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経営学者が非専門分野に対して社会科学的な素養を疑わせる発言をするなかれ,とでもいうべき問題

 ※-1 専門バカということばがあったが

 本日のこの記述がとりあげる問題は,その分野では専門家である経営学者であっても,自身が非専門の研究領域にまたがる論点に対して軽々に,社会科学者としての立場(資格や能力,情報,知識,理論認識的な背景・事情)を疑わせるような発言は「厳に慎みたい」といったごとき,いわば常識次元の関心事である。

 要点:1 自分の専攻する分野以外への発言は慎重であるべき点は,あえて断わるまでもない注意事項であるが,ときたまそこの線から脱輪する識者がいないわけではない。

 要点・2 専門家は専門的研究にもとづき,自分の領域での発言をするべきだといったごく当たりまえの作法は,これが実践問題にかかわる理論研究であれ,純粋なそれであれ,基本から踏まえるべき必須の要請であるが,

 この基本を忘れて自由奔放に,散文(自由作文?)であるかのように学問・研究における記述や文章をあつかい,書き散らす研究者がいないのではない。

本日の記述要点,2つ

 なおこの本日の記述は,本ブログ筆者が2008年7月6日に初出し,さらに014年4月7日に更新した文章の再・更新である。

 さて,いわゆる専門バカということばがある。

 専門の領域以外の〔世の中の〕ことにはうとくなってしまい,その要所・要所の問題がどのようなかたちでこの世間に現象しているか,したがってその本質にどのように肉薄するかについて,その方法論が具体的に不分明・不鮮明というか,むしろ当初から疎遠であった専門家たちが,ごくふつうに表現されうる程度での “バカをいっている” 分には,それほど罪はない。

 しかしここでは,それとはまた異種・別様の,専門家による,多分に思いちがいにもとづくところの,すなわち自由奔放なのであったが,万事に関してピントを大きくはずした,そして,くわえてはひどく弛緩した言論の実例を紹介してから,本論の記述に進むことになる。
  
 

 ※-2 専門家による非専門知的な発言の陥穽

 1) 伊丹敬之『経営の未来を見誤るな-デジタル人本主義への道-』(日本経済新聞社,2000年)は,以前の著作『人本主義企業』(筑摩書房,1987年)をもって提唱した,それも,日本的経営に関する理解の核心:「人本主義」を後生大事にしたい著者の心情を正直に表出させた書物であった。

 補注)2014年,そしてさらに2023年の現段階となってだが,この人本主義は,一文の価値もない〈過去の御説〉になりはてている。日本的経営「讃歌」論に通底するこのなんらかの主義的な主張は,時代の流れに耐えうる内実を当初からなんらもちあわせていなかった,という評価は本ブログ筆者1人だけの感想ではない。

 本ブログ筆者は他書で,この伊丹敬之「学説」(と呼ぶに値するかどうか自信がないが)に対しては,徹底的な分析・批判を与えたことがある。それからちょうど一昔の時間が経ったところで(本日の2023年7月27日ならば「ふた昔」も経ってしまったが),その結論についてはますます確信を深めるに至っていた。

 それはともかく,伊丹敬之の前著『経営の未来を見誤るな』2000年のなかで1箇所,どうも気になるというか,およそ専門家の発言とは思われない記述があったので,これだけは最低限,指摘しておきたい。

 アメリカ型原理は,アメリカという多民族人工国家の社会の中ではかなりの合理性が高い。しかし,欧州や日本のような単一民族自然発生型の歴史の長い社会の中では,必ずしも合理性は高くない(85頁)。

 この主張にみられる『アメリカ=「多民族国家」』対『欧・日=「単一民族」』という範式的な単純説明は,人文および社会科学系の基礎的な素養・知見を完全に欠いていた。産業人類学とか文化人類学の知見のひとつやふたつでももちあわせる学究であれば,そのように軽率な発言はけっしてするわけがない。

 2)「アメリカ」対「欧州と日本」という対照の方法も高度に奇抜な組合わせであった。そもそも,欧州〔諸国?〕と日本がともに「単一民族」だと把握した認識が問題である。というか,人類学や民族学,社会学,政治学などの各域における研究など,すべていっさいを吹っ飛ばしたうえで,きわめて大胆かつ粗雑が過ぎた独自の非科学的ないいぶんを披瀝していた。

 もとより,アメリカ型原理は「アメリカで生成した〈原理〉なのである」から,アメリカにおいてこそヨリ合理的に適合するものであり,欧州や日本での原理としては,もともとその〈型〉が合わない〈アメリカの原理〉であるか,あるいは「合理的に適合する保証のかぎりでないこと」は,考えてみるまでもなく,一般論的にも自明の〈理〉であった。ということで,その点に関して主張は,どう聞いてみたところで,ただの素人っぽい議論にしか聞こえなかった。

