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一緒にいて楽しい人と一緒にいればいいという、単純な話ではないみたいだ。

話すのも、出かけるのも楽しい。自分の嫌な部分もだいぶ見せてしまっているし、くだらないこともつまらないことも話せる。こういう人と付き合えたらいいんだろうなあって、好きになるよりずっと前から思っていた。

でも恋人という関係になってしまうと、少しずつ何かが崩れていく。好きになってしまうと、なぜ私たちはうまくいかないんだろう。

居心地がいいのは恋人じゃなくなっても変わらなくて、お互いにお互いのことが嫌いなわけじゃないし、なんなら誰よりもいいところを知っているかもしれない。けどそれでもうまくはいかないことを、さすがにふたりとも理解したので、もう恋っぽい予感を勘違いすることはないと思う。

私たちって一緒にいられたらきっといいはずなのに、どうしてそれがうまくいかないんだろうね。迷宮入りするようにそんなことを話した夜はなんだか良かった。そういう夜があったんだ。

でもやっぱり、私たちはどうにもなれないということを、そのうまくいかなさをふたりともわかっていることが、どう仕様もなくかなしくて、未練とも後悔とも違う柔らかい気持ちが残っている。

私が地元を出なかったならうまくいっていたのかもしれない。けど、だからといって今の街と職場を離れて東京に行こうとは思わないし、あの人だって私がいるからってこっちに来たりしない。それは例えば恋人がいるからって安易な選択をするよりも好ましいことだと思っている。自分のやりたいことを優先する私たちだ。

だからこそ交わらない。それでいいと、どんな関係であろうと私の人生のどこかにはいる人なんだろうなと思っているけど、そんな、頭ではわかっていることに心が追いつかないような瞬間がたまにやってきて、そんな時はもう一回あらためて落ち込むのがルーティーンみたいになっている。

例えばいつも乗ってるバスなのに、同じ道を手を繋いで歩いたことを思い出して、たった今失恋したみたいにあたたかい涙を溜めてしまう。そういう瞬間はいつもふとした時に、急にやってくる。

ものすごく恋だったのだと、こうなってから自覚するものだ。ものすごく好きだったみたいだ。

付き合いたいとか結婚したいとかそういうことじゃない。ただ一緒にいたい人と、一緒にいられないという事実がかなしいだけなんだ。

ずっと忘れられなかったら悔しいな。
こういうのを世間では未練っていうのだろうか。
そうだとしたらそれもなんか悔しいな。

あと1cmの恋じゃんか。

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