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積極的思考停止のすゝめ

何かと忙しくしていて更新が遅くなってしまった。

普段は土日にブログの執筆をしてたんだけど、日中は死ぬ気で働いて帰ったら風呂に入って寝るという馬車馬のような生活が続き、命を守るために執筆をお休みしていた。

昨年度までは家庭教師を週3〜4で受け持ってたんだけど二人とも無事合格してくれて、現在は高校野球の審判と日雇い派遣労働で収入を得ている。

高校野球の審判は、仕事というよりボランティアなんだけど、物価が安くない割に賃金が安い地方では時給で考えても決して悪くないし、たまに感動したりもする。

そんな感じで月月火水木金金の勢いで毎日を必死で生きている。
もう少し余裕があれば、もっと人生はクリエイティブになるんだろうけど、必死で働かないと生きていけない。
資本主義社会における模範囚と言える。

「死ぬ気で働け、死なないから」みたいなフレーズは少々手垢の付きすぎたネットミームとなっているが、これは真っ赤な嘘で限界を超えると人は普通に死ぬ。

ここぞという場面で全力投球するのは良いんだけど、限界ギリギリまで力投しても限界を超えないようにしたい。

歳を重ねてからの努力は、ひとまず落第点を取らないような目標設定を行い、うまく体力を温存しつつ次の戦いに備えることが大切である。

インプットを減らしてアウトプットを増やす

うまく休むのが大事なんだけど休み方は意外と難しい。

YouTubeやSNSはエンタメというよりテレビ代わりの情報収集の手段として使っているから休めている感じがしないし、二度寝や昼寝をし過ぎると夜の睡眠に悪影響が出かねない。

私は毎日ちょっとずつ本を読むようにしていて、今は『暇と退屈の倫理学』という哲学系の本を読んでいるんだけど考えながら読むタイプなのでずっと読んでいるとさすがに脳が飽きて疲れる。

現代人はインプット偏重な生活になりがちになっていて、ノミニケーションの場や家族団欒の時間が少なくなってしまった空虚さをXでのつぶやきや資格試験の勉強で埋めているんだけど、noteなどのプラットフォームでのアウトプットがその空虚さの特効薬である説を私は提唱している。

昨今、InstagramやTikTokの台頭で文章でのコミュニケーションが激減し、Xはインプレゾンビの大量発生で健全な媒体とは言えなくなってきている。

対面でのコミュニケーション機会は減っていても私たちは言語で思考し、言語でアウトプットしなければならないのだから言語のセンスを磨き、錆びつかないようにしなければならない。

先の大戦での尊い犠牲があって、私たちは(一応は)独立国の日本において日本語を話すことができているのだから、その恩恵に感謝して日本語をフル活用して後世に繋いでいく必要がある。

家庭や近所、職場での対面でのコミュニケーションの時間が取れていれば良いんだけど、よくわからん個人主義的な雰囲気の中、アウトプットが不足しがちな場合はメンタルに支障が出かねないので、パソコンでもiPadでもいいからスマホ以外のデバイスでキーボードをパチパチ打ってお気持ちをどんどん表明していこう。

あれこれ悩むのでなく、グルグル回る思考を意識的に停止し、アウトプットして可視化するようにしよう。

スマホで長文を打っていると体への負担が大きいのでその点は注意されたい。


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