 だから,アメリカではアメリカ型原理が「かなりの合理性が高い」のは当然であり,欧州や日本ではそのアメリカ型原理の「合理性は」「必ずしも」「高くない」などというのは,当然のことを当然に,しかも必要もなくただ見当外れに表現しただけのことであって,つまり当てずっぽうの発言であって,それじたいがほとんどナンセンスというほかなかった「独走」的な見解・解釈であった。

 要はいわずもがなのことがらを,わざわざ「もってまわったような修辞」を使って論じている。一言でいって〈衒学〉ぶっているのでなければ,地に足の着いていない表現が,空中を勝手に浮遊しているだけ……。

 3) イギリス・フランス・ドイツなどの諸国においては現在,ヨーロッパ系の近隣の諸人種・諸民族にくわえて,アフリカ系・アジア系の諸人種・諸民族がどのくらい混在・混住しているかなど,まさか伊丹がしらないとは思いたくない。

 けれども,上述のような「きわめて雑な論及」に接するとこれは,国際社会学研究の基礎知識に照らし判断しても,いささかならず「権威的学者」の発言とも思えない〈危うさ〉=〈危険がいっぱい〉を感じとる。

 1998年の時点ですでに,ドイツにおいて全人口に占める外国人の比率は9.1%,移民の国:アメリカでも外国人比率は11.7%に対して,日本はまだ1%台であった。

【関連する統計資料】-2018年,各国における外国〔国籍〕人人口の比率-

各国における外国人人口比率

 だから,前段のように《「米」対「欧・日」という比較の枠組》を想定することは,『多民族 ⇔ 単一民族』と対比させる「国家論」の議論のしかたそのものが怪しいのと同様に,すでにきわめて不用意な発言であったとみななさざるをえない。

 以上の議論は伊丹敬之の2000年に公刊した本をとりあげて言及しているが,以上の基本的な論点の含意は,2023年の時点になっても少しもズレはなく,むしろその妥当性を増していた。

 つぎは,少し前になるが,法務省の関連統計を関連させて説明しておく。

 4) 前掲の表より5年前の統計となるが,「2013〔平成25〕年末の在留外国人数は,206万6445人で,前年末に比べ3万2789人(1.6%)増加」した。それまでのこの15年間で,在留外国人は増加してきたものの,21世紀に入ってからは200万人台(大台?)の水準から伸びておらず,多少減少する傾向をたどる時期があった。

 関連する事情を説明する。2010〔平成22〕年は213万人であったから,この年の時のほうが在留外国人数は多かった。2011年3月11日,東日本大震災が発生し,東電福島第1原発事故が誘発された影響のために,日本における外国人の人口統計の増加が一時的に停止し,減少もしていた。

 以上大雑把な説明であるが,当時,日本では外国人人口が増えていない趨勢も生じていたしかし,2010年代後半の段階に至っては,外国人人口が増えることがあっても,減ることはなくなっていた。

 ただし,2020年以降は,新型コロナウイルス感染症の影響が大きく出ており,2021年,2022年は外国人人口の比率は増えず減っている。この点を踏まえて観察するのが,つぎに紹介するいくつかの図表である

 つぎの在日外国人に関する統計はこんどは,そのコロナ禍の影響が全面的に出ていた日本の人口統計の一面となって表現されている。こちらでも,外国人の人口が減っている現象が現われていた。

総人口に占める外国人の割合

 ところで,15年前,2008年6月29日『朝日新聞』の特集記事「国を開く-移民社会へ心の準備は」は,以上に関連させて外国人の人口統計を,こう解説していた。

 2007年末で,日本の外国人登録者数は,日本の総人口の1.7%:215万3000人である。出身国・地域は190。外国出身者に比率が1割に達する欧州主要国とくらべるとまだ少ないが,日本も確実に移民社会への道をたどっている。人手が足りないのは3K職場だけでなく,IT技術者や資本家など,日本の頭脳や富をになう分野でも外国人に熱い視線が注がれている。

『朝日新聞』2008年6月29日

 ところでまた,日本は明治以来,帝国主義路線を推進させてきた結果,敗戦当時における「外国人」〔=植民地出身者がそのほとんど〕の人口比率が約3%になっていた事実がある。大阪市にかぎっていえばそのころ,市の人口の1割以上を朝鮮人が占めていた。

【関連記事】

 

 ※-3 小熊英二の著作に接したことはないのか?

