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市川市議会議員に立候補予定、とくたけ純平さんにインタビュー!「自分が住んでいる場所、自分の足元からできることをしたいって気持ちでした」

「JCP市川から応援し隊」スペシャルインタビュー第二弾!千葉県議会議員選挙に見事当選した浅野ふみ子さんに続いて、市川市議会議員選挙に立候補予定のとくたけ純平さんにインタビューしました!
 市政とは最も身近な政治なのに実はよく知らない。そんな人が多いのではないでしょうか。市政とはどういうもの?何故とくたけさんは市政に関心を持つようになったのか?また以前の仕事は音楽誌の編集者。音楽が好きで映画が好き。カルチャーから政治の道へと進んだというのも興味深いと思います。更に保護猫活動を続け、「最大の目標は殺処分をなくすこと」と語ってくれました。
 「このままじゃいけない」とデモに行き、自分の足元を見つめ、行動する。若い世代もきっと共感する言葉が出てくると思います。
 



音楽を知って、一気に世界が広がった感じはありますね。

——市川から応援し隊スペシャルインタビュー!市政に挑戦するとくたけ純平さんにインタビューさせていただきます。まず自己紹介をお願いします

とくたけ純平 日本共産党のとくたけ純平と申します。4月16日告示、23日投開票の市川市議会議員選挙に立候補の予定となっております。市川市の大和田というところに住んでいます。生まれは長野県で高校卒業まで長野県長野市の実家で育ちました。その後、大学に入るため上京して、日本大学芸術学部に入学しました。入ったときは放送学科だったんですけど2年生になって映画学科に入りました。映画を観るのはずっと好きで、中に入ってどんなものかやってみたいと映画学科に。並行して音楽もずっと好きだったんですけど、卒業した後、何をやりたいのか考えながらアルバイトをしていた時期があって。で、音楽の業界の中に入ってみたいと音楽出版社という会社に入り、CDジャーナルという月刊誌の編集をしていました。その後、第二次安倍政権になって、このままではいけないと思いまして、初めて社会運動の場に足を運ぶようになって、共産党に入党して、今回、市川市議会選挙に挑戦しようと。よろしくお願いします。

——映画や音楽、カルチャーが好きで音楽誌の編集をしていた。音楽を好きになったきっかけは?

とくたけ きっかけになったのがアメリカのバンドR.E.M.(※1)だったんです。初めて聴いたのは高校一年のとき。R.E.M.はなかなか社会的な歌を歌うバンドで、1986年にリリースされていた『ライフス・リッチ・ページェント』を後追いで買って初めて聴いたんです。ライナーノートを書いていたのは中川五郎(※2)さんでした。

——おぉ。中川五郎さんはミュージシャンであり作家でもあり。反差別をテーマにした曲を作ったり。素晴らしい方ですよね。

とくたけ そうですよね。でも当時は中川五郎さんがどんな方かも知らずに。R.E.M.も政治に興味があって聴き出したんではないんです。それが、中川五郎さんが書いたライナーノートを読んで、曲によっては社会や政治のことを歌っているって知って。メンバーのインタビューが載ってる雑誌を探して読むと、「身の回りで起きている社会の出来事に敏感でいたい」って言っている。自分も、自分だけのことじゃなくて、社会で起きていることを見ていかなきゃなって思ったんです。R.E.M.の影響は大きいし、中川五郎さんのお陰でより深く好きになったんです。

——音楽誌の編集者時代に中川五郎さんとはお会いになったりは?

とくたけ 音楽評の執筆や、通訳さんを挟んでの海外アーティストへの電話インタビューを依頼したり、電話やメールでのやりとりがほとんどでしたが、来日アーティストのインタビューをお願いしたときにはお会いすることがありました。今の自分がいるのも中川五郎さんのお陰で、たぶん中川さんは自分が書いたものが人の人生をこんなに変えているとは思ってないと思うんですけど(笑)。

——R.E.M.と中川五郎さん、いい繋がり方ですよね。他にはどんなものを聴いてました?

