ピカレスク~ケントとフウマ~⑪
【ジョーカー】
「まさか、こうも気づかないとは…私は悲しいよ」
仮面の下から現れた顔に、ケントは両目を見開き釘付けになる。
「合言葉さえ忘れてしまってるとは…残念だよ」
心臓が、呼吸が早まる。
聞き慣れた低く響く声
整った二重の切れ長な目
一筋の切り傷が左目を上から下へと長く伸びている
「久しぶりだな、ケント…」
「…親父……」
そう呼ぶので精一杯だった。
幼かった自分を、生き地獄のようなこの街に捨て放った親が、今更どの面下げて目の前にでてきたというのか。
「元気そうで安心したよ、母さんも元気でやってる…よくもまぁ、こんなところでこうも整った容姿に成長できたものだ…母さんにも見せてやりたい…」
「…まさら……、今更何しに来た…」
「親に向かってその言い方はなんだ…」
「はっ…、捨てといた分際で親面するきかよ、何様だ」
ケントの言葉に、柔らかい笑みを浮かべていた男の表情が冷徹な無表情へと豹変する。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、微動だにできないケント。
「捨てただと?今、そう言ったのか?誰がいつ?いつお前を捨てた?」
「な、何意味わかんねぇこと…」
「意味を理解していないのはお前だ、ケント」
そう言うと男は、持っていたケースの鍵に手を添える。
「俺たちはお前を捨てたりなどしていない…“この街”でお前を育ててやったんだ」
「…は…?」
「体力や気力、洞察力…戦闘スキル、語学知識、裏社会との繋がり…過酷な状況でも生き長らえる、ありとあらゆるものが身に付いたろう?」
ケントは目の前の男が何を言っているのか、全く理解できずにいた。
育ててきた?
この街で?
俺を…?
親父たちが……?
「嘘をつくならましな嘘つけよ…!俺はあの時…ここに来てから一度たりともお前らの姿を見たこともなければ、育ててもらったことなどない!自分の力で…」
「まさか、自分の力で生きてきた…そう言いたいのか?」
含みある言い回しをされ、ケントは思わず生唾を飲む。
静かな空間に、それはよく響いた。
「まだクソガキだったお前が、諸悪の根元のようなこの地にいて、なぜ殺されなかったと思う?
なぜ、お前みたいなガキに仕事の依頼が来たと思う?
食料だって、空腹になることなく探すことができてたんじゃないか…?寝ている間、襲われることなどほぼなかったろう?」
「なっ……」
心当たりがありすぎて、これ以上相手を攻める言葉がでてこない。
それどころか、自分の力で日々を生き抜いていたという現実が音を立てて崩れていく感覚に足元が暗くなる。
「依頼のほとんどは私や私のつてで回したものばかりだ…それを遂行し続けた結果、お前はおマンマが食えてたというわけだ…理解したか?」
口元に不気味な笑みを浮かべ、ケントの反応を嗜むように見つめながら男は言った。
「しかし、捨てられたと勘違いしているなら、本来の目的すら忘れているのだろう…?」
…目的…?
…何をいってる?
「まぁ、忘れていたからこその成果なのかもしれないがな…」
そう呟くと、男はケースの鍵を開け、こちらに向けて中身を開き見せつけてきた。
中には一つの拳銃と、真っ赤なマトリョーシカが入っていた。
……ドクン……
まるでがらがら蛇の尻尾が鳴るように、体全体から音が出ているのではと錯覚するくらい、ケントは全身をガタガタ震わせた。
身体中の皮膚という皮膚から、一気に汗が吹き出す。
ケントの瞬きすら忘れ開ききった瞳は、
男のもつケースに納めらたマトリョーシカに縛られる。
「思い出したか?俺が最初に与えた、お前の仕事道具だ」
…仕事…道具…
知らない。
そんなもの、そんな仕事道具など、俺は知らない。
ガキだった俺は仕事なんてしていない…
…していない…。。
断片的に思い出される消し去っていた記憶。
それらが意思をもったように、ケントの脳内で海馬に乗って暴走する。
「当時のお前には、俺たちの仕事をだいぶ助けてもらっていたんだぞ…お前は頭も良いし手先も器用だからな、指示したことを疑うことなく正確に確実にやってくれたもんだよ」
…聞きたくない。
聞きたくない。
耳を塞ぎたいのに、
身体が会話を聞かせたがっているかのように
ほんの少しすら動かせないでいる。
「拳銃はまだもたせてなかったが、ほら…このマトリョーシカ、懐かしいだろう?お前のお気に入りで、よく遊んでもいただろう…?そのお陰で仕事がやりやすかったんだがな」
男の話す言葉ひとつひとつが鍵になっているかのように、次々と引き出される過去の記憶。
広い屋敷の高級そうな絨毯の上
ペタリと座り込んで、赤いおもちゃで遊んでいる自分。
置くの扉から父親が呼ぶ。
声のする方へ歩いていく自分。
『今日は父さんのお友だちが訪ねてくるんだ…ケント、父さんが少し席をはずしてる間、お友だちと遊んでてくれるかな?』
『パパのお友だちと?いいよ!なにして遊ぶの?』
『それは、お前の大好きな、それで遊べばいいさ』
『まとりょーしかだね!わかった!きっとパパのお友だちも楽しんでくれるかな!』
『あぁ、きっと楽しんでくれるよ…あ、いつもいってるけど、八番目の黒いマトリョーシカは、さわってはダメだよ?いいね?』
『うん!わかってるよ!』
動機が上限を超えて早くなる。
唾液が乾ききって舌が口の中に張り付く。
…なんだ、今の映像は…
…この映像は記憶…?
俺の、記憶…?
このあと、俺はどうした…?
親父は、俺に何をさせた…?
親父の友達は……
どうなった…?
「今思えば少し後悔してるんだよ…ケント」
男は深いため息を地面に向かって吐き捨てた。
「あの時、新しい仕事道具をお前にもたせなければ、あんな失敗はなかったと…」
新しい仕事道具…だと?
それ以上、俺の記憶をかき回さないでくれ…
引きずり出さないでくれ…
ケントはそう喉の奥で叫ぶも、口から外に向けて音を出すことはできなく、淡々と話し続ける男の耳には届かなかった。
「まぁ…いまとなってはどうでもいい過去だ…あの時の失敗は、今、お前自身の手でとりかえしてくれさえすればな」
そう言うと、男は開いていたケースを閉じると、ケントの前に投げて寄越した。
それを合図にしたかのように身体が反応し、足元に滑り流れてきたケースをかん一発のところで避ける。
「それを使え、やることはわかってるだろう?」
「…は?意味が…」
「まだ思い出さんのか……お前が殺し損ねたガキを…」
男は不機嫌そうに顔を歪めて吐き捨てる。
「何年も行動を共にしてたのは相手に隙を作るためだと思って関与してこなかったが違ったようだな」
「お…俺が…殺し、そこね、た…?」
「あぁ、そうだ…お前がはじめて指示に従わず余計なことをしたせいで、ガキだけ生き延びやがった…両親共々、お前があの世へ送ってやる予定だったのに」
気づいたら俺は、屍のようにどしゃ降りに濡れながら拠点に向かい足を引きずるように歩いていた。
どこをどうやってここまで歩いてきたのか全く覚えてない。
あいつとも、あの場からどう別れたのかさえだ。
右手は向かったときと同じケースをしっかりと握りしめている。
心なしか、雨に打たれ続けてることで重力を感じているのか、より重さが増しているように思う。
行きはよいよい帰りは怖い…
こんなの、怖いどころじゃねぇ。
地獄だ