親は許すとか許さないとかじゃない
思春期、親子関係で悩みネット検索をしまくった。
いろーんなサイトを見て、時に自分で質問したりなんかして、救われた部分はたくさんある。
顔も知らない私の文章を読んで、返信をくれた人の言葉は今でも宝物で、落ち込んだ時にたまに覗きに行ったりもする。
大人になった今だって問題は解決してないけど、なんというか昔みたいに劇的に悩むことはなくなった気がする。それは悩みが薄くなったとかじゃなくて、ただ単に物理的にも心理的にも距離が離れたからなんじゃないかと思う。
そんな中でも、私と同じように親子関係で悩んでる人なら一回は見たんじゃないかなっていうくらいお腹いっぱいなのが、いわゆる親を許そうってやつ。
最初から「感謝の気持ちを大切に!人は分かり合える!」みたいなカラー全開なやつだと、こっちも「あ〜合わないな〜」で避けようがあるんだけど、問題は最初は「許せないのは当然です!私もそうでした!」みたいに共感を誘う系。
そういう記事をよむときなんか大抵メンタルきてるときなのに、最後のほうで「でもいずれ、時間が経ったら許せる時が、色々飲み込める時がくるはずです。私はそうでした!」みたいなの引いちゃったときには、「じゃあ今の許せない状態はなんかうっすら悪い状態ってわけ!?どうしろっちゅうねん!」って、他に自分にとって都合いい記事探すためにネットサーフィンやめられなくなるわ。こっちはいっぱいいっぱいなのにな。
ある一定のラインを超えたら、人は許すとか許さないとかじゃなくなる。なんというか「好感度が足りないからイベントが起こらない」って感じだ。
恋愛ゲームだったりをイメージして貰えば分かりやすいと思うけど、攻略対象のある一定のラインの好感度を満たしてなければそもそもイベントが起こらない。感情を揺れ動かすようなことって、相手だけじゃなくて自分にも感情が揺れ動くような好感度が内蔵されてないと起こり得ないんだよね
これって親子関係も含めただいたいの人間関係に言えると思う。人生をゲームに例えるのはどうなんだって話だけど感覚の話だから。人へのそもそもの好感度が足らないと許す許さないの土俵にも上がらないんだと思う。