ピカレスク~ケントとフウマ~⑫
【歯車】
「あ…!ケント、おかえり!え?!ずぶ濡れじゃん!やばっ、服脱げよ、風邪引くぞ?!」
建物の中にはいるやいなや、ほつれだらけの壊れたソファーの上で勢いよくこちらを振り替えるフウマだったが、
ケントのずぶぬれの姿をみると、飛び上がるくらい驚き、窓枠に干していた色褪せたバスタオルのようなものをむしりとると、ケントの頭をワシワシと拭きはじめる。
ケントはされるがまま、座ることさえ忘れて根を張った樹木のように立ち尽くす。
遠慮なく力任せに拭くフウマのせいで、頭がいきおいよく左右に揺れる。
「おっし……これくらいで…」
フウマはそう言ってタオルをとると、ソファに置いていた紙袋をケントが見つめていることに気づく。
実際はたまたま視線がそこに重なってただけで
意識して見ていたわけではなかったが。
「あっ…あぁ、これ、さ!オレの依頼を受け取った人から貰った…その、ほ、報酬!…のかわりというか…報酬!」
自分のタイミングというか段取りだてて説明するつもりが、見つかってしまったと焦り
何度もシミュレーションしたのに全く説明できないフウマ。
スラスラどころがグダグダ。
「…そうか……」
「……?」
ケントの空気のようにスカスカした返答に、ハテナが浮かぶ。
『他人から飲食物をうけとるな!』
そう怒られると思っていたのに。
(だ、大丈夫…なのか?)
「あ、あのさ、うまかった…いや、美味しそうだから
一緒に食べようかと思って待ってたんだよ」
薄汚れたぐらつく小さなテーブルに、紙袋を破いてランチョンマットのようにし
その上にパンやクッキーらを並べた。
「食べようぜ?!腹減ってるだろ…?できたてなんだよ、滅多にこんなの食えねえし…」
「…そうだな……」
早く食べたくて、食べてほしくてウキウキしているフウマとは対照的に
もぬけの殻のように呟きながら、ケントは上着を切ることすら忘れて上裸のままソファに座った。
「あ、これはお前が飲んでいいぜ!んじゃ、いっただっきまーす!」
数時間前に散々食べまくってきたくせに、勢い衰えることなく食べはじめるフウマ。
その隣で、パンをそっと持ちあげると脳裏にアイツの顔が浮かぶ。
(これも…アイツの差し金だってのか…?アイツはどこまで俺達の生活に踏み込んできていたんだ…?)
ふんわり鼻をくすぐる甘いバターの香り。
そっと口元に運び、一口食べる。
サクッとした食感が心地よく口の中に響く…が、
精神的に相当ダメージをくらっていたのかもしれない。
味が全く入ってこなかった。
「どうだ?うまいだろ?」
嬉しそうに両手にパンをもちながら身をのりだし、こちらを覗き込むようにして食べた感想を待っているフウマ。
「……あぁ、…うまい、な」
こんな笑顔を向けられて、味がしないなんで俺にはいうことができなかった。
だが、味がわからない以上、この返答が精一杯だった。
だから、できる限りの笑顔を作り、フウマに返す。
「だろ?!よかった!持って帰ってきて♪じゃんじゃん食べてな!元気でるぞ!」
普段から口数が少なかったお陰か、俺の返答になんの疑問ももたず
フウマは子供のように喜びを露にする。
(コイツの両親を……俺が……そんなことは……)
ソファに座る足を軽く広げたときぶつかった
足元に置いていたケース。
その中身が目の奥に焼き付いている。
アイツのいったことに信憑性はない。
だが、アイツが話し始めたとき、記憶の蓋が次々と暴走し
忘れていた情景が浮かんできたのも事実。
でも、それすら相手の催眠術的な何かかもしれない可能性もある。
そうであってほしい。
あんな記憶、俺の人生にはなかった。
そう、信じたい。