 小熊英二『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(新曜社,1995年)という著作がある。本書は,こう解説されている。

 大日本帝国時代から戦後にかけて,「日本人」の支配的な自画像といわれる単一民族神話が,いつ,どのように発生したか。民族の純血意識,均質な国民国家志向,異民族への差別や排斥など,民族というアイデンティティをめぐる膨大な言説の系譜と分析。

 ここでわれわれは,・・・事実を確認しなければならない。・・・戦前の大日本帝国は,多民族国家であったということである。

 今日では忘れられがちなことだが,1895年に台湾を,1910年に朝鮮を併合して以来,総人口の3割におよぶ非日系人が,臣民としてこの帝国に包含されていた。

 戦時中の「進め一億火の玉」という名高いスローガンにうたわれた「一億」とは、朝鮮や台湾を含めた帝国の総人口であり,当時のいわゆる内地人口は7千万ほどにすぎない。(本文より)。

 出所)http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4788505282.html

小熊英二『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』

 前述のように,最新の事情として「日本の入国管理局のデータによるとその間,2007年末までの外国人登録者数は,日本の総人口の1.7%:215万3000人となり,2006年度より6万8000人余り増えて史上最高を記録した」という説明もあった。

 だがそれは,より正確には,第2次世界大戦後においては「史上最高〔の比率〕」に達する経過をたどってきた,という表現すべきものである。この指摘は直近の事情としても,まだ妥当するものである。

 1945年8月時点までにおける日本〔国籍〕人の人口統計は,植民地や外地に移動し居住する部分も含めていたゆえ,日本本土(国内)における「日本帝国臣民とこれ以外の人びとの人口の比率」は,もっと高かった。

 敗戦時,日本の人口は約7200万人のうち「外地」に移動し居住していた人口は,700万人近くもいた。より正確に近い説明だと,国外にいた日本人は,軍人・軍属(軍人以外の軍所属者),および民間人がそれぞれ約330万人と推定され,合わせて660万人の日本人,いいかえると当時の日本の人口の1割近くが国外(本土以外)で暮らしていた。

日本の人口とその増減率

 そうだとすると,1945年8月ころにおける日本本土内の「日本人・対・外国人(被植民地の人びと,主に朝鮮人と台湾人)」の比率は,前段に出ていた約3%という数字は,実態としてさらにその1割ほどは,増しておく必要があった,ということになる。

 つぎの地図としての図解がなにを意味していたか,一目瞭然である。1942年に関した説明図である。

戦時体制期,朝鮮人強制連行先一覧

 戦前-戦中はもちろんのこと,戦後の日本における経済社会の成長・発展においては,表にはそれほど明確に現われていなかったけれども,産業経済・企業経営の〈日本的な展開〉に対して多大な貢献をしてきた「非日系人」が存在しつづけてきたことを忘れてはならない。
 

 ※-4 力道山などにみる戦後小史

 敗戦後,力道山(金 信洛:キム・シルラク,김 신락)は,大相撲時代とプロレスラー時代の力道山を通してだが,朝鮮人「性」をひたすら隠しながら,日本民族の対アメリカ・コンプレックスを解消するために,プロフェッショナル・スポーツ界で活躍した。

 日本の空手道に有力な1派を創設し,これを成長・拡大させた大山倍達(崔 永宜:チェ・ヨンウィ,최 영의)も,朝鮮民族であった。いまでは公然の事実である彼らの出自は,いつのころかまでは「絶対に秘さねばならない」それであった。

 補注)大山倍達(崔 永宜)については,別途,本ブログ内で概説するつもりである。

 外車のセールスマンから力道山の個人秘書になり,日本プロレス興業に入社し,さらにリキ・エンタープライズ専務として力道山の事業活動を支えた吉村義雄の著作『君は力道山をみたか』(飛鳥新社,1988年)は,本体に巻かれた帯に「大人のための力道山物語 天皇の次に有名だった男が没して四半世紀がたった……」と書かせていた。

 また,在日3世の李 淳馹の著作『もう一人の力道山』(小学館,1996年)は「ヒーローは海峡を越えてやってきた」と謳っていた。

 インターネット(や Web 2.0)の世界では,日本社会に潜在する韓国・朝鮮人系のタレント・有名人を〈発見〉し〈暴露〉する頁や掲示板が数多くあるが,いまどきこんな記事を書いてカタルシスをえる人たちがいるというのは驚きである。

 日本人の祖先を千年単位でさかのぼれば,3人に1人は韓国・朝鮮人系に血縁関係をもつにちがいないともいわれ,先般「明仁天皇」も,天皇家の血筋において深い姻戚=血縁関係があることを話題にしてもいた。どういうわけか,この現天皇の発言は日本のマスコミ関係では不評のまま,いままでほとんど無視されてきた。

