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ゼロイチのパッション
ココオル代表(丸田勝也)の中学校の同級生「ゆきわ」です。
私が住んでいる地域に大きく「横綱」と掲げているラーメン店があります。
仕事がしんどい時、疲れた時、この店に食べに行く。
はじめは屋台だったという「ラーメン横綱」、今はたくさんの店舗があります。
「横綱ラーメンは夢の味」
そんなキャッチフレーズが、私の中でできていたのです。
丸田くんは、ココオルをゼロイチでつくって大変だった。
私はどうか。
丸田くんには到底及びませんが、私なりの経験をお話しさせていただきます。
教壇に立たない先生?
私は学校の「保健室の先生」で、正式な職業名は「養護教諭」です。
「どうして養護教諭になろうと思ったのですか?」
20代の頃、一緒に働いていたベテランの先輩にそう尋ねられました。
大きな学校だったので、養護教諭が2人いたのです。
先輩はご自身の話を続けます。
「女性が自立するためには、教師になるのがいい、でも私は、教壇に立ちたくなかったのよ」
と。確かに、養護教諭は保健室にいて、ケガした子の手当てをしたり、体調の悪い子が休めるようにしたり、健康課題がある子に個別指導をしたり、悩みがある子の話を聴いたり。
ただ、学校に勤めていて「先生」と呼ばれるからには、子どもたちの前で話す(教壇に立つ)ということも十分に想定しうるのではと私は思うのですが、なにぶん、先輩とはずいぶん歳が離れているので、先輩の感覚では、養護教諭というのは「教壇に立たない先生」ということなのでしょう。
もちろん、年齢に関わらず、学校と保健室の状況や養護教諭個人の考えによるところも大きいと思います。
さしあたり、その時は、集団指導として子どもたちの前で話すという仕事はありませんでした。
私が描いた養護教諭像
でも、職場が変わり、養護教諭として「ひとり立ち」してからは、生徒の前に立って集団指導をするようになりました。
当時はプレハブ校舎の保健室。はじめは、体重測定の時に、教材室から借りてきた小さなホワイトボードと頑張ってつくった教材で。
保健室から出て指導したこともありました。時代は「保健室にいなさい」ではなく「保健室から出なさい」だと思っていました。私が集団指導中、傷病者の対応があれば、他の職員に協力をお願いするということで理解していただきました。
私は養護教諭なので保健室にいる時間は長いですが、私が描いた養護教諭像は「保健室を拠点に様々な活動をする先生」で、生徒への集団指導もその1つなのです。
保健室での関わりとは違う、有意義で楽しい時間。
学年の先生からお礼を言ってもらって嬉しかったことが何度もありました。
その延長線上が今。後輩もそのように育てていますし、時に、たくさんの教員と協力しながら大きな仕事をして子どもたちの健康意識を高めることができるなど、ちょっとしたチェンジメーカーを気取っている私ですが、これまでに色んなことがありました。
デジタルの壁
その1つが、デジタル音痴な私の前に立ちはだかった「デジタルの壁」です。
私がある学年に集団指導しに行くことになり、複数いる養護教諭と後で共有するために、指導の様子をビデオ撮影することになりました。
ビデオカメラなんて使ったことがない…これまでは、係の先生に任せていたのです。そのようにお任せしやすい状況だったのですが、今回は自分でやらなきゃ。他にやることが多すぎて時間が足りない…ピンチ!
