【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_32
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4章_遁逃-true intention-
4-6 追跡
伊南江美の自宅は廃工場から洗川を挟んで反対側、電車で六駅南下したエリアにあった。
周囲に高層マンションがほとんど無い閑静な住宅街の只中、他の家に紛れるように佇む二階建ての一軒家。
正直、想像と違った。
都内で一軒家に住めている時点で親の稼ぎは並以上なのだろうけれど、思ったよりも「普通」というのが偽らざる本心だった。
ただし、普通なのは外観だけだ。
中途半端に開け放たれた玄関の扉が、既に家の中が異常事態であることを示唆している。
「神流の見立て通りかもしれないな」
逃げおおせた伊南が今も中で息を潜めているかもしれない。
呼吸を整え、意識を自身の中心へ集中させる。
くらえ。喰らえ。食らえ、クらえ――――
どす黒い欲求に共鳴して右前腕を病魔の鎧が包む。
鎧が伊南の異能に対してどこまで耐えられるかは分からない。
だからこれは防御のためじゃなく、あくまで攻勢のための備えだ。
いつでも迎撃できる状態で、オレは玄関から伊南家に足を踏み入れる。
「…………?」
照明のスイッチを探そうとして、既にリビングだけ明るいことに気付く。
しかも奇妙なことに、人の気配は無い。
不審に思いながらリビングを覗き込むと、
「――――――――、あぁ……」
それは惨劇の跡地だった。
薄いベージュ調の床と壁を上から塗りつぶすように、くすんだ赤色がぶち撒けられている。
「とっくの昔に、アイツの中身は病魔に侵されていたのか」
この殺害は今日行われたものじゃない。
血痕に臭いは無く、指で撫でても乾ききっていて付着することも無い。犯行自体は数日、十数日の以前に起きたとみて良い。
そしてどんな理屈か、犯行後の彼女は自身が両親を手に掛けたこと自体を忘れて普通の生活を続けていたことになる。それはテーブルクロスに残された、殺害の瞬間その上に載っていた食器類の型を残すかのような血痕からも分かる。
『彼女は無知な少女のフリを続けている。本当の伊南江美をひた隠しにして生きている!そんな状態を、君はまともだと言っているのか!?』
「ちっ……」
嫌なタイミングで中条の言葉が想起される。
本当の伊南江美――爆散の異能を振るう彼女と、オレが接してきた彼女は別の人格なのだろうか。
二つの状態は記憶も共有されず、だから今日の今日まで「無知な少女」の伊南は自らの凶行を知らずにいられたのだろうか。
そもそも、オレは昨日の時点で気付くべきだった。
神託園の入信試験で幻覚の姿が要求される、と話した時、彼女はその幻覚少女のイラストを精緻に描き上げていた。
しかし同時に彼女が口にした幻覚の要素は「金髪」「金の眼」「薄着の子供」までだ。
その性別が女とは一言も言っていない。
知り得ない情報を当たり前のように把握できていたのは、彼女自身が既に病魔を発症していたことの証左といえる。
「――――。過去の見落としをここで悔やんでもラチが明かないだろうが」
今考えるべきは、結局彼女はどこへ向かったか、だ。
神流の予想通り、伊南が一度は実家に戻って来たことは間違いない。玄関からリビングにかけて、濡れた跡が残っているのがその証拠。雨の降っていない今日、足元を濡らす可能性があるのは水路を使って廃工場から逃げてきた彼女だけだ。
だがその後、何らかの理由か目的で家を去っている。
その動機が見えなければ、行先を絞り込むことも叶わない。
考えろ。
オレより一足先に家へと辿り着いた伊南は、その時点ではまだ泥酔状態の酔っ払いのように夢現のような状態だった。
命の危機に晒された上、自らが病魔発症者だという事実を中条から半ば強制的に突きつけられたのだ。訳も分からないまま、脳の奥底に残った自宅の記憶を頼りにどうにか帰って来れられたというところだろう。
だが、発症者としての自意識と健常者としての自意識が渾然一体としていた結果、今まで健常者の自意識が目を逸らせていた家の惨状――両親殺害の痕跡――に気付いた。
気付けてしまった。
その、先だ。
この次に彼女が何を考え、どう動くかを考えるんだ。
次回
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