【第5話】南米のパリで海と川の違いを知る（中島ノート③）

アルゼンチンの最南端に近い街リオガジェゴスからバスで36時間。
首都ブエノスアイレス※1へ向かう。

腰が痛くなるのを覚悟していたが，セミカマ※2のバスはほぼフルフラットになるので思いのほか快適だった。
今のところ南米のバスは乗り心地が総じて良い。軽食も出る。
タイやカンボジアのサスペンションの効かない満席の長距離移動バスに比べれば天国だ。
 
ほとんどカーブのない不毛の大地をひたすら北上。
 
乾燥の大地パタゴニアから広大な温帯草原パンパ※3のエリアに近づいていく。
徐々に湿潤地域へ以降しているのは車窓からもおよそ見当がつく。
草丈が少しずつ長くなっている。
 
乾燥パンパから湿潤パンパへ。
年降水量550ｍｍ※4の両地域の境界付近は世界的な小麦の産地になっているはずだが，車窓からは全く分からない。
 
一瞬目に入った看板に「エスタンシア※5」の文字があった。
この土地も誰かの私有地である可能性が高い。
 
14時にブエノスアイレスのバスターミナル着。歩いてホテルへ。
荷物を置き，川まで散歩しようかと思ったが，地図を見ると意外に遠い。
タクシーを拾う。

ラプラタ川※6がよく見えるところまで，と告げると，運転手がこちらをみて「コンニチワ」という。
よく日焼けした日系のドライバーで，カルロスという名だった。
生まれはブエノスアイレスだが，横浜にも2年ほど住んだことがあるという。日本語も達者だ。
わざわざ川を見たいなんていう人は初めてだよ，と笑う。
 
さっきまで人影のほとんどない荒涼とした道を一日以上走っていたのが嘘のようにブエノスの街は人でごった返している。

裸足で歩いている2人組の子供が目に入る。
「ああ，この先に小さなスラムがあるからね。」とカルロス。
「でも，郊外のスラムはこんなもんじゃないよ。」
 
途上国のプライメイトシティ※7では細胞分裂のようにスラムが拡大している。
カルロス曰く，ブエノスには郊外に大きなスラムが12もあって，それぞれが番号で呼ばれているそうだ。
そもそもスラムには正式な住所などはないのだが，既成事実化してくると「スラム7の近くまで行ってくれ」というような呼ばれ方をするらしい。
 
ラプラタ川のほとりに到着。
カルロスと一緒に川辺に出た。
この川の河口は世界最大級のエスチュアリー※8だ。
反対側にはウルグアイの首都モンテビデオ※9があるはずだが，水平線しか見えない。
「こりゃ川っていうより海だね。デカいな。」と言うと
「どうして？　どうみても川だろ。」とカルロスが言う。
　
意味が分からない。
対岸が見えないからまるで海だ，というのが普通の感覚じゃないのか？
「海なら水が透き通っているはずだ。でもこの水は濁っている。だから川だ。」とカルロスは言う。

これが大陸生まれと島国育ちの差ってことなのか？　
 
市街地まで戻り，小腹が空いたのでエンパナーダ※10を食べてホテルに戻って爆睡。
いつものことだが，目的地につく前に俺は寄り道ばかりしている。
ま，いいか。
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※1　ブエノスアイレス
アルゼンチンの首都。都市圏人口は1515万人（2020年）に達しており，国の総人口4500万人の約3分の1が集中する巨大都市である。同国の政治・経済・文化の中心で「南米のパリ」と呼ばれるほど洗練された町並みが残る一方，スラムの拡大などさまざまな都市問題を抱えている。　
 
※2　セミカマ
バスの等級の1つ。カマ､セミカマ､カマスイートなど様々な等級があり（当然上の等級は値段が高い），セミカマはほぼ真ん中ぐらいの等級。
 
※3　パンパ
南米大陸の南西部，ラプラタ川河口周辺に広がる平坦な温帯草原。アルゼンチンの北部地域と隣国ウルグアイ（面積17万㎢・人口350万人）のほとんどの地域を含む。肥沃な土壌（パンパ土）に恵まれ農牧業がさかんで人口も多い。ブエノスアイレスはパンパで生産される農産物の集散地として発展した。
 
