死生観

夏の初めに最後の肉親である母が身罷った。60歳代で脳梗塞を患い、早くから介護施設のお世話になっていた。家族は息子の自分一人のみ。父は8年前に鬼籍に入っている。兄妹はいたが、いずれも結婚して家を出ていた。
私は当初都内にマンションを購入していたが、ローンを抱えたまま自宅の支援をするのは困難だった。
今思えばマンションに家族を呼び寄せれば良かったのだが、その考えには至らずマンションを売却。実家へ戻り、家族の支援を経済的に行う事を選択した。
母の最後は肺炎。早くから総入れ歯状態で、顎の力が退化しており、噛むのも中々困難で、食事量が年々減り、体重も緩やかに減っていった。
晩年、母は尿道に結石が出来、高熱に結石の痛みで苦しそうだったが、介護施設側からは看取りの案内をされるばかりだった。
専属の病院には泌尿器科が無く正確な診断は難しいとのことで、施設側に頼み、主治医を通じて総合病院を受診する事にした。
ただ、総合病院でも弱った体では、検査にも耐えられないであろうとの判断で、石が溶け落ちるのをまち、水分の補充と、解熱剤とでその場を凌ぐ事となった。
結石は何とか回復も、肺炎を併発。甲状腺にも疾患が重なり、いよいよ最後となる覚悟をせざるを得なくなった。
看取りは穏やかな状況で眠る様に行くのだと勝手に想像していたが、そうでは無かった。
肺炎は既に抗生物質が効果がなくなり、息をするのにも苦しそうだったが、手を施す手段が無かった。頑張れと初めは声をかけていたが、こんな苦しんでいるのに頑張れってとても言えない。
正直、こういう見取りは看取る方も精神的に厳しい。
3日間程そういう状態が続き、病状が悪化する度に連絡が入り、施設へ直行。
連絡の電話が恐ろしかった。

七月上旬に苦しみながら母は亡くなった。何とか助ける術は無かったのかと後悔する日も多い。

母が闘病中、私も病気で入院中だった。母が亡くなったのは退院後3週間後の事だった。
その入院中、死生観が変わった。全身麻酔の手術を受けた時、麻酔中の記憶は全くなかった。
死後の世界というのはああいうものなのだろうか。自身の意識というものは無になるのか。
朧げに死後は霊となって、極楽浄土みたいな所に行くんだろうと考えていた。自己の意識はしっかり有る状態で。
しかし、この全身麻酔状態の経験は、死後の自身の意識は無になる、と思わざるを得なくなってしまう。意識が無になる。母の死に立ち会い、死について正直恐ろしくなった。

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