とりあえず、視聴覚機器の保管庫の鍵を開けて、ビデオカメラと三脚を借りてみました。でも両者のメーカーが違っていて取り付けられません。
三脚は1つしか見当たらなかったので、三脚と同じメーカーのビデオカメラと交換しました。できた! 操作もわかった! それが指導前日のこと。やっと安心できました。
次に、パソコンです。いつも使う校務用のパソコンではなく、持ち運び可能な無線LANの教育用パソコンを借りて行う必要がありました。
無線LANのパソコンなのにケーブルも借りていたとか、そういうことはありましたが、USBメモリーからパワーポイントのデータを入れて、準備はできていました。
(ちなみに、養護教諭の私は教育用パソコンのIDを付与された覚えがなく、特定の文字列と適当な数字でログインできる生徒用のIDでログインしていました。)
前日に学年の担当者と、当日使うAという部屋で、パソコンをテレビにつないでリハーサルもしました。
ハプニング
ところが、担当者はAと思い込んでいたのですが、実際はBという部屋で行うのが正しかったのです。それを前日の退勤間際に告げられ、指導案ではAになっているので、学年外で指導案を渡した管理職と首席の先生にA→Bに変更になった旨のメモを残して退勤しました。
対応すべきことは、それだけではなかったのです。お察しのいい方はわかるかもしれませんが…
Bでは無線LANのパソコンが使えなかったのです。
当日、まさにこれから指導を始めるため、せかせかと準備を進めているときに、学年の先生が気付いたのです。
急遽、学年の先生が使えるパソコンを手配。そして私はパワーポイントのデータが入ったUSBメモリーを取りに、4階西端のBから1階東端の保健室までダッシュして戻って来て、息絶えだえ…(苦笑)
万一のUSBトラブルを心配して、特定のIDでログインしてデータを入れていたのは良かったと思いますが(その分、準備物も減りますし)、肝心のパソコンが使えなかったのですから、パソコントラブルに備えてUSBメモリーも持っていれば、走る必要はなかったですね。
知らなかった…
さて、指導を終え、放課後に職員室で、撮影したデータをビデオカメラから校務用パソコンに移そうとしたのですが、情報担当の先生から「そんなことするもんじゃない」と止められました。
校務用パソコンの保健室のフォルダにデータを入れておけば、仲間が後から見ることができると思ったのですが、校務用パソコンは容量が少なくて、動画はNGとのこと。知らなかった…。
やむをえず、LAN教室の教育用パソコンで、USBメモリーにデータを移してビデオカメラのデータを消し、ビデオカメラを返却しました。
USBメモリーに保存するのは一時的な手段であり、生徒が映っているので本来は望ましくありません。でも、ビデオカメラは早く返すべきだと思うし、動画も扱える教育用パソコンのIDを私は持っていないので、そちらに保存することもできません。
そこで、情報担当の先生に、私のIDを作ってもらうことはできないかと頼みに行きました。
すると「作ってありますよ。また渡しますね」とのこと(!)
私のID、あるの⁉
前年度のことです。校務用パソコンではCDを扱えないため、教育用パソコンを使う必要があったとき、IDを付与された覚えがない私に対し、情報担当の先生は、とりあえず生徒でも誰でも入れるログインの仕方を教えてくれていたのでした。
情報担当の先生は、全職員にIDを付与したつもりでいらっしゃったのですが、どうやら養護教諭には届いていなかったようなのです。私の経験上、養護教諭だけ情報が伝え漏れるというのは、よくあることなのです。ある程度は仕方のないことだと思っています。あまり悲観せず、相応の努力をすることで乗り切ってきました。
後日、情報担当の先生が私のレターケースに、私のIDとパスワードが印字されたプリントを入れてくれていました。これで、USBメモリーからパソコンにデータを移して、USBメモリーのデータを消すことができます。
ちなみに、保健室の仲間は、USBメモリーの段階で、パソコンを借りて私の指導の様子を見終わっていました。私自身はまだ見ていません。
LAN教室に行き、もらったIDとパスワードで教育用パソコンにログインしました。
「ようこそ」と表示され、私の名前も! やった!
それが、本当の意味で、私が「デジタルの壁」を突破した瞬間だったのでした。
私の思い
余談ですが、指導の翌日のことです。私のレターケースに情報担当の先生から、大きな文字で「パソコンのACアダプターが返っていません!」とお怒りのメモが。ACアダプターって何だ?そんなこともわかっていない私。
謎はすぐに解けました。もともと借りていたパソコンが指導の部屋では使えないとわかったとき、使えるパソコンを学年の先生が手配してくれると同時に、借りていたパソコンについては「こちらで返しておきますね」とおっしゃったのです。
私は、そのパソコンに指導用のパワポデータが入ったままであることがわかっていながら、個人情報ではありませんし、バタバタしていたので、その場の流れに従ったのです。だから正確には、学年の先生がACアダプターを返し忘れていたのです。
案の定、指導した部屋のコンセントに、ACアダプターがつながったまま残っていました。
トホホ…でも、こうして学んでいくのですね…。とにかく、見つかって良かったです。
後日、情報機器を置いている部屋に行き、もともと借りていたパソコンを棚から出して立ち上げ、パワポのデータを消しました。
私、がんばりましたよ。情報担当の先生に教えてもらいながら、怒られながら、呆れられながら。あなた方と同じく教員だから。生徒に健康の話をするのも、私の仕事だから。
思い返せば、どれだけ恥をかいて、どれだけ惨めな思いをして、乗り越えてきたか、それが、成長の証なのかもしれません。