教育現場で浮きまくっていた叔母
私の叔母は、若い頃の短い間でしたが、公立中学校で英語教師をしていました。
個性的で、いわゆる「変わり者」だから浮いていたのでしょうが、考え方が今でも追いつかないほど最先端すぎたのだと思います。
だって、中学生相手に、いきなり英語で授業。でもそれぐらいやらないと、本当の英語力って身に付かないですよね。
そして叔母は、茶髪にした子に黒彩をふる、これは抵抗があったと言います。今の私たちより人権感覚が優れていたのだと思います。
今から一世代以上前の社会、叔母みたいな人が教育現場で長続きするはずはありません。
だいたい、日本にも収まらないような人だったので、その後、海外で暮らしていた時期もありました。
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