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千葉県政に挑戦!浅野ふみ子インタビュー「みんなで声をあげれば必ず変えられる。最初の声は小さくても、大きくなっていきます。」


「JCP市川から応援し隊」が千葉県議会議員選挙に立候補予定の浅野ふみ子さんにインタビュー!
まず私たち「市川から応援し隊」とは、2022年に市川駅での共産党の演説を聞いて、ほぼ知らない同士が、その演説に共鳴し応援したいねと声をかけ合い活動を始めた有志。
そんなふうに集まった真ん中に、浅野ふみ子さんがいたように思う。浅野ふみ子さんは人と人を繋げていく人。実際、市民の「困った」という声を聞けば現場へ向かい、話を聞き、行政に繋げていく。他の場所でも困ったことがないか地域を廻る、話を聞く、繋げていく。県政で働いてほしい。
浅野ふみ子さんに、政治家を目指そうと思ったきっかけは?どんな学生時代?学生時代に学んだ土木工学と政治はどう繋がっているのか?などを伺います。
まずは5分ほどの浅野ふみ子さんの自己紹介をご覧いただき、インタビューはスタート!


人間が作ったものをいとも簡単に破壊してしまう自然の力の強さに衝撃を受けた

——市川から応援し隊スペシャルインタビュー、浅野ふみ子さんにお話を伺います!まず自己紹介をお願いします。

浅野ふみ子 日本共産党の浅野ふみ子です。どうぞよろしくお願い致します。現在52才。18歳で共産党に入党しました。同時に土木工学の勉強をしていて、20歳から木更津市役所で土木技師として5年間勤めました。退職後、民青同盟で専従の活動家の仕事をして、その後、日本共産党で仕事をしています。

——日本共産党に入党した理由はなんでしょう?

浅野 社会の矛盾などを仕方がないで済ますんじゃなく変えられるんだっていうことを、共産党の演説で聞いて。当時、私は学生で、高い学費をバイトと奨学金で払うために大変な思いをしていたんです。でも世界の国々では、学費は安かったり、無償化の方法がなされていたり、奨学金は返さなくてよかったり。そういう制度の国が多いと聞いて、コレは日本でも実現させたいって思ったのが、一番のきっかけです。

——当時、木更津高専(木更津工業高等専門学校)で土木工学の勉強をしていたそうですが、土木工学を目指したきっかけはなんだったのでしょう?

浅野 14歳か15歳の頃に大変な長雨が続いた時期があって。長野で土砂崩れが起こっているというニュースを見たんです。老人ホームが土砂崩れに飲み込まれて、多くの入所者の方が犠牲になってしまった。人間が作ったものをいとも簡単に破壊してしまう自然の力の強さに衝撃を受けたんです。で、思ったことは、自然災害に抗い抵抗することはできなくても、自然と共存していく道の探求は必要なんじゃないかと。今の気候変動も人間の文明活動によって起きていることですよね。自然との共存を本気で探求しなければいけない。その道は土木技師だと。

——15歳で土木技師になろうと目標が定まった。

浅野 はい。いろいろ調べて、自分がやりたいことは土木技師の仕事なんじゃないかと。でもホントは建築家になりたかったんですよ。新聞に折り込まれている住宅の広告の、家の間取りを見るのが好きで(笑)。いろんな部屋の間取りを見て、自分ならどんな間取りが暮らしやすいかな~って妄想を膨らませている子供でした(笑)。

——それが、部屋から飛び出してどんどん広がっていったんですね(笑)。

浅野 そうです。そしたら人と自然との共存に行き着きました。

——根底にあるものって「暮らし」ってことなんでしょうか?

