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今いちばん大事なものを埋めるとしたら


きっかけ

「男性アイドル/ボーイズグループのメンバー」を「推す」という経験のない人生だった。
そもそもテレビをつけることがあまりない生活をしていた。年末の歌番組も観ていなかったし音楽を日常的に流す習慣もなかった。だから、JO1という名前を聞いたことは多分あったが、おそらく耳にしても韓国の人たちだと思っていた、と思う。文末が曖昧になるくらい、過去の認識すらあやふやだ。

女性アイドルを推していたことはある。なんとなく察してもらえるかもしれないが、ハロー!プロジェクトだ。
2023年の夏〜秋当時、最推しはとっくの昔にハロー!プロジェクトを卒業しており、私自身も現場には行かなくなって久しかったが、例えて言うと茶の間の隅っこか隣の部屋くらいからテレビを眺めているくらいの距離感には居続けていた。
2023年の夏〜秋というのは、サバイバルオーディション番組の一つに元ハロー!プロジェクトのメンバーが出ると知った、ちょうどそのころである。ハロー!プロジェクト内で研修生として頑張っている時から知っていたメンバーだったので感慨深く、彼女がまた表舞台に戻ってきてくれたことが嬉しかった。手持ちの票は彼女に投じると決め、ファイナルまで投票し続けた。
にもかかわらず、実を言うと、リアルタイムで番組を見たことは、最終順位発表直前まで一度もなかった。
理由は単純に、どんな方向であれ心を揺さぶられることが怖かったからだ。若者たちが夢をかけて戦い、命を燃やして、それでも全員が叶えるわけにはいかない過程を見るなんて、こちらも無傷で済むわけがないと思っていた。
最終順位発表は地上波で放送されると知り、最後ぐらいはきちんと観た方がいいだろうな、と思って観た。

めっちゃ泣いた。

自分のそういうちょろさを知っていたから観ていなかったのに、まんまと泣いた。ファイナリストたちのほとんどについては、彼女たちがどんな過程を踏んでどんな思いでここに立っているかすら知らなかったにもかかわらず、泣いた。
自分の単純さに辟易としながら、その日のうちにPRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS 1話から見始めた。完走にかかったのは約一か月ほどだった。
出てくる参加者は一人残らず魅力的で、トレーナー陣と国民プロデューサー代表は愛に溢れていた。過剰に情感を揺さぶろうとする演出上の作為をしばしば感じたし、X(思い返せばTwitterから名称が変わったばかりのころだ)でしょっちゅう物議を醸していた分量差問題についてはなるほどこれは……となったが、それでも観終わるころには参加者全員を好きになっていた。最後まで観てようやく、私の1pick は笠原桃奈だと自信を持って言えるようになったのも嬉しかった。桃奈、勇気がなくてリアルタイムで追えなくてごめんなさい。今も応援しています。

軽はずみに

さて、その一か月というもの、暇さえあればPRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSを再生していたので、最後まで観終わってしまうとどうにも寂しくなってしまった。手はもう習慣のようにLeminoを開いている。
そのころにはさすがに、このPRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSが日本版プデュとして3シリーズ目であること、先の2つでは英数字三文字の男性グループがそれぞれデビューしていること、くらいは知っていた。
若い男性ってこれまで「推す」対象になったことがないな、と思いながら、本当になんとなく、ピンクのマークではなく青いマークがついた動画のサムネイルをクリックしてみた。

覚えのある始まりかた。でもテーマソングはこれまで何十回と聞いたLEAP HIGH!ではなく、よく考えれば当然なのだけれど、そのときはなんだかびっくりしたことを覚えている。
男性がわらわらと出てきて、わあ男の子だあ、と思った。化粧っ気もあまりなく、衣装というより私服を思わせる格好はグループの中でもテイストが微妙にばらけていたりして、さっきまでそのあたりを歩いていた男の子たちが連れて来られましたという感じで、まず何よりかわいさと親しみやすさを感じた。
ブレイクダンスを披露する子たちや社交ダンスを披露するひと、GIRLSの時はなかった一人チームで堂々とパフォーマンスをするひと、デビュー済みの貫禄あるアイドル経験者、なんかむきむきの美声のひとたち、など、印象としてはGIRLS以上にバリエーション豊かだった。
そのなんでもありの混沌感が面白かったのだけれど、中にひとり、妙にこなれた印象のひとがいた。ブラックでタイトにまとめた長身痩躯に顔のよさを活かす洒落た髪型。ビジュアルだったらこのひとがいちばん好みだけど、きっとこういうひとにとって世は全て事もなし、イージーモードなんだろうな、なんて底意地の悪いことを思っていた。

