第19話 believeマイセルフ
自分が見えてるものって・・・本当なのかな?あってるかな?
たまに不安になる自分が出てきた。
例えば、守護霊おじいちゃんは確かに見えたけど、
それって私が勝手に想像しているだけじゃないかな?とか。
見えない世界のことって誰か他の人と、
「これってそう見えるよねー」とか「そう言ってたよねー」とか、
確認できないから余計不安になる。
でも最終的には、見える世界も見えない世界も、
自分を信じるしかないんだよね!!!
こうやって現実に目に見えてると思っているものだって・・・
例えば「赤」っていう色ひとつをとったって、
どこからどこまでを赤色と認識するかなんて人によって違うはずだし、
あなたと私が同じ赤色を見ていたとしても、
まったく同じように認識しているとは限らない。
世の中は、だいだい多くの人が「赤」って認識するからこれは「赤」だよね、
くらいの結構あやふやな合意のもとになりたっている気がする。
例えば、100人中90人がそれを「赤」だと認識したとして、
あとの9人がそれを「オレンジ」と認識したり、
残り一人が「青」と認識する人もいるはず。
多くの人が「赤」と言うから、「正解は赤です!」ってなりがちだけど、
本当はオレンジだって青だって正解!
あってるとか間違ってるとか、実はないんじゃないかなって思ってる。
ただ、人それぞれ「そう見える」ということだけ。
しかし、やっぱり大多数の意見が世の中の「常識」にはなりやすい。
だってそのほうが都合いいから。
共通の認識の上に社会はなりたっていると思った方が、色々と物事も進めやすいから。
でも少数の認識が間違いか、といえばそうではない。
どちらが良い、悪い、ということでもなく、
ただ一つが正解というわけでもなく・・・
そう見える人もいるし、こう見える人もいるし、
まったく違うふうに見える人もいるよねーって話し。
すべて「ある」よねっ、って話し。
ついつい、今までの自分の癖で正解を導き出そうとしてしまう。
大多数の意見の方に意見を寄せていたい、と思ってしまう。
その方が安心だからね。
そうそう、今まで自分が見える世界でやっていたことを、
見えない世界でもやろうとしてた。
周りに正解を求めてしまう。これでいいの?これが正解なの?って。
でもそろそろ、やめてもいいかな、正解を求めることは。
別に私ひとりが「赤」を「青」に見えてたっていいや、って思う。
見える世界でも自分を信じて歩きはじめてみたら、
自分の認識できる世界が180度変わった。
自分らしく生きられるようになった。
それは見えない世界も同じことだよね。
自分が感じたこと、受け取ったこと、見えたこと、聞こえたこと、
すべて信じていいんだよね!
アナ雪のレット・イット・ゴーの歌詞がドンピシャで泣ける、涙
「これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分を信じて
光あびながら 歩き出そう 少しも寒くないわ」
冬だから・・・外は実際寒いけど、心の中は暖かい、笑
自分信じてトコトン進もう!!!
beliveマイセルフ☆
第20話にづつく・・・。