とくたけ R.E.M. はずっと真ん中にあって。そこからアメリカン・インディーのほうに入って。ちょっとありがちなんですけど、ソニック・ユース、ニルヴァーナ、パール・ジャムとかですね。イギリスだとティーンエイジ・ファンクラブ。音楽を知って、一気に世界が広がった感じはありますね。知らなかった世界を音楽を通じて知った。興味を持てることがどんどん増えていったんです。あとそれまでの既成概念みたいなものを壊す力が、音楽にあったんですよね。

——高校時代に音楽で世界が広がり、大学は日芸の映画学科。そして就職は音楽出版社。どういった流れで?

とくたけ とにかく大学を卒業するのにいっぱいいっぱいで。映画学科だったので卒業制作で映画を作るんですけど、それでいっぱいいっぱい。作り終わって燃え尽きた感じでしたね。大学に入るときは映画の仕事をしたいなって思っていたんですけど、卒業するときには完全に挫折してました。映画の世界の隅っこで生きていくのはできるかもしれないけど、一生やっていくのは自分には無理だと思って。卒業してバイトをしながら、自分は何がやりたいのか考えて。で、音楽出版社という会社にバイトで入って、そのまま就職したんです。最初はwebの編集、カタログ、ムック(単行本)を担当して、それからCDジャーナルという月刊誌の仕事をしました。音楽出版社には6年いて、別の会社に勤めて、その後、自営業になったんです。

※1 R.E.M.
1980年に結成されたアメリカのロック・バンド。2011年に解散するまで15枚のオリジナル・フルアルバムをリリース。政治的な曲やアクションも多く、リベラルなバンドとしても知られる。
※2 中川五郎
1960年代から活動するフォークシンガー。反権力や反差別などぶれない姿勢を貫く。そのほか、音楽評論、訳詞、翻訳、小説など多岐にわたる分野で活躍。現在も日本各地でライヴ活動を継続中。

声をあげなければ容認してると同じことだって思って。

——第二次安倍政権の頃に「このままではいけないと思いまして、初めて社会運動の場に足を運ぶようになって」ということですが。きっかけがあったのでしょうか? 

とくたけ その前の小泉政権のときにイラク戦争があって、日本も加担していったことに対して怒りというか、嫌だなって思っていたんです。良くない政治が進んでいるなって。東京都では石原都知事が圧倒的な人気で何期も務めている。ホントに嫌だなって。その後、第二次安倍政権のときにデモや抗議行動へ参加したんですけど、なんで第二次安倍政権になってから自分は動き出したかというと……、自分の環境が動ける環境になったのも大きいと思います。自営業になったのがその頃なんで。

——自営業だから自分で時間を作ることができた。

とくたけ はい。勤めていた頃はどうしても時間がとれなかったんですね。

——政治をなんとかしたいって思っても仕事が忙しくて参加できない。忙しい人こそいろいろ言いたいことはあるだろうに。

とくたけ そうなんですよね。ホントに週5、週6で長時間働いてらっしゃる方が大多数ですよね。働き方について考える時間さえないっていう。

——ホントそうですよね。当時、安倍政権をどう感じてました?

とくたけ 弱いものいじめの政治っていう印象だったんです。それなのに支持率は高い。これはおかしいし、やっぱり声をあげなければ容認してると同じことだって思って、初めて国会前のデモに参加しました。2015年の安保法に反対するデモだったと思います。多くの人が集まっていたんですけど、終わって帰るとき、なんか、やった感が足りないなって。 

——わかります。私も行きましたが、帰りの電車に乗ったら、デモとはまったく関係ないいつもの風景で。国会前であんなに多くの人が集まったけど、変わらないのかなっていう。

とくたけ そうなんですよね。勿論、デモは意味がある行動です。でもまだ他にもできることをしたかったというか…。そんな中、2016年に参議院選挙があって、千葉県では浅野ふみ子さんが立候補されたんです。そのときに浅野さんの選挙のボランティアをしようって思った。ただ僕が動いたのが遅くてタイミング合わなくて、ボランティアをやれなかったんです。凄く悔いが残って。その翌年、市川と浦安の千葉5区で「市民連合」の結成の準備をしてますってネットで知ったんです。軽い気持ちで行ってみたんですね。そしたら、政党の関係者や名の知れたデモや集会に携わってる方がいらっしゃって。僕なんかがいていいのか?って思ったんです(笑)。次も行こうかどうしようかちょっと気おくれしたんですけど、行かなきゃダメだよなって行って。行くうちに段々と慣れてきて。共産党の方にも親しくしていただいて。

——もともと共産党を支持していたんですか?