番組を観すすめるなかで特に印象に残ったことをざっと箇条書きすると、
・川尻蓮さん、王の器(※「十二国記」シリーズを読んだことない人はぜひ)
・古屋亮人くんの主人公ぢから
・鶴坊汐恩くんと北川玲叶くんの関係性、すごい
・金城碧海くんの19歳に見えない落ち着きと配慮
・福地正くんの26歳に見えない愛嬌とかわいさ
・最初のクラス分けテスト時のグループでずっと順位発表に登場し続けるんだという驚き
・センターをいろんなひとがチャレンジするという方向性よりは「このひとがセンターでしょう」という空気が練習生の中でも醸成されているような雰囲気。男女の違いなのか1回目と3回目の仕組みの違いなのか顔ぶれの違いによるものなのか、GIRLSと結構違って面白いなあと思っていました

そしてもうひとつ、DOMINOでのメンバー内投票。GIRLSでもあった選ばれたひとたち・選ばれなかったひとたち双方にとって残酷な選抜だった。今でもあの一連に安易に言及することに少し躊躇してしまうのだけれど、でも、あんなに格好つけていて、その格好つけが様になっているような彼は、本当に踊りたくて必死に練習していた曲のメンバーに選ばれなくて、肌がまっかになるくらい泣くひとなんだ、と思った。短い金髪から覗く耳の、はっとさせられる赤さ、その切実さが、ずっと心に残っていた。

ここまで書いて、パフォーマンスの話が出てきていないのだが、それには特に深くもない理由がある。
ハロー!プロジェクトのアイドルを推していたと書いたが、それ以外にも宝塚歌劇団の劇団員だったり、国内外の男性俳優だったり、これまでに好きになった存在はたくさんいた。けれど、冒頭に書いた通り、若い男性アーティストのパフォーマンスを積極的に意識的に見たことはあまりなかった。そのため単純に、男性の歌って踊るパフォーマンスについて、どの観点で見るべきか、そもそもどういうポイントが一番すきか、よくわかっていなかったのである。
いいねえいいねえとなるポイントはたくさんあるが、ウワーッすき!!!と頭を抱えてしまうようなポイントはまだ自分でもわかっておらず、そのため漫然と全体を見てしまう、という感じだったように思う。

けれど、クンチキタのパフォーマンス頭、しゃがみこんだまま浮かべられた薄い笑みと一瞥、そしてその笑みが消えるのを見た瞬間、一瞬呼吸を忘れた。うまく言えないけれど、ひどく上等ないきものの気まぐれさに似た、慈悲と無関心のスイッチ、みたいなものを感じた。親しみよりも手の届かなさ、手に負えなさを感じたとたんにたまらなく好きになってしまう傾向があるのだけれど、あれはそういうたぐいのやつだった。

HELLO AGAINメンバーの相次ぐ辞退に呆然としたまま迎えた最終順位発表は、10位の時点でもう泣いていた。相変わらずちょろかったが、GIRLSのときとは違って最初から彼らの道程を追っていたことにより、加速度的に愛着が湧いていた。もう誰がデビューメンバーになってもいいと思っていた。
PRODUCE 101 JAPANを観ようと決めたときからデビューメンバーについては調べないようにしていたので、誰がデビューするのかは結局ほとんど知らないままだった。唯一、うっかりXのトレンドで見かけた河野純喜くんだけは別だったけれど。

自分の意思を伝える勇気と自信のないチームメンバーを気にかけて取りこぼしたくないと行動する優しさが印象的だった金城碧海くん、オーディション時はいつも思慮深く周りを見ている印象の強かった河野純喜くん、控えめな少年なのかと思っていたらクンチキタで前向きながら勝ち気なことを言っていて俄然興味が湧いた木全翔也くんが呼ばれて、第7位。

