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ノンケの親友に恋した19歳の失恋

どんなに心惹かれる女の子からのメッセージよりも、君から届く通知の方がずっと嬉しかった。

僕がそう言うと、彼はベッドに体を預け、顔を隠しながら、くしゃくしゃの笑顔で照れくさそうに笑った。高鳴る心臓のドキドキに耐えきれず、僕は逃げるようにトイレに駆け込んだ。あの時ちゃんと話していれば、あれから幾度もこの場面がフラッシュバックすることはなかっただろう。1年半に渡る僕の片思いはその翌日、終わりを迎えたのだ。

今振り返れば、僕らは友達以上恋人未満だったのかもしれない。そんな陳腐な言葉で表したくないが、何か不思議で特別な関係だったと思う。

高校時代の同級生だった彼とは、サッカーの共通の趣味から仲良くなり、高校3年から一緒に遊び始めた。高3の夏の受験期に、僕らは一緒に川へ行ったり、11月に映画を見に行ったり、大学の合格発表後に温泉旅行へ出かけた。いつも優しくニコニコしていた彼に、気づけば友情以上の想いを抱くようになっていた。しかし、残酷にも現実は、彼は僕を友達としてしか見ていないということを突きつけた。

ある日、彼の家で深夜のサッカー観戦をしていた時、無防備な彼の寝顔を見て、僕はこれ以上友達のフリはできないと思い、翌日すぐに思いを告げた。彼は「ずっと前から知ってくれていて、ありがとう。とても嬉しかった」と返事をくれた。その返事を見て、彼を好きになれてよかったと心の底から思った。

その後も一緒に熱海の花火大会に行った。カップル連れだらけで、自分たちと彼らの違いをあからさまに見せつけられた気分だった。会話にも少しずつ気まずさが生まれるようになった。長年続いていたLINEも何かのきっかけで途切れ、それから5ヶ月以上が経った。彼から来ていた誕生日メッセージももう来ない。

そして今回の京都旅は、その5ヶ月を経て彼から誘われたものだった。心はウキウキしていた。好きじゃなければ誘うはずがない、と思っていたから。しかし、彼に理由を聞いてみると「君が誘ってほしそうだったから」と言われた。本当にそれだけ?と確かめたかった。どうでもいいやつに数万円お金を使うのかと。

翌日、彼は「君のことが心配なんだ、俺のせいでおかしくなっちゃうんじゃないか」と言った。 その言葉を聞いた時、なぜだか胸が痛くなった。二人の恋がここで終わりを告げたことを実感したのだ。

今思えば、一方的で身勝手な恋愛だったのかもしれない。もしかすると僕らが結ばれるチャンスもあったのかもしれない。どちらにせよ、僕の行動がその可能性を潰してしまった。性別以前に、人として未熟だったのだ。

もう一度高校3年に戻れるならば、僕は彼とは関わらない。たとえその瞬間が楽しく幸せに溢れていたとしても、その先に待つのは苦しみだから。結局のところ、僕は臆病で利己的で、彼を本当に愛する資格も力もなかったのだ。これからは、誰かのために自分を変えることはしないし、依存もしない。

Don't lose yourself for somebody else.
(誰かのために自分を犠牲にしないで)

この旅の1週間前に宿で出会った、失恋の傷が癒えたばかりの40代アメリカ人作家の女性の言葉だ。若い時に知りたかったという、彼女のアドバイスが若干の時差を乗り越えて胸にえぐる。

最後に、僕に新たな世界を見せ、頑張る支えとなってくれた彼には心から感謝している。そんな彼の幸せを心から願っている。さようなら。関わってくれてありがとう。

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