とくたけ 自分が成人になって選挙権を持つようになったときから一番は共産党でしたね。イラク戦争があって政治に関心を持ったとき、共産党が自分の考えに一番近いって思ってました。入党したきっかけというか……、その頃に考えたことは、格差について。安倍政権になって格差がどんどん広がって。お金を持っている人はより簡単にお金を増やせるけど、お金を持っていない、ほとんどの人がそうだと思うんですけど、頑張っても限界があるような、そういう社会になっていった。そんな社会を根本的に変えるには、共産党が言っているような社会を目指していくことだと思ったんです。簡単ではないと思いますけど、少しでも協力をしたいと思って。入党したのは36歳のときだったんですけど、もう人生もだいぶ、折り返しとは言わないですけど、このまま年齢を重ねていくより、もうちょっと何かしなきゃいけないって思ったら、共産党に入ることだったんですね。

——地元の社会、地元の政治に目を向けてますよね。自分のことを言うのはナンですが、私はニュースは国政ばかりやってるしデモには行ったことはあるけど東京のデモばかりで。地元のこと、市政のことって全然考えてなかったんです。今になってやっとですよ。

とくたけ 確かに市議会とか市政って言われても多くの方はよくわからないと思うんです。市議会議員に誰がいるって聞かれても、誰もあげられない人がほとんどだと思うし僕もずっとそうでした。

——最も近くにある政治なのにね。

とくたけ そうなんですよね。僕自身も国政を見て、ヤバイな、なんとかしたいなって思っても、市政はピンとこなくて。市政を知っていくようになったのは、やっぱり市民連合に参加したからなんですね。自分が住んでいる場所っていう。自分の足元からできることをしたいって気持ちでした。逆に言うと、遠くを見る余裕がなかったのかもしれないです。市民連合に参加したのも、自分が住んでるとこの候補者を国政に押し上げたいって思ったからです。野党から出てほしいって。

——千葉、市川は保守系の議員が多いですからね。自分が住んでる場所と国は繋がってるわけだし。国政を変えるには、市政、県政からなんですね。

とくたけ そうなんですよ。

——そう考えるととくたけさんが市議選に立候補っていうのも納得です。


政治家って本来は市民の声の中から出てこなきゃいけないですよね。

——世代で括るのも大雑把だとは思いますが、同世代や若い世代をどう感じますか?

とくたけ 僕は40歳で、あくまでも僕が感じたことなんですが、保守的な印象はあります。批判をするのは良くないことっていう雰囲気があると思うんです。国会で野党の議員が正しいことを言っても、強い口調だと拒否反応を示してしまう。極端な話、僕はなんにでも反対する人が一人は必要だと思うんですよ。反対する人がいない空間こそ怖いと思うんですよね。

——そうですね。反対する人がいないなんて、同調圧力が働いてるからだと思うし。あとよく、反対するなら代替案を出せって、一般市民同士で言い合ってるのをツイッターなどで見ますが、市民は代替案なんか出さなくても、納得できないことは反対していいんですよね。

とくたけ そうですよね。代替案を出さなきゃ批判しちゃダメっていうのは黙ってろってことで、権力の思う壺なんですよ。それに共産党は反対だけしてるわけじゃないですよ、いいものは賛成してますし、代替案も出してます。

——なんか、自分が外れたことをやるのは嫌だし、外れたことをやってる人がいるのも嫌っていう風潮はありますよね。

とくたけ ルールを守る、和を乱さない、そういうことを重んじますよね。この風潮がどこから生まれてきたのかっていうと、教育なのかなって。安倍政権がやってきたことの一つの現れかなと。道徳っていうものを重視した教育だと思うんです。人に迷惑をかけないようにしようって。それはそうだけど、困ったことがあっても誰にも頼れずにギスギスした世の中になってしまって。

——自己責任って言葉がこんなにも聞こえてくる世の中。

とくたけ ホントそうですよね。あと民主主義に対しても、日本の教育は弱いんじゃないかなって。民主主義とはどういうものかを教える教育が、ちゃんとできていないというか。

——どういうときにそれを感じますか?

