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ハンガーとイヤホン

道具の中で嫌いなもののひとつが、ハンガーだ。なんたって何にでもひっかかる。床に落ちていると足にひっかかり、ケガをする。まっとうに服をひっかけている時も、乾燥して取ろうとすると服に引っ掛かり、とれない。無理に取ろうとすると、くるん、と回転してあざ笑うかのように床に落ちる。そしてまた足にケガをする。針金なのでやたらと鋭利なのも癪(しゃく)に障る。

ハンガーをさらに嫌いになる出来事があった。生活が嫌になる耳の痛い思い出だ。ある日の洗濯物を干していた時の事である。その時は有線のイヤホンでラジオを聴きながら家事をしていた。料理する時は火を使うのでさすがにイヤホンをしないが、掃除の時はイヤホンで音楽を聴きながら掃除していたりする。気がまぎれるし、思ったより時間がたつのをはやく感じるからだ。

ただ、やはり耳をふさがれるということで、感覚的な部分がおろそかになったりする。人間(というより生き物)というのはやはり全身の感触を通して世界を理解していっているのだろう。だからイヤホンをつけながら外を歩くのは今の自分にとっては危険な気がする。無線のイヤホンは、有線のように目の前で線がひらひらしないのでイライラしないので良いが、やっぱり線でつながれていないと失くしてしまうので、最近は有線を使っている。カナル式という耳の穴に埋め込むタイプのイヤホンだ。

いつものようにハンガーに服をかけていったら、やはり感覚がくるったのか、ハンガーが有線にひっかかってしまった。強くひっぱったため、左耳のイヤホンがちぎり飛ばされていった。有線も切れた。そんなに強く引いた気はしないが、感覚もズレたのだろう。強くひっぱったせいで耳の穴の入り口のあたりがヒリヒリする。ひっかかりやすいハンガーも悪い。左イヤホンはどこに行ったのか。床にはいつくばって探した。

イヤホンはどこにも無かった。結論から言えば、イヤホンは耳の中に埋まっていて、有線と引きちぎられていたのだ。しかしその時の自分はそれに気づかなかった。自分の耳の中にイヤホンが詰まっているなんてことには。どこかにイヤホンが落ちていていつか見つかるだろうと思っていた。感覚がおかしくなっていたのだろうと思いたい。その時は夜だったこともあり、そのまま眠りについた。

翌朝起きてみると、やはり耳が痛い。昨日より悪化しているように感じる。当然だ。その痛みはイヤホンが勢いよく引っ張られた時の痛みだけではなく、まだ耳の穴の中にあるイヤホンが原因の痛みであるからだ。でもその時の自分は、まさか耳の穴の中にイヤホンがあるなんて思ってもみなかったから、綿棒に薬をつけて耳の穴をほじってみたりした。強烈な刺激を感じた。よっぽど腫れているのだろうと思った。それは腫れているのではなくイヤホンなのであった。

その日の仕事終わりの夕方、さすがに我慢できないほど痛くなっていたため、耳鼻科に行った。薬をもらって終わりなのだろうと思っていたが、まさかの摘出となった。ピンセットでイヤホンを医師にとってもらうのだが、綿棒で奥まで押し込んだせいで取るのがけっこう難しいらしく、うまくつまめない。カリッカリッとピンセットとイヤホンがつまむつまめないの争いをしているのを左耳で聞いていると、今なにをしてもらっているんだろうと不思議な気持ちになってきた。徐々に奥からイヤホンがひっぱられてきて、スポーンとイヤホンがとれたときの達成感(僕は何もしてないけど)、爽快感はすばらしかった。何かが詰まっているときのヒリヒリ感が引いていった。本来の感覚が戻ってきた嬉しさという代え難い喜びを感じた。

医師も最初は耳が腫れているので~という話をきいていたのでまさかイヤホンが詰まっているとは思わなかったと話した。初めていった病院だったけどアットホームなかんじだった。これがいつまでたってもイヤホンがとれないとかだったらどうなっていたんだろうと思う。いや~よかったよかった。


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