なんで「取材する人を取材したい」企画なのか。野望の理由を言ってみる
先日、「取材する人を取材したい」という、前から考えていた野望をつぶやいてみた。
見た人から「スキ!」をぽつぽつもらったものの、実際にコメントをくださった方はまだいない。
まぁ、そうかもしれない。だってよく知らない人が紹介記事を書くよ!って言ったって、得体の知れない人に自分をさらけ出すことは勇気がいることだ。そもそもお前は何者?と思う人もいるだろう。
私は、ざっくり言うと「フリーランスのディレクター&ライター(ついでに高校教師)」という身分だが、ちょっと変わったことを始めたり、「おもろいやん」と思ったことにのっかったりするのが好きなタイプだ。
だから「取材する人を取材したい」ということも「やったらなんか面白そうだから」というのが率直なところだ。
でも、もう少しこの部分を掘り下げておこうと思う。
◇始まりは「私も取材されてみたいなぁ」と思ったのがきっかけ。
以前、自分がこれまで書いた記事を、簡易なポートフォリオにまとめる作業をしていた。
そのときに、思えば色んな人を取材してきたなぁ・・・と、しみじみ自分の仕事を振り返っていた。
みんな、面白い。
みんな、色んな人生をもってる。
そう思ったときに、「じゃあ、私がもし取材されたとしても、私だって唯一無二の人生だから、きっとおもしろいんだろうな」とフフフと想像してみたのだ(←単純)。
(※実際は、それほど面白くはないと思うのだが。紆余曲折は比較的少ないほう・・・)
誰か取材してくれないかなー。そんなきっかけないかなー。
そう思ってはみたものの、「いやいや、取材する人って、まず取材されないよな」と、自分で否定したのだ。
取材する人は、裏方。
光を浴びる立場にはない。
けれど同時に、いや待てよ、と。
なんで裏方だったら、スポットライトを浴びたらダメなんだろう?
取材する人が取材されたって、そういう、裏に光が当たる場所があったって、いいんじゃない?
てか、場所がないなら作ったらいいんじゃない?
そう思ったのだ。それが最初だと思う。
◇「する」と「される」が入れ替わると、多くの発見がある。
また、これは中学時代にさかのぼるのだが、私は学級委員長なんかをやるのが好きなタイプだった(理由は面白そうだから)。
でも、高校に進学するとき「今度は学級委員長とかやらずに、目立たないポジションに着こう」と勝手に決めた。
そしたら、初めて分かったのだ。
「あ、人に引っ張られるって、こういう感じなんだ」と。
前に立つときの声の大きさや話し方、進め方、決め方。
自分がいつも立っていた場所に別の人が立つことで、客観的に見ることができたのだ。
「相手の立場」は想像できるけど、想像が「ホンモノ(実体験)」になることに、大きな学びがあった。
だから、もし取材する立場の人が「取材される」と、きっと何か発見があるんじゃないかなと思うのだ。
「自分が記事になるってこんな感じなんだ」
「言ったこと、あんまり反映されてないな 笑」
「文章下手やな」
とか、思うかもしれない。
つまり、その時抱く感想そのものが、自分のクライアントが普段抱くような感想ということだろう。
反面教師的に学ぶところもあるだろうし、逆に「こういうのは嬉しいな」というプラスの発見もあるかもしれない。
立場を変えることで、今後の仕事に活かせるような発見があるんじゃないかと私は思っている。
◇「興味ある」人は、いつでもウェルカムです。
おおよそ、以上のようなことを考えているのだが、それでも相手がいないと始まらない。
いつか始まるかもしれないし、このままお蔵入りの企画かもしれないけれど、野望を口に出したことで、なんだか随分スッキリできた。
やるかどうかは別にして、「へぇー。まぁ、おもろいこと考えるんやね」と思ってくれる人がいたら、スキ!もしくはコメントいただけると、企画発案者としてはとても嬉しく思います。
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