※4　乾燥パンパ/湿潤パンパ・年降水量550ｍｍ
温帯草原パンパは，乾燥地域パタゴニアに近い南西部は降水量が少なく乾燥パンパと呼ばれ，ブラジルに近く低緯度で降水量の多い北東部は湿潤パンパと呼ばれる。その境界はおよそ年降水量550ｍｍであり，乾燥パンパでは牧羊が，湿潤パンパでは牧牛ととうもろこし栽培（生産量世界4位・輸出量世界2位／2021年）が行われている。境界線付近では小麦の栽培がさかんである（輸出量世界7位／2021年）。
 
※5　エスタンシア
ラテンアメリカでは南ヨーロッパに起源を持つ大土地所有制（ラティフンディオ）が残っている地域が多い。大土地所有制では，少数の大地主の所有する農場で多くの小作人を使って農場・牧場の経営が行われている。土地の所有者（オーナー）はたいてい大都市に住む大富豪で，セレブな生活をし，農場の管理は部下に任せているのが普通で，農作業は住み込みで低賃金で働く労働者家族が担っている。農村部と都市部の貧富の格差が生じる要因の一つとなっているため，ラテンアメリカ地域では20世紀に農地改革が試みられたが，十分な成果は上がっていない。大土地所有制に基づく農園のことをアルゼンチン・ウルグアイ・チリの一部地域ではエスタンシア，ブラジルではファゼンダ，メキシコやアンデス諸国ではアシェンダと呼ばれる。一つのエスタンシアの規模は大きいものになると日本の都道府県レベルの広さがあり，私有地ではあるものの普通に公道が走っていたりする。公道沿いでドライブインを経営していることも多い。平安時代に全国に500以上の荘園を所有していた藤原氏と構造は同じ。一般に，大都市所有制が残る国では一部の富裕層と多くの貧困層にくっきりと分かれ，中間層がなかなか育たない傾向がみられる。
 
※6　ラプラタ川
南米大陸南部を流れる全長4500kmの大河川。流域面積は310万㎢（日本の面積の8倍）。ラプラタ川は河口部の名称であり，流路の大半はパラナ川やウルグアイ川である。ラ・プラタとはスペイン語で銀を意味する。ブラジルやボリビアなど多くの国が流域に含まれ，内陸国パラグアイはほぼ全域がラプラタ川の流域である。
 
※7　プライメートシティ　
首位都市。単に人口が1位という意味ではなく，政治・経済・文化などの都市機能が一極集中し，人口規模でも2位以下の都市を大きく引き離している都市のことをいう。タイの首都バンコク，メキシコシティやペルーの首都リマ，韓国の首都ソウルなど多くの例がある。ラテンアメリカ諸国を始め発展途上国にはプライメートシティが多い。
 
※8　エスチュアリー　
三角江。リアス海岸などと同じ沈水海岸の一つ。氷河期に深く谷が刻まれたのち、氷河期が終わり海水面が上昇したことで河口部がラッパ状に沈水して形成される。安定陸塊を流れる河川の河口部に多い（新期造山帯の山地を源流とする河川は土砂の運搬量が多く，河口部に堆積することが多いのでエスチュアリーは形成されにくい）。ラプラタ川のほか北米のセントローレンス川などが有名。テムズ川（ロンドン），エルベ川（ハンブルク）などヨーロッパの河川にも多く，河口部には港町が発達することが多い。
 
※9　モンテビデオ
ウルグアイの首都。人口138万人（2016年）。総人口342万人のうち4割が集中するプライメートシティである。対岸のブエノスアイレスとの間には航路（渡し船？）が通じているがラプラタ川の河口の幅は200km以上あり，川を渡るだけで数時間かかる。　　
 
※10　エンパナーダ　
パンやパイ生地の中に香辛料で味付けされた肉や野菜などが入った軽食。アルゼンチンでは前菜としてコース料理などにも多く登場する。巨大な半円状の揚げギョーザのようなエンパナーダを出す専門店も多く，アルゼンチンでは最もポピュラーな料理の一つ。