大海の中の井蛙を知らず
馴染みのショップで物色。
行きつけのカフェで休憩。
大将に「いつもの」と一言。
どれも小粋でカッコイイ。動きは洗練され、周囲の空気に馴染むことも、自分の空気に引き込むことも自由自在。
町全体が自分の庭になっていく。楽しくて仕方ない。
偶には気分を換えて、隣町へ行ってみましょうか。相棒を転がしながらも良し。バスや電車でのんびりも、また良し。
初めての場所、ただただ歩く。全てが新鮮、心は嫌が応にも踊ります。
商店街も、住宅街も。田畑も、工場地帯も。歓楽街も、シャッター街も。
驚きと発見の連続です。
地元のスーパーもドラッグストアも、家電量販店もガソリンスタンドもコンビニまでも。同じもののはずなのに、毎日みているものなのに。まるで見え方が変わってくる。
家と職場の往復。家とスーパーの往復。
仕事という名の反復作業。家事という名のルーチン。
どれも日常で当たり前。動きは洗練され、周囲の空気を読むことも、自分の空気を消すことも自由自在。
町全体が自分と同化していく。どうかしている。
偶には気分を換えて、隣町へ行ってみましょうか。相棒を転がしながらも良し。バスや電車でのんびりも、また良し。
初めての場所、ただただ眺める。自分の地図が通用しないという興奮。
農業、工業、商業。製造、流通、販売。大手、中小、個人事業主。
驚きと発見の連続です。
八百屋も本屋も。事務所も工場も。役所も銀行までも。同じことをしているはずなのに。やり飽きているはずなのに。どこからか活力が湧いてくる。
大海には、未だ見ぬ井戸がたくさんあることに気づきます。今の井戸より大きい井戸?きれいな井戸?頑丈な井戸?あるいは、今より居心地の悪い井戸もあることでしょう。
蛙は海で生きることは出来ません(例外的に、汽水域に生息している種もあるようですが…)。世界中どこででも生きていける、とはいかないでしょう。ただ、井戸は世界中に沢山あります。自分にとって、より居心地の良い井戸がたくさんあるはずなのです。
ですが、井戸はただあるだけです。蛙の都合など知りませんし、ましてや蛙に自身のアピールをするなんてことはないでしょう。
自分の井戸を探すこと、見つけること、そして移ること。決定権を持つのは蛙です。井戸はただあるだけです。
海の広さを知る必要は、もしかしたらないのかもしれません。より強く望むべきは、より居心地の良い井戸があるかも、と海図を眺めてみることなのかもしれません。
『井の中の蛙大海を知らず』
いつも使っていることわざ辞典に載っていなかった…
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