とくたけ 社会運動の活動家に対しての視線の冷たさ。デモをすると邪魔、駅でスピーチしてると邪魔。確かに邪魔だしうるさいとは思いますが、やっぱり民主主義を守るために、好き嫌いを抜きにして、そういう活動というのはやむを得ないというか、歓迎していいものだと思うんです。

——賃金上げてくれってストライキも、頑張れって思いますよ。でもそう思わない人が多いですよね。

とくたけ 迷惑になるのは良くないって教わってきてますから。

——ホントそうですね。でも金曜官邸前の反原発の抗議行動やSEALDsの行動で、これまでデモに参加したことなかった人が参加して。私もそうです。人が集まることにちょっと慣れてきたと思うんです。でもそれに対する反発も、やっぱりありますしね…。

とくたけ そうなんですよね。ストライキでもデモでも、抑圧されている側が現状を訴えているもので、ホントは対立するものではなく、応援したいものだと思うんですけどね。

——私たち、市川から応援し隊も、おかしいなって思ったことを、普通のお喋りみたいに話したいっていうのもあって。

とくたけ 大事なことですよね。

——とくたけさんも、市民の一人として政治と社会を良くしようとしている人だと思います。

とくたけ ありがとうございます。そうですよね、政治家って本来は市民の声の中から出てこなきゃいけないですよね。

——そうですよ。私たちの代弁者でもあるんですから。

とくたけ そうですよね。政治家って近寄りがたいイメージって僕もずっと思っていたんですけど、身近な人がどんどん政治の世界に入っていける、特に地方の政治はそうなっていってほしいなって思います。


最大の目標は殺処分をなくすことです。

——保護猫活動のことを教えてください。

とくたけ 保護猫は2017年からやっています。きっかけは、自分が住んでる家のすぐ隣の駐車場で、生まれたばかりの、生後2、3日ぐらいの子猫3匹を妻が見つけたんです。近所の人によれば前の日から親猫もいない。放っておいたら死んじゃう。それで妻が連れて帰ってきて。帰ったら子猫がいてびっくりしました。

——それまで猫を飼ったことは?

とくたけ 飼ったことなかったんです。

——子供の頃は?

とくたけ えっと、亀を飼ってました。今も実家にいます(笑)。動物は好きだったんですけど飼ったことはなくて。なんかね、動物を飼うと全てを注ぎそうで(笑)。でもそんなこと言ってられない、放っておけないって3匹ともうちの子にして、いろいろ勉強しながら育てて。しばらくは普通に飼い猫が家にいるってだけだったんです。でも家で猫と暮らしてると、外の野良猫のことも気になってくる。うちの子たちは食べるものの心配もないけど、外の猫たちは生きることがどんなに大変か。寒い日、暑い日、雨の日、風の日。食べ物も自分で手に入れなければならない。自分が猫を飼っているからこそ考えるようになって。それで、少しでも何かやりたいって思って、地元の譲渡会に行って、何かお手伝いすることありませんか?って。そしたら保護した猫の里親さんが見つかるまで預かってもらう人が足りないと。それで2頭を預かるとこから始めて。段々と預かりだけではなくうちでも保護するようになったんです。少しずつ収容して、里親さんを探して。今、家には里親さんを探している保護猫が15頭ぐらいいるんです。保健所に第二種動物取扱業っていう届け出を出してやっているんですけど。やり始めたら終わりがない活動です。不幸な運命を辿ってしまう猫は、いたるところにいるんで。

——里親さんはわりとすぐに見つかるんですか?

とくたけ 見つからないことが多いですね。里親さんは譲渡会とインターネットで募集したりするんですけど。誰にでもはいって渡すわけにはいかないので。ある程度お話をして。ちゃんと最期まで責任もって飼ってくれる人じゃないと。僕の場合、外に出さないでくださいっていうのを前提にしているんです。

——外は気持ち良さそうだから出してみようって考える人もいるでしょうね。

とくたけ はい。その考え方の差を縮めるのはとても難しくて。ご縁がなかったってこともありますね。

——保護猫について、市議会議員になったとしたらどうしていきたいですか?

とくたけ 市政ですべてができるわけではありませんが、最大の目標は殺処分をなくすことです。いろんな考えがあると思うし自分の考えを一方的に押し通すことは出来ないですけど、僕の考えは、野良猫を限りなくいなくしたい。

——地域猫も?