 そこで,本日のこの記述としては,つぎのような引用を足しておきたい。

 『朝日新聞』2001年12月23日であったが,日本の「天皇陛下,W杯で交流に期待」「韓国とのゆかり感じてます」「桓武天皇の生母,百済王の子孫と続日本紀に」〔という見出しの記事を掲載していた〕。

 天皇陛下は〔その2001年12月〕23日,68歳の誕生日を迎えた。これに先立って記者会見し,深刻化する経済情勢が国民生活へ与える影響を案じ,この1年の出来事を振り返った。

 日韓共催のサッカーワールドカップ(W杯)との関連で,人的,文化的な交流について語るなかで「韓国とのゆかり感じてます」と述べた。「残念な」歴史にも触れ,両国民の交流が良い方向へ向かうよう願う気持を示した。

 W杯の共同開催国,韓国に対する関心や思いを問われ,陛下は,同国からの移住者らによって文化や技術が伝えられたことに触れるなかで,「私自身としては,桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,このとき日本に五経博士が代々日本に招聘されるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は日本に仏教を伝えたことでしられておりますと語った」とあります。

 ここで,私として注意を引くのは平成天皇が『桓武天皇』『桓武天皇の生母高野新笠』『百済武寧王』『続日本紀』等に非常に詳しいことですし,あえてここでこの発言の必要性があったのかと考えていますが(たぶん宮内庁の関係者は固唾を呑んで見守ったものと想像します〔引用者 註記)「というよりは,宮内庁も承知のことであったはずである〕)充分に考慮のうえでのご発言だと考えています,この勇気あるご発言にエールをおくります。

 国民としては,いきなり『続日本紀』がどうのこうのといわれても『鳩に豆鉄砲』で,何がなんだかわからないというのが本音でしょう。関心がないのではなく,戦前より万世一系の皇統を信じさせられた国民は,この科学の時代とは裏腹にいまもその域から一歩も出てないというのが正直な話でしょう。

 1. 壬申の乱以前は九州王朝『倭国』が政権をとっていたこと。
 2. 九州王朝が『白村江の敗戦』を契機におよそ10年後に滅亡したこと。
 3. 新羅・唐に占領された日本を,新羅系の傀儡政権・奈良王朝がおよそ100年間,短命で不幸な政権を維持したこと。
 4. 早良崇道天皇が長岡京に10年という短命の王朝を作ったこと。
 5. 百濟からの逃亡者(いまでいう避難民)がその間に力をえて,京都に百濟系・桓武王朝を築いたこと。

 以上のことに,まったくといっていいほど無知なのが現在のわれわれ日本国民ではないでしょうか。お隣の韓国民のほうが,意外と詳しいのかもしれませんね。日本国民としては以下の系図が参考になりましょうか?

 註記)以上の段落は「平成天皇『韓国とのゆかり』発言」の記述を参照した。https://waikoku.sakura.ne.jp/yukari.html,2023年7月27日 検索。

平成天皇発言

 以上のとくに※-4の力道山に始まる記述は,いったいなんのためにくわえられたのか(?)と疑問をもった読者もいると思うが,日本と外国(海外)との国際関係交流史は,長い歴史の流れのなかで観れば,東アジアとの関係史こそが本流であった時代が長く存在していた事実を忘れてはいけないという点であった。

 足許の現実問題をすっ飛ばしたまま,欧米と日本の関係のなかで「経営学者なりの21世紀における知見を披露できた」つもりかどうかしらないが,歴史観という意味では社会科学方面での「歴史哲学」を完全といっていいくらい欠落させた立場から,

 『経営の未来を見誤るな-デジタル人本主義への道-』

など強調する識者の見地は,これが依って立つ地点を錯誤していたとみるほかない。

 とりわけ,日本を追い抜いて経済大国になった中国の産業経済・企業経営の「未来」は,いったいどのように視野のなかに収めようとしているのか? 
 それでいて「経営の未来を見誤る」ことは絶対にないと自信をもって確言できるか?

 「経営の未来」に関したる問題というものが,一体全体にどの方面に,どのような形式と実態をもって,みいだされるべきかについてとなれば,21世紀も第3期の2020年代である現在,わざわざ教えてあげるほどのものでもなかった。

 そのあたりについてわざわざ指摘するというのは,あまりにも失礼な仕儀とあいなりかねないけれども,いうべきことがらは冒頭の記述ではっきり指摘してあった。そういうことにしておき,これにて記述を終わりにしたい。

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