ひろゆきの「プロレス」発言とTAKAみちのくの憤りについて思うこと 〜プロレスの「誤用」と「一般化」
二つの前提
まず、大前提として他人のケンカ、言い争いに介入するのは不毛以外の何ものでない。
詳しい事情を知らない場合がほとんどだし、当事者同士ですら発言のニュアンスを間違って捉えているケースが多々ある。擁護した方に梯子を外されるケースもある。
それでも今回、こうしたテキストを書こうと思ったのは、ひろゆき側、TAKA側の主張に明らかな乖離が見られたからだ。ただの言い争いであれば友人でも知人でもなく、関係者ですらない私が何かを口にするのはどこかのコメント欄でのたまうのとそう大差ない。それは語る内容以前の問題だ。
その上で「そういえばこういった内容の文章をほとんど読んだことがないな」という、プロレス村の住人としては批判や中傷でげんなりし過ぎて反論すらしなくなった事柄を言語化してみようと思い立った。
それが二つめの前提である。
二人の論争に某かの決着を試みるのが目的ではないということだ。
誤用される「プロレス」
今回の件は、立ち位置も目線も違うのに同じ単語を用いていることの「誤読」から始まる。
ひろゆき氏はディベートの立ち位置として自分とは反対の意見を敢えて主張する人がいて、そういう対立構造を選択する行為を「プロレス」と表現し、それが理解できない人が多いというニュアンスのコメントを発表した。
そのコメントに対してTAKAみちのく選手が揶揄する言葉としてプロレスを用いるな、お前は(試合としての)プロレスをしたことがあるのか、と詰め寄り、ひろゆき氏が再反論、という流れだ(4/22時点)。
一見するとTAKA選手の方がヒステリックな主張で(文章は理知的であるが)、お互いのプロレス観の対立のようにも見える論争だが、そもそも「プロレス」の単語の使い方がまったく違う。
ひろゆき氏の「プロレス」の単語の使い方は、You Tubeの非公式の切り抜き動画などで時折見られる使い方とほぼ同じである。
つまり、プロレスとは直接関係のない内容で用いられる場合がほとんどなのである。
プロレスの一部を「プロレス」と表現するひろゆき氏と、一部のみをプロレスと表現することで「レスラー同士の戦い」という本質が蔑ろにされていると憤るTAKA選手の言い争いなのである。
もはや様式美と化しているひろゆき氏の再反論の「論点ずらし」は、今回に限っていえば皮肉にすらなっていないのである。
ひろゆき氏は単語として「プロレス」を用い、TAKA選手は「プロレス」をそういう比喩の用法として用いるな、と言っているのである。
正直、20年来のプロレスファンであっても今回のひろゆき氏の「プロレス」発言にそれほど悪意があるようには感じられない。感じられないが、今回は悪意がないからよけいに厄介なのである。
だからその「誤用」に辟易する感情は理解できる。現役のプロレスラーであれば尚更だ。
気にするしないは個人の問題だとしても、憤りを表明するプロレスラーの発言を一方的に批判することは、あまりにその人の立場やニュアンスを読みとれなさすぎる。
TAKA選手から見た時、ひろゆき氏の「プロレス」には本来そこにあるべきレスラーが不在なのである。
そもそもプロレスそのものを語る以外で「プロレス」という単語を用いる者は、そこに「プロフェッショナル・レスリング」とは乖離した意味合いを内包させていることに無自覚であり、無頓着だ。
当たり前だが、対立構造もヒールとしての発言も、試合を盛り上げるための一要素でしかない。
プロレスはあくまで「試合」を見せるスポーツなのである。
試合内容ではなく記者会見の場外乱闘がプロレスだと喧伝されて憤らないレスラーはいない。
そういうSNS的な「パズり方」が一時的にプロレスの布教に一役買うことはあっても、試合内容の伴わない興行が廃れていくのは新日本プロレスの「暗黒期」が皮肉にも証明してしまっている。
誤用が一般化になる弊害
そのジャンルが「一般化」されればされるほど「誤用」もまた広まっていく。その意味ではプロレスは一昔前のコア層が中心のマイナーなジャンルではなくなったのかと、暗黒期と呼ばれるプロレスも見続けてきたファンとしては感慨深くはある。
あるジャンルにおいて知名度が上がることは喜ばしいことだ。下世話な話をすれば収入は知名度と比例するところがあるし、裾野が広がるということはそのジャンルの選手になりたいという希望者も増える。
だが「誤用」されたまま「一般化」することは、そのジャンルにとって本当に喜ばしいことなのであろうか。
ひろゆき氏が「プロレス」と口走ることで「そういうもの」がプロレスだと本当に信じている人たちが多数存在するのも事実だ。どこかのコメント欄で長文で「お気持ち」を表明していた自称有識者の方々もひろゆき氏と同じ論法でTAKA選手を批判していた。
批判されるだけならまだしも、その「誤用」が適切な使い方として一般化されることを危惧するTAKA選手の主張は黙殺される。
そのニュアンスを読み取れるコメントは、少なくとも私の見たコメント欄には一つもなかった。
だが、批判や批評コメントを書くことと、そのジャンルで実際に戦っている選手を批判することはまったく別ものだ。自分の意見や主張の正しさを喧伝するためにそのジャンルの選手を貶める言動は、自分の言葉に嘲笑や悪意が込められていたと自ら告白するようなものだ。
今回の件は正直、そのボーダーライン上の争いだと個人的には感じている。
プロレスラーも聖人君主ではない。良い人もいれば悪い人もいる。人格的に称賛されるレスラーもいれば、事件を起こしてしまう者もいる。それこそ「功罪」があるレスラーもたくさんいる。
だが、こと「プロレス」というスポーツに関してだけは、彼ら以上に真摯に真剣に取り組んでいる者は存在しない。
そういう選手へのリスペクトを忘れて、レスラーが不在のまま「プロレス」の単語のみが一般化することは、プロレスファンとしては望むべくもないのである。