とくたけ 段階的にですね。地域猫も必要な在り方ですが、最終的には地域猫を増やすのではなく、野良猫はいなくなるようにして家で暮らす猫だけにしたいです。僕は殺処分をなくしたくて、なくすためには生まれてくる命を少なくしなければならないと思う。去勢手術、避妊手術をしないと凄く増えていくんですよ。一回で3~6頭生まれるし、3ヶ月後には同じ猫がまた生むこともあるし。早ければ生まれてから半年の子が子供を生んでしまいますから。

——このままだと殺処分がなくならないという現状なんですね…。

とくたけ そうなんですよ。去勢手術、避妊手術はボランティアが担っていて。助成金は一応あってありがたい制度なんですけど、ボランティアだけでやっていくのは難しいんですよね。仕事になればいいんですけどあくまでボランティアだし。自分の仕事や生活があるし時間がない。ボランティア同士の繋がりを作るのも難しい現状で。そういうことを行政が支援する形を作りたいです。あと野良猫の相談に、すぐに動ける組織を作っていきたいです。そして殺処分される命を減らしたい、殺処分をなくしたいです。

——ペットショップより保護猫から飼いたいです。

とくたけ 殺処分される命があるのに、生体販売で日々大量に生まれる命があるっていうのも矛盾で。ペットショップも生体販売をやらなくなっているところも出てきてますよね。法や条例で生体販売を禁止するのは難しいかもしれないけど、生体販売をしないってことに対して行政が援助できればいいなと。保護猫っていう選択肢がもっと増えればいいなと思ってます。


意見の違いはそこから考えが広がる契機だと思うんです。

——とくたけさんのWebサイトを見ると、格差や人権についても書かれています。

とくたけ コロナ禍があってより実感しましたが、誰もが突然職を失うことはあるわけで。そういった方々をしっかりと支えるのが行政の仕事だと思うんです。困窮したとき、仕事を失ったとき、そういったときに頼りになる行政にしていきたいなと。

——さっきの「人に迷惑をかけない」っていう話をしましたが、迷惑をかけてもいい、困ったら助けてと声を出しやすい社会になってほしいです。

とくたけ ホントそうです。声を出しやすい空気、声を出しやすい街。そういう街作りをしたいし、作っていけると思うんです。街並み一つ見ても、冷たい街とあったかい街ってわかると思うんですよ。例えば、横断歩道の白線がハッキリしてるか消えたままになってるか。高齢者の方が買い物に行って荷物を持って途中で休みたいって思ったとき、休める場所が公共としてあるかないか。なんとなく感じると思うんですね、優しい街か冷たい街か。優しい街の景色の中で暮らしていたら、いざというときに声を出しやすい、そういうのってあると思うんです。日々見ている街の景色で、安心感が出てくるっていう。市川には様々な人が暮らしていて、外国人の方も多いし、性的マイノリティーの方もいます。誰もが安心して暮らせる街にしたいです。

——優しい街ならカルチャーも育っていくし。

とくたけ ですよね。文化・カルチャーというものを蔑ろにする社会は怖いなって思います。

——災害に遭って、最初はそれどころじゃなくても、ちょっと経つと必ず音楽や歌が必要になりますし。

とくたけ はい、そう思います。文化、音楽で直接お腹は満たされないけど、生きていくためには必要ですよね。救われる、感情が豊かになれる。文化を守っていくのは政治の仕事でもあると思います。市川市でも音楽家が街にいる状態がいいですよね。市川駅や本八幡駅はちょっと狭いんですけど弾き語りをやるスペースはあるし。商店街でも頑張ってやってるところがありますし。支えたいですよね。

——では最後に、ここは敢えて若い世代の方々へメッセージをいただければ!

とくたけ はい。たぶん政治に対する諦めが広がってると思うんですよね。票を投じても意味ないとか、声をあげても意味がないとか。それは抑圧したい権力者の思う壺になってしまうと思うんです。自分が声をあげても何かが変わるって思えなくても、おかしいなって思うことはあると思うんです。思ったことは声に出してください。声をあげた人がいたら、その声を聞いてほしい。意見が違っても断絶するんじゃなく、意見の違いはそこから考えが広がる契機だと思うんです。意見の違いを契機にして、みんなで考えていく。そういう社会になったらいいなと。声をあげていく、あがった声に向き合うことか出来る社会を、一緒に作っていきたいと思っています。

とくたけ純平webサイト 日本共産党 | とくたけ純平 | 市川市 (tokutakej.wixsite.com)



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