章_遁逃-true intention-


4-1 「事後」


◆二〇〇五年 六月二十六日 東京二十三区 北部の廃工場

「フゥ――――――――……」
 地べたに座り込んで細く、長く息を吐く。
 あの異能は、使うと精神的に物凄く疲れる。正確には使うことそのものではなく、好き勝手暴れ出そうとする異能を抑えるのに集中力が必要で、終わった直後はその疲れがどっと押し寄せてくる……といった方が近い。
 毎度ながら、いつも虚脱感が襲ってくるこの事後・・には慣れない。
 金髪金眼の少女の姿はいつの間にか消失していた。こんな調子で出現と消失が自由自在なら、あの少女が殺人の現場を目撃したという話もあながち嘘ではないのかもしれない……そう思えるほどに彼女は神出鬼没だった。
 傍らの中条はさっきから床に伸びていて、奴がずっと左掌に構えていたみずも今やただの水溜まりと化している。
 オレが動員命令を請ける度に何度も見てきた光景だった。
 今までならここから公衆電話探しが始まるところだけれど、今は違う。ズボンのポケットから携帯を取り出し、唯一登録された番号をコールする。
『――ふぁ。何があった』
「色々だ。情報の洪水になるからしっかり頭働かせて聞いてくれ」
 この辺りは流石というか、日付が変わってすぐ深夜の電話でも二言目には神流はいつもの調子を取り戻していた。
 オレは件の地域で何者かの殺害現場を工場跡地で発見したこと、直後に神託園メンバーらしき重度発症者に遭遇したこと、そして、なぜかその場にいた伊南江美もまた重度発症者だったことを伝える。
「――そんで、とりあえず中条って奴はオレがその場で『対処』しておいた」
『了解した。では至急特捜課ウチの回収班を向かわせるが、到着までそこで待機できるか』
「――――」
 捕食した相手の身柄を引き渡す。
 いつも通りの手続きなのに、躊躇する。
 その理由は明白だった。
「神流。オレは、今すぐ伊南を追うべきだと思う」
『ほう』
「捜索対象だった城崎は既に死んでる。いや、恐らく伊南の手で殺されている。ヤツの病魔は、それを実現できるだけの威力と異常さを兼ね備えていた」
 立ち上がり、先刻地響きがあった辺りに視線をやる。
 そこは高圧水流で吹き飛ばされた伊南が倒れていた場所で。
 中条の最初の攻撃で崩落した壁材がそこら中に転がっていたはずの場所に、今はぽっかりと直径五メートルほどの穴が開いていた。
 近くに寄って覗き込むが、暗闇で何も見えない。
 その代わり、耳を澄ますと穴の底からは水の流れる音が聞こえてきた。
 どうやら床下には元々工業用水の配管が通っていて、工場の床から配管上部までを貫通する穴になっているみたいだ。
 応戦中の中条が気を取られ、あまつさえ動揺までしてしまった原因。
 それは伊南の逃走という事態に他ならなかった。
「対象が何だろうと効果の減衰はナシ、コンクリも土も金属もまとめて木っ端微塵……これだけの破壊をヤツは体ひとつで生み出せる」
 爆散、とでも名付けようか。オレとヤツがやり合っている最中、彼女はその異能で工場の床を瓦礫ごと粉砕したのだろう。
 中条の言う「本来の状態」へと覚醒を果たしたか、突き付けられた事実に精神が押し潰された末の錯乱か。狙ってやったとは思えないけれど、結果的に彼女の真下には用水路があり、そこを通じて逃げおおせたというのが今の状況だった。
『もはや単なる失踪事件の域を超えてきたということだな』
 受話器越しの声が短く嘆息する。
『……分かった。今を以て目標を伊南江美に変更する。境、彼女がそこからどこへ向かったか分かるか』
「問題はそこだ。アイツ、工場の床をぶち抜いてそのまま下に落ちやがった」
『なるほど、工業用水路を利用したか』
「上流か下流どっちに逃げたのかも分からない。それにあの爆散する異能ならどこからだって水路から外に出られるはずだ。ここを降りてもアイツの行先までは……」
『ひとつ確認だが、直前の伊南江美はどんな精神状態だった?正常か?それとも錯乱していた?』
「少なくとも、マトモでは無かったはずだ」
『ふむ。ならば行く先は十中八九、自宅だろう』
 事も無げに言う神流に驚きを隠せない。
「なぜそう言える?」
『境は帰巣本能という言葉を知っているかしら。渡り鳥や鮭が遠く離れた自身の生まれ故郷へ戻ってくる能力のことを指すんだが、これと似て非なる現象が人間にもある。ほら、泥酔して記憶も定かでないサラリーマンが何故か自宅にはちゃんと辿り着ける……って話、聞いたことあるだろう』
「おう」
『アレは帰巣本能ではなく、酔いで脳が正常に機能していない状態においても、長期的な繰り返しや経験によって培われた記憶は失われないために自宅への帰り方だけは覚えていた、というのが実態だ』
 そこまで説明されれば、オレにも理解できた。
「つまり伊南の精神状態がマトモでなかったとして、その状態で辿り着ける先は記憶の深い部分に残っている自宅になる、ってことか」
『そういうこと。ちなみに伊南江美の自宅住所は既に割り出してあるわよ』
「えぇ……手際が良すぎて気味悪ぃぞ……」
『失礼な。そもそも城崎音代と接点の深い人物だったから、基本情報を洗い出しておいたというだけよ』
 いずれにせよ、このまま放置するという選択だけはあり得ない。
 彼女を捕らえることが得点稼ぎになるから、ではない。
 オレに対する政府の態度が軟化するか硬化するかなど、二の次三の次だ。それは今回の事案に首を突っ込むと決めたあの時から変わらない。
 ただ、伊南江美の病魔の力が、大切なものを壊してしまうということ。
 そしてそれを止める術がオレにはあるということ。
 それだけが肝要で、それ故に彼女を追うのだ。

    ◆◆◆◆

次回


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