私の歩み⑧(割烹居酒屋編その1)
前回はアットホームな職場編を書きました。
職場をクビになり、若気の至りでスポーツカーをローンで買ってしまい、翌月からローンの返済が始まる…さてどうしようってところで、
地元の求人フリーペーパーに「新規オープン!開店スタッフ募集!」というのを見つけました。
新規オープンなら、めんどうな古株さんとか、変にアットホームだったりしないだろうということで面接に行きました。
オーナー親方は地元でそこそこ有名だった居酒屋で当時法人運営で3~4店舗あったでしょうか。そこで専務をしながら板場に立ち店と会社を切り盛りしていたのですが、今回割烹居酒屋として独立することに決めたそうです。
私の他にも何人か面接に来たようですが、結果的に私のみ採用されました。
就職後に何年かしてから聞いたのですが、私を採用した理由は
「若いのに一番暗くて心配になったから。」だそうです。まぁ、当時の私は心が結構荒んでいたとは思います。
労働環境は15時に出勤~深夜2時に閉店。休日は毎週月曜日のみ。盆は親方が福井県の実家に家族を連れて帰るので3日ほど休み。年末年始は大晦日と元旦のみ休みですが、大晦日は店の大掃除なので実質は仕事です。12時間拘束12時間労働、年間休日56日くらいでしょうか。給与は総支給で23万円くらいで社保無し。手取りで20万円くらいだったと思います。
オーナー親方は前述の居酒屋時代のお客さんをごっそり引き抜いてきたので、オープンから売上はそこそこ順調でした。
ただ、飲食店も5店舗目。正直なところあまりやる気が湧かず、日々それなりに仕事をこなすのですが、寝坊して定時に出勤しなかったり、仕込みをちゃんとやってなかったりしてよく怒られました。(これは完全に私が悪かったです)
仕事自体はつまらなくはなく、カウンター割烹居酒屋だったので、お客さんと話をすることが多々あり面白かったですし、たまにチップをもらったり、よくビールをごちそうになったりしました。
親方は「自分が飲みたければ何杯ごちそうになっても良い。飲みたくないなら断れ。売上を気にして飲むな。ごちそうになったお酒を捨てることだけはするな。」という人でした。
当時羽振りのよいお客さんに従業員一同ごちそうになって、生ビールをお客さんが10杯、お客さんのお連れさんが10杯、親方が10杯、バイトのにいさんが10杯、バイトのねえさんが3杯、私が7杯で全員で計50杯飲んだことがあります。バイトのにいさんは酔いつぶれて厨房の床で寝てました(笑)
今思えばめちゃくちゃですね。
そして1年くらい経った頃でしょうか。詳しい経緯は省略しますが、父が私の名前でサラ金から借金をしていることが発覚。合計250万円ほどありました。
当時知識もなく、相談相手も居なく、自分が借りたわけでもないのに返済しなければいけないと思い込み、車のローン返済と合わせて毎月の返済が10万円以上となり、にっちもさっちもいかなくなりました。
仕事も身が入らず虚ろな感じでますます生活が荒んでいきました。本当に親方には迷惑をかけたと思います。
(この時、親方は私をクビにしようと最終決断をする手前だったようです)
そんな生活を1年くらい続けましたがどうにもならなくなり、最終的に祖母、叔父A、叔父Bの3人が100万円ずつ無利息無期限で貸してくれて、全て立て替えることができました。
この時の祖母の言葉が「金は墓までもってけないんだから返さんでええ。くれたる。」でした。
(最終的に全員に100万円ずつ返済し終わったのが34歳くらいの時だったと思います。祖母にも存命中に返済完了しました)
とりあえず生活の目処はつきましたが、そこで心機一転仕事をがんばろう!とはなかなかならず、生きることに結構疲れていました。
住む家はボロボロ、彼女も居ないし、ずっと飲食業で休日も少ない上に合わなかったので友人もできず、職場と家の往復のみ。人生はつまらない。
自分の将来と今の現実と、出口(希望)のない迷路を艶々と一人で彷徨うみたいな感覚ですかね。
この時は死にたいとは思ってなかったですけど、いつ死んでもいいとは思っていました。
そんな中、ある偶然が起きます。その話は次回割烹居酒屋編その2へ続きます。