浅野 うん、そうですね。人の暮らし、人の営み、命を守ること、安心して暮らせること。そこに自然がどういうふうに関わっていくか。

——自然を守ろうというだけではなく、人と自然、ですね。

浅野 そうです。人と自然の共存です。不便さに逆戻りするんじゃなくてね。自給自足とか、そういう暮らし方も素晴らしいと思うんですけど、やりたくてもできない人もいるわけですよね。私がやりたい仕事は、車椅子ユーザーや視覚障害の人、様々な人が共に暮らせる街づくりで。そのためには発達した技術は使っていこうと。例えばスマホ。目が不自由な人は音声で使いこなしているし、耳が不自由な人はスマホのカメラを使った手話で意思疎通をはかっている。便利なものはどんどん使おうと。

——やっぱり若い人に苦労させたくないっていう気持ちはありますよね。

浅野 ありますね。若い時の苦労は買ってでもしろって言うけど、しなくていいんですよ。戦争体験者の方が、大変なご苦労、大変な思いをされた話をするのは、二度と戦争が起きないように、若い人達にそんな経験させたくないからお話しているんだと思うんです。あと最近ネットで、若い人は風呂なしのアパートを好むって記事がありましたけど、そんなわけないですよ。

——ホントですよ。銭湯は好きでも、家賃が安いから風呂なしでしょうがないってだけで、風呂なしのアパートがいいなんて思ってないですよね!

浅野 そうですよね!学費を払うのにどれだけ大変かっていう。経済的な悩みがなく学びに集中できるように、教育に手厚い国にしなきゃいけないんですよ。

土木工学はcivil engineering。地域に住む人々と共に、住民参加で、誰もが暮らしやすい街づくりを進めていくこと。



——浅野さんは土木工学を学ぶため、中学を卒業してから木更津高専へ進学。木更津高専は国立の工業専門の学校で、難関ですよね。男子生徒が圧倒的に多いと思いますが。

浅野 多いですね。入学した時、1年の土木工学科が一クラス40人のうち女性は3人でした。女性の教師も少なかったです。女子寮はなくて男子寮しかなかったし。女子寮を作ってほしいって掛け合ったんですけど、女子学生が少ないからすぐにはできないって言われて。今は女子も増えて女子寮もできましたけど。

——じゃ、浅野さんは中学を出てすぐに自活?

浅野 はい、自活です。生活費も自分で。家賃1万5千円でトイレは汲み取りで風呂なし。学費は毎月バイト代と奨学金から貯めて、貯まったら納入する。

——学校から補助などは?

浅野 当時はなかったですね。

——えぇー。

浅野 だから経済的な男女格差があったんですよ。

——うー、酷い。でも勉強自体はやりたいことを学べて楽しかったですか?

浅野 楽しかったですね。15歳の頃、土砂崩れのニュースを見て土木を学びたいって思って、それを学べるんですから、楽しいですよ。なんで土砂崩れが起きるのかっていうと、土中に雨がたくさん染み込んで、水分量と土中の性質で崩壊が起こってきて、そして土砂崩れが起きる。そういう授業もありましたし。

——15歳の頃の思いが繋がっていったんですね。土木工学の大きなテーマって、災害が起きないためにはどうするか?っていうことなんでしょうか?

浅野 そうですね。いかに安全なものを作るか。例えば川に橋をかける。安全な橋にするために、測量とか、橋の強度とか、様々なことを調べ考え図面を書く。あと川の流れ。川って元々は蛇行しながら上流から下流に流れて、一つの川でも上流から下流とそれぞれ環境が違ったりする。それぞれに合った農産物を育てている。でもだんだんと人の手が加えられ、川を人工的に真っ直ぐにしたり流れ方を変えたり。それが岸の環境にどう影響していくかを考え調べ探求していく。

——人が暮らしていくからには、自然に手を加えることもありますもんね。

浅野 ありますよね。

——それによって自然や土地はどう変わっていくのか…。あの、イメージで言って申し訳ないんですけど、私が子どもの頃、田中角栄が日本列島改造論って政策を出して、便利になるのはいいけど、自然破壊とか金儲けとか、公共事業にはそんなイメージもあって。

浅野 私が学生の時にも日本全国各地で大型公共事業が行われていたんです。干拓事業、高速道路、新幹線…。中には税金の無駄遣いと思うようなものもあった。公共事業と言いながら大企業のためにやってるんじゃないか?っていうのもあった。本来なら公共事業ってそれを利用する人のためであり、あと国民の共通の財産として活用されなければならないですよね。木更津高専ではそういうことを随分学んだんです。印象的な話が、土木工学のマークは「C」なんです。授業で先生が「なんでCなのかわかりますか?」って質問してきたことがあって、みんなわからなかった。そしたら、土木工学はcivil engineeringで、civilのCなんですよ!私は衝撃を受けて。コレだ!って。

——civil!まさにですね!

