事実は小説よりも奇なり-12: 佐藤琢磨という生き方
本日(23.03.05)、特注のモデルを入手した。雑誌「Racing on」の刊行500号記念の企画、読者希望を募り上位機種をメーカーに特注した結果の品。
佐藤琢磨が2004年にF-1 US GPで2台のFerrariに次いで3位表彰台ゲットの車モデル(F-1dでの初表彰台)。このモデルを見ている内に、この題名を思いついて書くこととした。
Wikipediaには「1977年1月28日生まれ、日本のレーシングドライバー。東京都出身。 2002年から2008年までF1、2010年からはIndy Car Seriesに参戦。2017年に最高峰である「Indy 500」でアジア人として初めて優勝し、2020年に2度目の制覇。 身長:164cm、体重:59kg。血液型:RH+ A型。」と書かれている、筆者とは間接的につながりがあるのでそれも記載した。
まずモデルについて、以前MINICHANPS(MC)からこのモデルが発売されていたが、タバコ広告規制で「ラッキーストライク」の絵と文字がバーコードで表されたみっともないモデルとなり購入意欲減退であったが、今回はSpark(SP)から限定800台のレースをしたそのままのモデルで発売されたので購入した次第。
さて、彼の競争人生は10歳の頃、鈴鹿サーキットでレース直接見たことが切掛けの様だ。高校生の頃、1人で自転車のクラブを立ち上げ顧問一人・部員一人で競技を開始し、94年インターハイ優勝。大学は所沢にキャンパスのある早稲田大学人間科学部に入学、大学でも自転車競技で優秀な成績を収め、休学し(最終的には中退)モータースポーツに没頭、先ずはKartから開始となった。
1966年初夏、早稲田大学のある所沢に筆者の弟が経営していたARDE-X JapanというKart Shopがあり(現在は閉店)、そこに所属(過去には元F-1の中野信治も)、67年にはカート地方選手権FA-2 関東・西 シリーズチャンピオン、カート地方選手権FA-2 関東・東 シリーズ3位の成績を残している。
以後は68年 童夢・無限ホンダより全日本F-3に参戦し数々のレースを戦い、99年にはマカオGP優勝。2001年にはイギリスF-3シリーズチャンピオン。02年Jordan HONDAでF-1参戦、04年LUCKY STRIKE BAR HONDA でUS GP3位。
2010年2月KV RacingよりIZOD Indy Car Series(アメリカのミッドレンジ衣料品会社)に参戦することを発表。このシーズンは大した記録は残していない。
2013年4月Indy Car Series第3戦のLong BeachでA.J.Foyt Racingから参戦、Indy Carによる初優勝を記録した。
17年5月のIndy 500で日本人初の優勝。
20年のIndy ではフロントロウからのスタートで2回目の優勝を遂げたのは周知の事実である。
参考文献:Wikipedia last edited on 1 March 2023
佐藤琢磨 インディ500制覇 auto sport vol:1458、 2017.6.23
三栄書房 東京