少し諦めたように視線を伏せるところを映された彼の名前が呼ばれた。最初は呆然としたような表情から、次第に安堵したような笑みが広がり、そして涙とともに少し伸びたふわふわの金髪の下の耳がまた赤くなっていくのを見つめながら、よかったねえよかったなあ、と思った。たどたどしく紡がれるまっすぐな言葉を聴きながら、このひとは決してスマート一辺倒じゃなくて、実は結構素直でむきだしなひとなのかもしれない、と思っていた。

いつもセンターを張っている洗練された物静かなひとだと思っていた(後で見返しておしゃべりお兄さんもこのひとかとようやく繋がった時に驚いた)白岩瑠姫くん、第一回順位発表式のときの登場ボケの後の照れ笑いくらいからあれこの子かわいいのかもと認識していた鶴房汐恩くん、DOMINO→クンチキタのときは一人泣かずふたりを宥めていた優しさ強さが印象的だったからこそやんちゃに向かう道でひとり泣いていた姿に絶対デビューしてほしいと思った大平祥生くん、泣いている姿も戸惑っているところもあったけれど思い返すといつも強い眼差しをしていたように感じる川西拓実くん、いつだって三歩も四歩も五歩も先を見ている冷静さと一回一回の勝負にこだわるがむしゃらさどちらも卓越していた川尻蓮くん、いっそ出来過ぎなくらいのドラマを自分のものにした、それだけの努力と過程を見せてきて自分の力で掴んだ豆原一成くん、最後の一人で呼ばれる前に静かに首を振っていた與那城奨くん。

その先

めでたしめでたし、と思った。最終まで残った20人もそれまでにいた練習生もひとりひとりに愛着が湧いていて、その中から選ばれた11人の中に気になっていたひともいて、まるでひとつの壮大な物語を見終えたような気分だった。正直に言うと、満足していた。
心地よい疲れとともに、検索エンジンにJO1と入れた。ミステリ小説のそでに書いてある簡易的な登場人物紹介とか、漫画のファンブックとか、そういう設定や資料みたいなものがだいすきなので、その延長で公式ホームページでも見ようかなと思ったのだ。
検索結果の中に、ひとつの記事があった。

JO1が出演しているラジオでの、メンバーが一番大事だからタイムカプセルに入れて埋めるとしたらメンバー、という発言をメイントピックスとしたものだ。

びっくりした。

あのとき国民プロデューサーの投票でたまたま選ばれた11人が、メンバー間でそこまで愛し愛されていることにも。(もしかしたら案外そうではないのかもと薄々思いつつ)クール&ミステリアスと称されていたひとが、あれだけこなれておしゃれで泥臭さなんて縁がなさそうなひとが、それだけ素直におちゃめにまっすぐ愛情を示していることにも。その発露がちょっと「重い」とされそうな表現をとっていることにも。
ラジオそのものではないし、わたしがその記事を見ていたときには既にそのラジオは聴けない時期だった(今はANNJAMというアプリで聴ける。ありがたい時代だ。そして音声で聴くと文章以上にとてもよかった)が、その記事ひとつでわたしはまっしぐらに胸を掴まれた。

当たり前のことだけれど、このひとたちはおとぎ話の住人ではない。結成された2019年12月11日から、現実の時間を歩んできた人間だった。その時間でさまざまな経験をし、感じ、考え、話し合って、個々人のありかたもそれぞれの関係性も変化させてきたひとたちだった。

このひとたちの、四年間を経た今を見たいと思った。
そうして、今に至っている。

JO1のことを好きになって、テレビを見るようになった。いろいろな土地の美味しいたべものや特徴的な慣習、素敵な場所、生活の知恵まで、最近の日常の範囲では手が届いていなかった知識に触れることが増えた。
音楽番組を見るようになり、ラジオを聴くようになり、station headで音楽を流すようになり、野外フェスに初めて行った。今まで聴いたことのない音楽に触れることが増えた。そのうちのいくつかは、好んで聴くようになった。

一年前の自分と比べて、明らかに世界が広がった。そんな今の自分のことを、けっこう好きだと思えている。
そのきっかけがJO1であり、佐藤景瑚くんであることを、わたしは一生、タイムカプセルに入れて埋めたいくらい、大事にしていきたいと思っている。