浅野 そうなんです!civilの意味は「市民の」とか「公共的な」とかで、土木工学とはcivil engineeringなんだって知って、私は本気で土木工学を勉強していこうって思ったし、今も礎になっています。私はその後、政治の道に進むんですが、思いは揺らがないですね。目指していることは一緒で、地域に住む人々と共に、住民参加で、誰もが暮らしやすい街づくりを進めていくこと。実際、仕事をするようになって、凸凹の道を舗装して安心して歩ける道になった時の充実感。お年寄りの人の喜ぶ顔を見て、本当に嬉しく思ったこともあります。大きな道路を作る前に、まずは子どももお年寄りも安心して通れる通学路を作るべき、それが公共事業なんですよ。


男女格差のある社会構造を、男性も、多くの人も気づくべきなんです。

——土木技師は女性が少ないと思いますが、そういう仕事を目指している女性に、浅野さんからエールを送ってほしいな。

浅野 女性が少ない職種であっても、自分がやりたいことならチャレンジすることが大事だと思います。最初にチャレンジするのは大変かもしれないけど、必ず続く人がいますから。必ず道ができる。一人じゃないんです。チャレンジしてほしいですね。女性がチャレンジできる環境を作っていかなければと思ってます。

——男も女も関係ないって言う仕事や職場もあるだろうけど、まずは男女格差をなくしてくださいって話ですよね。

浅野 そうですよね。男も女も関係ないからこそ、男女格差のある社会構造を、男性も、多くの人も気づくべきなんです。

——共産党はあらゆる差別に反対だしジェンダーに対しても学び続けていると思いますが、コレが正しいってとこで終わらないでほしいんです。

浅野 はい。本当にそうです。自分の価値観、自分の考え方をよしとするんじゃなく、日々学び、新しい考え方を知り、アップデートしていく。そういう謙虚さは必要です。

——だからこそ女性議員が増えてほしいですよね。

浅野 そうですね。頑張ります。女性議員は増えていかなきゃいけないし、様々な場所で女性が発言できる環境を作っていきたいです。

——主婦の方もね。浅野さんはお子さんが3人、大変だったことは…?

浅野 一番大変だったのは、子供がまだ歩けない頃、おんぶや抱っこやベビーカーで、パレードやデモに行くわけですよ。

——デモに連れて行くだけでいろいろ言う人もいたでしょう?

浅野 いましたね。子供をこんなとこに連れ出して!ってね。じゃ、子供を育てる人はデモに参加しちゃいけないのか?って。誰もが意思表示することが可能でなければならないし、誰でも参加できるようにしていかなければならない。そう思ってるなら私自身が子ども連れてデモに行こう!って出かけてました。。

——カッコイイ。子育てしている人達にもエールをお願いします!

浅野 自分の育児は間違ってるかな?って不安にかられることもあると思うんです。私もそうでした。私はママ友と話すことで救われたんです。自分だけで解決しようと思わないで、みんなで一緒に、励まし合ってください。きっと同じ思いの人がいますから。個人のことだから我慢しなきゃいけないって思ってる人もいるかもしれないけど、そんなことないんです。個人や家庭の問題にされてしまいがちだけど、そうしたほうが政権には都合がいいってだけで。政治に結びついていることが凄く多い。だから我慢しようなんて思わないで、ちょっとしたことでも話してください。共産党でもそういう場を作ってますから。暮らしにくい、将来に展望が持てない、そう思ってる若い人も多いと思いますけど、でも、みんなで声をあげれば必ず変えられる。最初の声は小さくても、大きくなっていきます。

——政治は私たち市民のためのものだし、市民も政治に参加していいし、市民が政治家を監視したり育てたりしたっていいわけですよね。

浅野 その通りです。一緒に社会を変えられるってことを、諦めないでほしいし、私は諦めません。市役所に入って最初にやるのは宣誓書にサインをすることなんですけど、日本国憲法を守ることっていうのが宣誓書の最初にあるんです。日本国憲法を改めて読んで、宣誓書にサインした。コレは私にとってホントに大きな柱になっています。


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